ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

ボリチャイの2番

2005-05-04 21:09:46 | CD/DVD
アップしたのは先日入手したボリス・チャイコフスキー(1925-1996)の《交響曲第2番》のディスク。カナ書きすると《白鳥の湖》や《悲愴》などを作曲したピョートル・チャイコフスキー(1840-1893)と同じ名字になるが、事典によってスペルが異なるので何とも紛らわしい。

『New Grove』では初版も第2版もピョートルのほうが"Tchaikovsky"であるのに対し、ボリスのほうは"Chaykovsky"で調べないと出て来ない。またGreenWoodから出版されている『Biographical Dictionary of Russian/Soviet Composers』では、どちらも"Tchaikovsky"の項目で載っている。上記のリンク先は「ボリス・チャイコフスキー協会」が作成したもののようであるが、ご覧の通り、やはり"Tchaikovsky"の綴りである。念のため1991年に刊行されたロシア語の『音楽百科辞書』を見てみると、両者はロシア語で同じ綴りになっている。うーん『New Grove』は何故異なるスペルにしたのだろうか。その意図はまったくもって不明だ。

いやいや、そんなところにこだわっている場合じゃなかった。通称「ボリチャイ」の《交響曲第2番》の第1楽章の終わりのほうにはモーツァルト、ベートーヴェン、J.S.バッハ、シューマンの作品がちょっとずつ引用されている(各曲の具体的な作品名については実際に聴いてみてね)。作品のなかに他の作曲家の作品を引用することは何も珍しいことではない。ボリチャイに限らず多くの作曲家が「引用」という手法で作品を書いている。

この交響曲は1967年に書かれた作品である。そこで、ちょっとこの時代における「引用音楽」について考えてみたい。当時作曲された引用音楽で有名な作品といえば、シュトックハウゼンの《テレムジーク》(1966)やベリオの《シンフォニア》(1967)などが挙げられる。注目したいのは《テレムジーク》や《シンフォニア》における「引用」が従来のパロディ的な意味よりもむしろコラージュ的な意味合いが強いということだ。ここでいうコラージュ的な引用というのは、既存の音楽様式を混ぜ合わせることにより、新たな様式を創り出すというもの。それにより既存の音楽は本来の意味を失い、新たな意味を持つという意図がある。こうした発想は、のちにシュニトケのポリスタイリズム(多様式主義)へとつながってゆくのだが…。

音楽史的に考えると、以上のことからボリチャイのこの作品がコラージュ的な意味をもっていないことは明白。つまり単に有名な作品を並べてみたという従来のパロディ的な引用の範疇に留まっていることがわかる。とはいえ、フツーに聴いても面白い作品なので、決してガッカリすることはない。

さらにカップリングされているのがハチャトゥリアン(1903-1978)の《レーニン追悼の頌歌》(1949)、《ピアノとヴァイオリンのためのペスニャ・ポエマ》(1929)、《剣の舞》で、いずれも楽しめて聴き応えのある作品だ。CD自体は非常に安いので、ぜひ聴いてみるとよいだろう。

ありゃりゃ、ブログなのにムズカシイことを書いてしまったかもしれぬ。すんません。
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