2014/05/24 記
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体の節々が痛む。母の風邪が流感とわかっていたから、早目に風邪薬を飲んでいたが、やはり発熱するときは発熱するようだ。土日の相模大野校の仕事を変更したが、すでに「またか」という感じだ。今日は、母の介護度に応じた指導計画を通所先担当者とケアマネさんが我が家にやってきて、年間計画の話をすることになっていた。
母の困難は胃がん手術後の後遺症から、身体のバランスを崩していることにある。年から比べれば元気な方だが、突然の嘔吐や、歩行の不安定化がある。また、最近少なくなったとはいえ、突然の眩暈(めまい)があり、体調が優れぬときの歩行は危険だ。
母は同世代の友人が次々と外出できなくなり、先方がメールが出来ないために、固定電話のところにさえ出られないということに、母は落ち込んできている。「固定電話なら子機を置け」という母の提案も「難しいことは出来ない」と拒否されるという。認知症の発症をしていく者もいて、もう少し若い世代とつながりたいと考え始めている。それをケアマネさんに相談していたのだが、紹介されるものは、カラオケの会だったり、演歌で踊る会だったりして、母はうんざりしている。今の介護度では利用できないが、デイケアも故・祖母の介護で、内容を見ており、あの「子ども扱い」は死んでも嫌だと言っている。提供される文化が偏っていると怒る。
今回の話し合いでは、その辺の話も出す予定でいたが、とにかく逃げられてしまった。ただ地元老人会がすでに無くなっているという話は、私の予測を上回るものだった。介護度制度が始まって、デイケアが拡がったことが大きいという。
災害ボランティアの中で、被災孤立や認知症について、老人会や地区社協がどのような思いでいるか気になっていたが、その問いかけ自身を受け止める器になっていないのではないか。
母の健康維持のケアは浮いていた。母は医師の指示によって治療の一環として行っており、母もまた外出の自由を確保するために身体トレーニングを行っているが、周辺の人たちは子どもが送り込んだ方ばかり。女性は何を語りかけても、ご主人や子どもたちが仕切るから知らないという。男は野球と地元の祭りの話しかしないという。なんとかならないのかというのが、母の希望だった。結局母は施設職員と馬鹿話をして終わる。世間は広がらないという。今回もそれを引きずったままで終わった。
ケアマネさんと話をしたが、「地域包括支援ケアネット」の構想は絵に描いた餅のようなもので、ケアマネさんは、今ある課題で手一杯とオレンジの輪を見せてくれた。認知症対策の研修を受けることで取得する輪だった。認知症のシンボルカラーはオレンジなのだ。だからなおさらに、被災時、彼らに任せておいたら折れてしまうと思うのだ。しかし災害は近未来にやってくる。政府の言う在宅介護を支える地域ケアの民間ボラは、結局仕事の無料外注請負にすぎない。そうではなく、まずは災害時のときのケアの話を直接面倒を見ている主婦にだけ求めるのではなく、中高生や学生を引き込んで行く手立てを考えたい。この辺になると、さすがにケアマネさん、お手上げらしい。それはそうだ、この話はサポセンの領域であるからだ。
p.s.懇話会の講師候補に日赤秋田看護大が再び出始めている。ようするに研修に出かけた学生さんたちのことだ。しかし、災害後の精神医療の話や、地域ケアネットと民間ボラの話、都市と田舎の訪問医療の違いの議論には役不足だろう。かといって予想される飛田とのにらめっこで終わる懇話会の悪夢は現実だろう。その意味で湘南にも使命感を持ってくださる方が欲しい・・。土下座だけでは済まないだろうからだ。プライマリケア連合学会の方々が、進まないのは、この辺の忍耐をしてくださる方も見つかっていない。謝金の金額だけのことではないのだ。来月初め、予算はなんとか確保の見通しがついたのだが。
夜間傾聴>なし
(校正1回目済み)
2014/05/23 記
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風邪をひいた。熱が出たのがわかったので、茶の間の作業を中断した。今回の風邪は珍しく母からうつったものだ。地元医の外来から持ち込んだらしい。今、JR相模原の塾の方も困っていると聞いている。私は教室の授業を担当していないので、そちらからの感染は無いが、このまま相模大野校の方に行くのは、様子見したほうがいい。
3回目の「金曜・災害ミニカフェ」を行った。やっと本題の「支援の潮が引いたあとの、被災者の忍耐の限界の時期の寄り添う支援とそのあり方の模索」・「近未来の大規模被災に備えた長期避難生活対策」へと、直接つながる話題を取り上げた。
被災3年余。この時期は、長期避難生活の矛盾が噴き出してくる。遅発性PTSD(心的外傷後ストレス障害)や認知症・うつ病・アルコール依存症等、その極限としては孤独死に至る方が社会の影で増加する時期だ。避難生活長期化の疲労・家族の喪失・生活設計の破綻・未解決借金の累積等、個人の頑張りだけではとても背負いけれない問題が、被災家族にのしかかる。生活再建のために気持ちが追い込まれれば、社会的弱者としての障がい者・体力を失った高齢者にあきらめと心理的な圧力がかかる。そういう意味で、被災者の中では、「裾野が広い問題」が広がっている。その頂点が「孤独死」だ。この「裾野の広さ」を無視して、特殊な落伍者の問題と決め付け、切り捨てることがおかしいのだ。
しかし社会的関心の潮は引いている。NHKが黙ってしまったら、東日本大震災は過去の出来事にされてしまうだろう。13万人もの方が避難生活を続けている現状を、ひとの運のせいにするのだろうか。福島の場合は、ましてや人災ではないか。
課題は家庭の事情の問題になった。「プライバシーに関わることに触れることは出来ない、非被災地にいる私に何が出来るだろう」という発想は、問題の発端、災害の社会性に蓋をしている。私たちは災害の責任を個人で負う限界を目の当たりにしている。それを個人の問題にすりかえている。
映像は編集の主観に晒されている。しかし、その映像が持つ信憑性は高いことがわかる。その根拠は、予想される被災のストレスの大きさだ。家族や財産を失い、再建するにも年齢上、再出発が切れない方が、語る相手もなく悶々としている状況は、想像に難くない。その論点を、お互いの中に鮮明にしてくれるのが映像だといえる。答えが映像の中にあるのではなく、私を今起きていることとリンクする営為といえる。よそ事にしない。ただそのことが会の唯一の「作為」だろう。
今回の番組は、
●「NHK 被災地の福祉は いま(3)相次ぐ新たな"心の病"(相馬市)」
●「TBS報道特集『震災と自閉症』小野寺 凌君の被災3年後」(気仙沼市)
の2本だった。
前者は遅発性PTSD(心的外傷後ストレス障害)の話だ。相馬市の精神科医・蟻塚亮二医師の話が基軸になる。東北は「世間に迷惑をかけない」という縛りがきつい精神土壌にある。それが手伝って胸のうちに収めてきたトラウマが、コップから水があふれでるように、限界から発症してくる病のことだ。
被災地の仮設住宅は、再出発できる者が抜けていき、取り残された高齢者が病んでいく。こうした、いままで障がい者の範疇から抜け落ちてきた社会病理の中の心の病が広がっている。従来の精神障がいの枠では救えない人たちだ。
しかし、従来の障がい者の枠組みの中の方でも、環境の激変と理解できない恐怖体験から、自閉症の当事者とその家族も、被災の余波に直面している。ここでは、こだわり行動が強まり、パニックが頻繁におきる現状を報告している。被災という厳しい状況の中で、小野寺君は施設に一時入所した。所属していた特別支援校が被災したからであるし、生活再建のために、親は家庭を安定させなくてはならなかったからだ。その環境の変化が彼の状態を悪化させていた。
成人視覚障がい者の方が、震災津波で激変した道を歩けなくなり、付き添いのヘルパーさんの人手不足から孤立し、こころを病んでいく話は、懇話会に招待した小山貴さんのカバーエリア、陸前高田で起きたことだ。
「孤立」という点で、地元の専門職もまた自らの家族の喪失を味わっていたりする。この3年目の状況を、少なくとも専門職の双肩に委ねるほど酷なことはない。心をくだけるのは、関係者だろう。そこになんらかの支援の道を考えていく契機を作りたい。懇話会は、「現在の被災地のいぶき」を伝える役割がある。被災地の、災害弱者とその家族のニーズをみつけだすための懇談をおこなう。公共の情報交換の場という限界を持つ。
しかし今回の番組を観る会は、雑談、感想の交流を通じて、なんからかのアクションが生まれることを祈る。今、東北で起きていることは、近未来、南海トラフや首都直下型の震災の形で自らに帰ってくる課題だ。
考えよう。徹底して考え続けよう。
現実は、今回も参加者がいなかった。しかし、問い続けようと思う。おそらく懇話会のゲストも「災害と精神医療の話」が中心になるが、私とゲストの空転に終わるだろう。しかし、湘南にもこの話が広がっていかなかったら、何十年も同じ過ちを繰り返していくことになる。
夜間傾聴>風邪発熱のため中止
(校正1回目済み)