2014/05/16 記
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糖尿病外来に行く。外食を減らした分、結果はやや良好だったが、腹回りの脂肪が落ちない。歩いては、いるのだが。
調剤薬局の薬剤師さんに以前、ペットレスキューのチラシを渡したことがあって、ここの薬局では私を災害ボランティアと知っている。ところが今日、薬局を出ようとすると、見慣れない薬剤師さんが私を追いかけてきた。つり銭のことかと思ったら、残念。
薬:「ちいさなワンちゃん、いませんか?」
私:「楢葉町の白ネコ、今、飼っている」
薬:「ネコは、今飼っているから、犬の方がいい」
とまあ、こんな話だった。すでにネコを飼っているので、お見合いさせることになった。問題は二つある。元が野良猫であること、それと「猫エイズ」であることだ。人間には感染しないが、飼うのに手間がかかる。老猫どうしだから、「猫エイズ」は、あまり気にならないという。会津の出身者。3.11関係の支援を続けたいという。
ひとは単純である。協力者がひょっこり現れただけで、嬉しいのだ。一日中、嬉しかった。
今、新人君と話が終えたところ。疲れた。今回ブログは、ここまで。
夜間傾聴>ひとり
(校正1回目済み)
2014/05/16 記
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懇話会の講師選定の件で、日赤秋田看護大の方との仲介をしていただいたが、住田町の「炭の家」関係の方らしい。横浜に連携活動があるので、まずこの方々と話し合ってみることにした。プライマリィ・ケア連合学会の方々は、魅力的ではあるのだが、医療専門職の方々の活動で、無資格民間ボランティアの連携は意識されていないところが難点。この部分は私が提案していかないと、なかなかつながらない。日赤秋田看護大の活動もまた医療専門職の活動だが、長期滞在型民間ボランティアとの協働の形で生活支援を行っている経験がある。謝金の金額もそうだが、なによりも高齢者支援一辺倒ではなく、障がい者支援の活動も含んでいる点で、湘南の側の参加も得易いのではと考えたからだ。住田町・気仙沼・石巻・秋田・滋賀・神戸と次回の訪問先の候補が広がっている。現場の香りがする話をいかに引き込むかだ。
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ビッグイシューの新刊を受け取りに横浜に出た。担当している子の関係で岩崎学園に立ち寄り進学ガイドを受け取ってきた。県サポに図書の更新をして駅に戻る頃には17時を過ぎ、相鉄線で相模大野校に回り込んだ。こういうときには、なにか忘れている。気が付いた。糖尿病外来への通院だった。被災時、重篤な糖尿病者のインシュリンが絶たれて問題となった。私の場合、飲み薬で調整している段階だが、薬が切れるのはよくない。そんなことを考えながら、自動ドアを抜けようとしたら、古い自動ドア、急に引っかかって動きが緩やかになり、視野の欠けた右目のメガネの端がぶつかって、メガネが吹き飛んだ。危うく通行人の靴の下になるところで助かった。ヤキはいつも回っているのだが、さすがに中断。藤沢ジュンク堂で、息を整えた。馬鹿な話である。
「災害時要援護者支援対策:こころのバリアフリーをひろげよう」を注文。
自閉症関連新刊不作。
煮込みうどんにて、冷蔵庫の始末。主婦臭いと母に批判されつつ。(うるさい、食え…とに)
夜間傾聴:ひとり(岩崎学園パンフを持ってきたと伝える。)
(校正2回目済み)
2014/05/14 記
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「金曜災害ミニ・カフェ」の「番組表」付きチラシを200枚作って、配布した。しかし、これほどに災害ボランティア関連のチラシをこの3年間配布してきたというのに、ある団体の理事さんで、生活サポートの指導者と今日偶然会ったが、全く話が伝わっていなかった。これには驚いた。誰かのところで、チラシが止まっていることもわかった。手帳を持っている方同士は会議などの場で、口コミで話が伝わっていく。ところが数年前までは、自閉症スペクトラムの裾野、手帳のないボーダーの方と、手帳がある障害認定者の活動とは、一線が画されていて、障がい者の会議には、プライバシーの問題があるという理由で、横断的な会議には参加できなかった。発達障害と、知的障害の関連団体の一部と交流し、そこから情報を得てきた。
新規参入の自閉症スペクトラム関連団体は、そのような経過にお構いなく、時流の統一的見地が一般化する流れに沿って参加権を得てきたが、一度排除された者は、依然そのままの状態でおり、口コミの情報ルートは、個別交渉以外は遮断されていた。
この壁が今回、ひょんな形でむき出しになったのだが、この個別交渉が一部で反発を生んでいる現状で、明らかになった。声が全く届いていないのだ。
最低限、情報を届けなければ話にならないので、遮断の状況がわかった今、複数のルートから、連絡を試みることを考えたい。ある作業所の方は、警戒の眼差しをあらわにするようになって、また新たにレッテルが貼られたことが見て取れた。10数年、遮断されてきたのだから、必要な活動をより精査して提案して行くことに徹する。つまらない持久戦だが、自分なりの参加をすればいいことなのだということを、伝えていく。
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チラシは、あとコミュニティセンターに載せれば、一応終わる。企画参加は、それでも、幻想は持たないほうがいいが、最低限チラシの内容だけは、伝えて行く。
今回の被災地訪問は気仙沼か石巻になる。講師交渉だ。陸前高田は、医療関係者がお盆まで抜けられない。かといって、石巻・気仙沼は全国まわりの担当者がいらして、大きな会合に出ている関係上、謝金も高い。
今月末は間に合わなくなった。6/6の「金曜ミニカフェ」を終えたら、出発の形で出来ないか調整中。気仙地方の関連行政の方と昨日接点をつくることができた。企画を見てもらっている。当面は、この方、秋以降に登場依頼を考えている。
夜間傾聴>なし
(校正1回目済み)
2014/05/13 記
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懇話会の講師に医師が登場しそうなのだが、謝金が合わずに難航中。常識が違うというか。的を絞らないと、地震発生時の経過話で終わりそうで、これでは価値が無い。被災現場の空気が価値なので、聞き出す側も価値が見えなくてはならない。ところが一般被災者救済が話の中心になるのでは、他の団体がやればいいことだ。被災時、障害を持った家族を抱えて運を天に任せて、当事者と家にこもっていた方も、違うアプローチを待っているわけで、その最前線をまず持ち込んでほしいと願う。また長い避難生活に対する目利きを期待したい。つまり災害時要援護者支援のまなざしである。
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8月は、閑古鳥が大群を成す。
避難時の現場の空気をたっぷり含んだ、論点の見える番組を選び出した。8月は安全避難も含めよう。
まずは昨日紹介した
●<FNSドキュメント大賞>「母とともに~避難区域に灯るひとつの明かり」(55分 福島TV)
次が福島の原発事故避難関連医療の
●「証言記録 東日本大震災(21)
福島県富岡町~"災害弱者"突然の避難~」
(NHK '13・9 50分)
●「あの日わたしは~証言記録 東日本大震災
宮城県仙台市 大谷義昭さん」
(NHK '14・1 荒巻小校長 5分)
この辺が、被災時の病院・避難所の雰囲気を伝えている。
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昨日の母の珍事(?)は打ち身もなく無事に済んだので、橋本の訪問指導と、フィリピンの**さん指導の返上と今後の打ち合わせでJR相模原で塾長と話をしてきた。暑い。ブレザーを羽織ってくるのではなかった。
焼きさわらのネギソース
半量のマグロ山掛け
自作セロリ漬物
マツタケのお吸い物(ネギ入り)
食後に
野菜ジュース
母、油が切れそうという。
p.s.北海道の友人からメールあり。娘さんに、いじめ
夜間傾聴>ひとり
(校正1回目済み)
2014/05/12 記
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橋本の訪問指導に行く前に、懇話会の立ち上げに協力してくれた置き薬屋の**さんに会った。横浜を回っているのだが、お宅は平塚だ。薬剤師ネットワークの件で、講師を紹介してくれないかと頼んでいた。茅ヶ崎駅前で会う予定だった。待つこと10分、携帯にではなく、喫茶のレジに電話をかけてきた。携帯を忘れたので、電話番号がわからないとのことで、かけてきたのだとわかった。急な用事以外は取次ぎしないのですがと店員に叱られた。
車の故障だった。待ち時間の間に駅周辺で買い物を済ませ、コインロッカーに入れた。彼は、お詫びということで橋本まで載せてくれることになっていたのだが、寒川の手前で私の携帯がなり、母が通所リハの送迎車下車のときに、すべって転んだという連絡が入り、ベッドに寝かせたという。
急ぎ橋本の訪問予定宅に連絡して、19時からに変更をお願いし、**さんには、茅ヶ崎駅まで戻ってもらった。食料品をロッカーから取り出す必要があった。
**さんと車内で話したことは、漢方薬品販売なので、いわゆる薬剤師ネットとの接点は無く、被災地の置き薬屋なら、連絡取れないかと試行中とのこと。話によると、仮設住宅入所後、高齢者の通院を補助しているという。その方を紹介して欲しいと頼んだ。懇話会講師候補ということより、「わーく」の側で企画がたてられないかと思ったからだ。
買い物袋を持って家に戻ると、母は夕食の米を研いでいた。私と入れ違い位の時間差で、通所リハの職員が帰ったという。ため息と同時に、力が抜けてしまった。車から降りたとき、続けて降りた方がいて、ぶつかったのだという。幸い手の甲を後の方のカバンでこすった程度だが、尻餅をついたので、職員が連れ沿ったという経過だった。通所リハから電話が入り話した。尻餅をついているので、あとで痛くなるかもしれないとの説明つきで、謝罪してきた。
電話を切ると、玄関ホンが鳴った。後から焦って車を降りようとした爺さんの家族の方だった。茶の間に通したが、母は軽快に腰を上げ下げしてお茶をだしていたので、ほっとしたのだが、爺さんは小用で焦っていたという。見舞いと詫びに来た方は娘さんで、介護しているという。
結局、橋本には家族の事故ということで、日にちの先送りで堪忍してもらったが、母に大腿骨骨折でもされたら、身動き取れなくなり、入所騒ぎが起きるところだった。高齢者家庭は、乳幼児保育家庭と同じく、いつも偶然の危機の綱渡りをしている。
そんなこんなで、帰宅後のチェックに、ふと思い出し
●「<FNSドキュメント大賞>母とともに~避難区域に灯る一つの明かり~」('13.9 55分 福島TV制作」
を思い出した。認知症の母親(94)の介護をしている被災地楢葉町の夫婦の、母親をお見送りするまでの記録だ。静かな時間は、被災地を感じさせないのだが、避難できない実態がわかる。
しかし歯がなくなると、ひとはこうも似てくるのかなと思う。故・祖母そっくりなのだ。若い人には、この55分間はたえられないだろうなと思う。安全避難のとき、こういう家庭は1ユニットで考えるべきだ。
p.s.行きのバスの中で++君と会った。就労で苦労している。安易に頑張ってとはいえない。
夜間傾聴>中止
(校正1回目済み)
2014/05/11 記
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隔週金曜日に「金曜災害ミニ・カフェ」をやることにしたため、当日午前中か日曜日を、学習相談のためにあてることになり、相模大野校の顰蹙をかっている。どのみち学習困難の事情を抱える生徒のキャッチアップの熱意の薄くなった本校では、窓際族の解雇逃れの支柱のように見られているから、もともと顰蹙は買い続けているのだが。
昔からのなごりで、矛盾した仕事だが新採用の講師の二次研修担当を今日こなしてきた。さすがに指導者は私ではないが、テキストの監修者は私だ。商社の社員研修のような激しさはないが、「指導責任」のことや「私教育学習指導の目的」などは、書いていて、猫ではないが袋でもかぶりたくなる。穴があったら入りたいというか、大上段振りかぶり大袈裟だ。
How to study ものは書いていないが、精神論を書いているつもりもない。ただ、給料稼ぎだけで講師をやるのは、情けないねと挑発している。勿論だれも乗らない。なかには、私のように、進学というより、その子に「適する」仕事を探し専門学校に送り出していくことにも、日をあてた。そのレベルではない子たちは、以前私がこの地域で個別訪問していた。個別指導となるが、訪問指導が廃止になってから、その子たちとの接点も消えた。
私の話の持ち時間45分を済ませて、私はさっさと帰ってきてしまった。今回は、与えられた条件下で、そこに自分の働く意味をみつけてほしいと新任講師に願った。
研修には午後から合流したが、結局忘れられないように、顔を出したようなものだ。
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話は変わるが、7月の懇話会の講師がつめきれないでいる。謝金の金額が全然違うのだ。平行して、北里・慶応・赤十字の大学に打診はしている。無資格民間ボランティアが専門職の支援に動ける場面を探り出していくことが目的だが、被災3年目、避難生活長期化と家計不安・孤立化という問題が、抑えきれずにこころの病となって表面化している。遅発性PTSDへの予防的関わりにも一定の見識を持っている方を探っている。今後の医療の方向である在宅治療の得失も論じたい。家庭医または家庭医育成医をさがすのは、贅沢か。
本来の懇話会は、被災地のなまの経験とその呼吸を持ち込むことにあるが、石巻・気仙沼・陸前高田ともに、現場の医師は日を開けられない状況にあるので、現地長期支援経験者を選択肢に含めている。
ただこの間の懇話会では、参加者がギャラリーにならないようにしてはいるものの、論点については講師も参加者も戸惑っていることが多く、改善すべき点となっている。議論が実践的でありたいと願うから、災害という、いつ起きるかわからないもののためにかかわり続けうるリアルを、いかに持ち込むかという厄介な課題が私個人にはある。
13万いや潜在的には、まだ15万人に及ぶ避難生活者がいるなかで、それを忘却することはできまい。
先ほど雄勝病院の記録を見ていた。言葉は発し続けなければなと、改めて思う。
夜間傾聴>なし
(校正2回目済み)
2014/05/10 記
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7月の懇話会の日程と重ならないように、「金曜災害ミニ・カフェ」の予定を組んだ。要は「閉塞した避難生活とこころの"危機"」及び「介護・医療支援」の話だ。仮設定した第6回、第7回のテーマは、第6回の「反響編(1)・(2)」に論点が集約される。その中から、民間ボランティアの仕事とは何かという、絆の取り直し作業だ。
一方、第7回は、「視覚障がい者の被災」「要援護者の施設と入所者の避難」という2つのポールだ。第6回で大きな論点は出し終えて、以降は各論とでもいうべき構成にした。
これ以降は、「災害医療と介護・保健への支援とは」「防災に組み込むべき、被災時医療・介護連携」へとつながり、「地域防災を支える若い力の開拓」を取り上げる。なんとか災害・生活支援ボランティアの芽を作りたい。
反発を招いても、個別団体への協力要請やチラシ配布を続けたい。
夜間傾聴>新人さん
(校正1回目済み)
2014/05/09 記
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震災関連のTV録画リストが一応仕上がった。「金曜災害ミニ・カフェ」の企画に使用する。視覚障がい関連が少なく、「あの日わたしは」の体験談シリーズの「気仙沼市・小林トミ子さん」、「南相馬市・矢島秀子さん」のふたりだけ。陸前高田の行政参加のテーマの脇役として男性視覚障がい者の方が登場するが、上記2作品からは、「自宅からの避難」と「避難所生活」が紹介されるが、「外出時被災」や、「白杖(自立行動ツール)」の問題、「子どもの避難生活」、「通院保証」の件などへの言及が欲しい。探している最中。
このことは、精神障がい・知的障がい・発達障がい・内臓障がいの方々も、出てこない。身体障がい関係では、「透析」「骨粗しょう症」、「要酸素吸入者」「要痰吸引者」などが弱い。
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今夜は「居場所を失う子どもたち」「ろうを生きる 難聴と生きる/災害に備える~情報を得るために」の2本を放送した。参加者0。しかしこれは、呼びかけ誌を数日前に配ったから、ブログ読者かポスター発見者以外には企画自身が伝わっていないという条件もあったし、サポセンのその時間、がらんとして利用者が極端に少ないという金曜日の条件も影響している。しかし、これらの条件を除いても、参加者を期待するのはやめたほうがいいだろう。ひとは属する人たちのなかで行動する。自主判断は稀なことと思ったほうがいい。
再来週は「遅発性PTSD」3年目の「こころの閾値を超える」件を取り上げる。また自閉症の方の被災体験の映像も取りあげる。避難生活長期化による、あらゆるこころの軋轢と抑圧の限界がでてきている状況の中で、解決要請が専門職にのしかかり、極端な人材不足を起こす。この緩衝材に民間ボランティアの出番はないか、それを問う内容になっている。
6月は「地域医療」に踏み込む。どう考えても「専門職に任せておけばいい」という発想の壁を拓く対置する提案が活動として登場させられないか。それを考えると、参加者0でも「継続は力なり」いや「私の状況へのコミットメント」として、続けて行く。もちろん、ここにすべての力を集めるのではなく、私が出来ることを考えて実行して行く。
夜間傾聴>新人君(小康状態)
(校正1回目済み)
2014/05/08 記
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昨夜は、新人さんと一夜を明かしました。久々の危うい状態で、ただ電話で連れそう以外ないという無力感の針の筵(むしろ)の上で、時を過ごしました。
高校の熱心な担任の先生の計らいで、連休中、クラスメートを「お見舞い」させたことが、彼を闇の底に突き落とすことになったのです。苦しみの中にある彼にとっては、それは「落差」をみることでしかなかった…。彼の携帯の電池が切れるまで、ただ彼の隣にいた。私には、生傷をみせる引きこもりの若者との原点に帰った経験でした。県央のプロ(PSW)を紹介して、現在も進行中です。彼には時間が必要。見守りを続けていきます。
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「わーくのNo.042」の配布を進めている。高齢者関係のところでは、直接関係無い子どものことや、ろうの方の話題でしたが、連続の被災時要援護者支援の通信ゆえ、受け取ってもらった。福島の県外避難者の中に知り合いの家族がいて、そこに受験生がいると、某包括支援センターの方が話してくれた。来年受験になるそうだ。
海老名の2回目の対談。塾長がついてきた。予想通り彼女の困難は言葉の問題なので、取り止めとなった。詳しくは知らないのだがピリピノ(マニラ訛りのタガログ語とか)と英語が共通語で、私がわかるのは癖の強い日本語部分と英語の断片だけ。教科指導は無理だと塾長に言った。
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相模線から平塚に出るのは、結局茅ヶ崎を経由しなければならない。伊勢原からバスだと時間がかかる。平塚の図書館に書籍の更新に行って、帰りに平塚の駅ビルで買い物をして帰ろうとしたが、平塚の駅ビル地下の食料品売り場は改装で、6/12まで閉鎖されていた。迷路のように回りこんで、「たまや」で買い物をして帰宅したが、猫の餌が買えなかった。
この猫は、福島県の楢葉町で捕獲された猫で、ペットレスキューの仲介活動の際、市内のあるお宅で飼ってくれることになっていた。ところが、ワクチン接種のために獣医さんに連れて行った。そこで「猫エイズ」であることがわかった。この病気は人には感染しない。地域によっては、野良猫の半数近くが感染しているという。それで保護猫を私に返してきたので、やむなく飼っている。高齢の雌猫である。やっと食事係の爺ぃだとわかったようだ。初め2匹いて、困っている私の様子から、2匹とも近くの獣医さんが仲介してくださった。しかし、同じ経路をたどって、1匹がまた私のところに戻ってきたのだった。
今、7月の懇話会の講師選定のメールを往復させている。被災地の高齢過疎化と医療分業の波から、在宅医療が進められているが、そこには介護者の負担の増大が問題になっている。準都市の被災の場合、医療介護の景色は同じか。語る医療関係者は謝金が高い。そんなこんなで難航している。
夜間傾聴:新人さん
(校正1回目済み)
2014/05/07 記
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連休が明けた。銀行の入出金やら、市役所の調整やら、一気に始末をするのは私だけではないらしい。銀行は混んでいた。
市役所に行く際に、「『わーく』Online PicUp No.42」の配布を行った。今回の「金曜・災害ミニ・カフェ」の始動、雑談の勧めは、職員向けではなく、市民・NPOや関連施設職員向きなので、関連課に、継続資料としてと一言を入れて配布してきた。「金曜ミニカフェ」で重なる訪問学習は日曜に移動した。(冷や汗をかいた。)
市障害福祉課では、担当者の##さんが留守だったということで、概略を聞いてもらって課内回覧をお願いした。わずかずつではあるが、私の資料は既知のものになりつつある。職員が「また、持ってきた」ぞと考える「また」の部分である。
市高齢福祉介護課や市民自治推進課では、さっとミニカフェの予定表見て、質問が出たのには驚いた。少し話を交わしたが、包括支援センターの反響を聞かれた。
ただ保健福祉課と防災対策課は、接点がつかみにくい。市議会にもアクセスした。これからNPOと関連施設をまわる。この巡回が先方のプレッシャーがかかるのか、評判がよくない。しかし、郵送では反響が出た試しが無い。
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配布量はおよそ150部。その半数が今日、配布された。
夜間傾聴>新人ひとり
(校正1回目済み)
2014/05/06 記
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懇談に使えそうなTV番組の録画分をチェックしていた。やはり「地震の仕組み」・「大震災の被害像」・「急性期の避難行動」によるものが多く、「災害回避避難以降の避難生活」や、「心身の保健・医療」・「生活再建」にまたがる話は少ない。番組の絶対量が減っている。3月から今月に至る数ヶ月が特に顕著だ。民放はもともと期待していないが、将来に対する提案のひとつない。対談ものは、発言者の底の浅さが見えてしまう。
7月は懇話会の方で、プライマリ・ケア連合学会元PCATの方をゲストに招待して、「避難以降の避難生活」や、「心身の保健・医療」を「現地体験」の機微に晒して、語ってもらおうとしているので、「ミニ・カフェ・7月」は「施設避難と被災」か「仮設生活と孤立」にして「民間ボランティアに何ができるか」を絞りだしたい。
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庭の手入れは、生活保護を受けていた単身生活者の**さんに頼んでいた。ところが脳閉塞を起こして半身不随になってしまった。自立生活が危なくなってきたので、グループホームに転居した。ところが市内施設がいっぱいなので、平塚に移ったのだが、彼は移転先の名前や住所がわからないまま、知人のいない平塚に行ってしまった。私は彼の簡単な中継ぎ屋をしつつ、彼に仕事を提供してきたのだが、庭が荒れてきたので、彼の指導を得る形で、消息をつかもうとした。そこには、個人情報の分厚い壁が立ちはだかり、転居先の住所を知ることが出来ないでいる。業者を入れれば済むことだが、樹木以外は彼の分担だったから、カウントダウンで医療介護が必要となっていたので、平塚奥地の病院施設送りになり、孤立がしあがることは目に見えていた。彼の親しい友人らが彼の消息を知らなかったのだ。市行政に直接問い合わせても、可能性が薄いので、地域のケアマネさんに打診してみることにした。明日が勝負。
しかし、施肥・害虫駆除・芝生の保全などわからないことだらけ。シロアリ対策までやってくれていたのだから、契機とはいいつつ、ちょっと教えてもらいたいのも事実なのだ。
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関西2人組が昨夜帰宅したとメールが来た。結構食い散らしたらしい。お互いに先方の食欲をなじっていた。醜い…・
今月中に、石巻か気仙沼にいこうと思っていたが、どうやら静岡・神戸に今後のヒントがありそうだ。さてどうするか…。
夜間傾聴>なし
p.s.明日は相模大野校。帰りに墓石屋をまわる。
(校正1回目済み)
2014/05/05 記
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朝5:18の地震の影響は、なぜか浅い。深さが162kmと深く、首都直下地震とつながりが無いと報道されたせいというより、近隣の知人たちは、「地震に"飽きている"」とでもいうような呈である。「危険が迫ったとき、教えてくれるから大丈夫」という某訪問介護ヘルパーさんの言葉もあった。平常性バイアスと言っても意味が無い。
私が引きこもりの青少年と会ってきて、感じていることは、自分の将来に対する幻滅や挫折とともに、「ひとは自分のことのために行動するのではなく、他人(ひと)のために、必要とされる者のために情熱的に行動する」という原理的な経験だった。関わりの中に己のアイデンティティーを確立するのだ。
これと同じことが災害対策にも言えるように思う。私は質的に危険を伴うこと承知で、あなたの行動で具体的な守れるひとのことを考えてみようと思う。あなたの命のための防災というスタイルは、一考の余地がある。
JR相模原の塾に行った。仕事を終えて「金曜災害ミニ・カフェ」の話をした。一番よかった番組を塾でも観ようと塾長が言い出して、「お」断りしてきた。私が偏屈爺ぃだからだ。
帰りにサポセンに寄った。「Online PicUp No.042」と「ミニ・カフェ5月予定表」の掲示依頼と、ビッグイシューの配達があったのだ。サポセンの掲示板転載と、災害ボラ宛助成金紹介を勧めてくれた。感謝。
母と待ち合わせて、久々に煮魚を食べた。煮魚は手間隙がかかるせいか、焼魚や刺身が多い。偏屈が治まらなかったせいか、母に池上彰氏の「経済教室」のなかで「終戦時のインフレ失業者吸収のため、大量の国鉄採用をしたことで、過剰人材がJR化の原因となって、職員整理をした」と、「おや?」と思うことをさらりとまぜたことを、「注意して聞かないといけないねえ」と母に話して、母におひたし一皿を取られた。またわけのわからないことを言っているという風。
まあ、ともあれ問題は「池上彰」の顔は浮かぶが「名前」が出てこない。母も誰だか通じたのだが「名前」忘れもつきあってくれて、認知症予備軍と親子でボケを確認することになった。情けなし。
夜間傾聴>鶴が台の**さん(お久しぶり)
(校正2回目済み)
2014/05/04 記
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この間、震災津波・災害時医療のTV番組を録画しておいたので、記録を整理していた。いい番組が多いのだが、私の狙いの「次に何をなすべきか」という点が見えてくる番組に絞りたい。
余裕を持って、東日本大震災の際の予備知識を得るという番組もあるが、東日本大震災の規模がいかに強大なものであったかという確認は、新ためて身震いするが、過去のものと心のどこかにささやく声が払拭できないだろう。南海トラフや首都直下型地震が近いという認識が無いと、この声は払拭できないし、娯楽版のスリルのあるドキュメント画像と大差がないからだ。
6月分の組み合わせが出来た。日程はサポセン未確認、変更することがある。
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5/5 05:18相模湾を震源とするM6.0の地震があり、湘南は震度3、東京23区は震度4~5弱の揺れとなった。長い…。伊豆大島の近海、震源の深さ162km。
このままでいいはずがない。対策を打っていかなくては…。
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夜間傾聴>なし
(校正1回目済み)
2014/05/03 記
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Win8.1のPCの環境セットをしていた。タブレットの必要が無いので、魅力を感じない。ともあれ、テキストエディタとキャプチャは、使い慣れたものをインストールしたが、IEに警告がでていたので、別のブラウザも入れた。しかし、フォントや、圧縮解凍ソフトとロゴ作成が欲しいが、使い慣れたソフトがないので、あちこち探していた。フォントが合わないのが参った。XP時代のフリーフォントを使ったデータがかなりあるが、これらのフォントはVer.Upしていないので、Win8.1で転用できるかわからない。
**子から深夜電話が入って、受話器を置いたら携帯に昨日のふたりから、大正大へのガイドをメールで頼まれた。スマホの地図アプリを使えと応答。とにかく彼らは距離感がない。
**子は祖母の1周忌で、留守番することになったが、金を親が忘れて出かけたから、コンビニ弁当が買えないと泣き声を出していた。親の携帯に連絡すると、冷蔵庫のものを使って、自炊しろと言われたが、どうしていいかわからないという話。1時間強話したが、なかなか自炊しない。**子は、好き嫌いが多いので、冷蔵庫を開けても、好みの調理ができないようなのだった。玉子ご飯すら、飯を炊けないということで、とりあえず電気釜の使い方だけコーチし、なんとかなった。あとは知らん。軽度の認知障がいがあるので、段取りをカードに書かせ随時実践した。真夜中だというのに、炊飯ごっこ。
「金曜災害ミニ・カフェ」の補助資料をまとめている。資料をばら撒くのはやらないが、フリー・スクールと学習補完の関係を被災地の被災児支援とからげてまとめた。「仮設の狭さ、家族の家計、多重債務等による家庭不安等の悪条件下」の子どもの進学受験学習が影響を受けている。
もう1本が「ろう者にとっての携帯メールの大切さ」の話。
夜間傾聴>**子
ひとり
(校正1回目済み)
2014/05/02 記
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奈良と大阪からオンライン上のお付き合いの友人が上京した。オフライン初対面。新横浜で初対面。彼らの言うスカイツリー登頂なる話は勘弁してもらって、寿町と中華街を駆け足で案内してきた。ふたりともビッグイシューの購読者である。金欠だから贅沢もできず、3人で3品、別に注文し、お互いで分け合うコース。彼らはその足で渋谷に出かけて行った。一発で教育系の癖のある顔。彼も私の白髪頭で、すぐにわかったらしい。
ひとりが障がい児教育関連、もうひとりが教育社会論をやっている。私の頼みで被災下の障がい児者の生活復帰関連の論文が出ている紀要があれば、コピーが欲しいと頼んでいた。阪神淡路大震災関連に期待したのだった。すぐには見つからないよと言っていたが、案の定、空振り。みやげ話としては、奈良では関東より遠方のせいか3.11関連活動は冷え切っているとの話。南海トラフの話も、いまいちだという。大阪も一般には、対策は専門家にという風な学生が多いという。もともと災害ボランティアは、平常時は全く関心がないか、「こわいねえ」やら、「なったらなったときのこと」で終わってしまうのが常だ。
災害弱者というくくりの広さが、自然発生的な活動に憂鬱な重石になっていることをどう思うかとふたりに尋ねた。高齢者の話は障がい者畑の方が、話をかわしてしまい、逆も然り。別々に活動を組んだ方がいいのだろうかという話。「要援護者」も、もともと見渡すのに便利という行政の概念ではないかという。どうなんだろう。
最近の気になる書籍では「災害ボランティア―新しい社会へのグループ・ダイナミックス」があると話をしたが、この辺もかみあわなかった。まあ、お互い、なにも連休に遊びに来てまで、穴掘りしていなくてもいいじゃないかという仲裁が入って、店を出た。私はビッグイシューの販売員さんから、新規の買出しをしてから帰るので、横浜駅構内で別れたのだが。
帰りの混雑している東海道線の車内で、「金曜ミニ・カフェ」の命名が「金曜・災害ミニカフェ」ではないかとか、5/9は教育系の話と、「ろう」の方の「携帯メール」の重要性の話、誰にどう呼びかけるかカウントダウンを感じていた。
善意の活動を改革に一歩踏み出すと崖っぷちなのが災害ボランティア、MLでは言い過ぎと評判が悪かった。しかし中間支援屋はここに橋をかけなくてはならないのだとエアコンメーカーの広告を睨みつけていた。
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JR相模原の塾からメールが届いていた。すぐに来てくれとの話。全然気が付かなかった。すでに4時間がたっていた。電話をすると、3年前、一関の病院で難をのがれ、親子で相模原に住んで、塾に災害ボラを持ち込んでくれた**さんの容態が悪化し、今朝亡くなったという。手伝い要員がいるのに、連休で皆留守。手伝ってくれという内容だった。塾長に電話をしたが、なんとか若いのを確保できたという。葬儀は地元に帰って行うとの事で爺ぃは、お払い箱だった。
母は寝不足で寝込んでいた。和風大根と鶏の炊き合わせを作って食卓へ。母の関門突破。連休あけにプライマリィケア連合学会の元PCATに7月、災害医療系の懇談会の交渉再開準備。
夜間傾聴>なし
(校正2回目済み)