湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/16 聴覚障害者協会にメール/衆議院選挙速報を見ながら

2012-12-17 06:03:49 | 引きこもり
2012/12/16 記
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衆議院選挙速報を見ながらブログを書いている。この選択が東北の被災者、特に障がい者・無職高齢者・母子家庭の生活再建に逆風にならないことを祈るばかりだ。原子力村のいい加減な体制を作ったり、ゴシップを仕掛け、政治を空洞化させた政治家へ依存をする愚かしさ。結局同じですって。

今朝、聴覚障害者協会にチラシを添付したメールを送った。住所が非公開なので、メールに頼った。手話通訳確保に時間がかかる。何とか会えないものかということにこだわった結果だった。連絡の遅れ、申し訳ない。

サンシティひらつかに連絡。木曜クラブに再連絡。

個人連絡分、5名済み。

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来年3月2日の茅ヶ崎サポセンのワイワイ祭りに、TV討論のブースをたてようと考えている。49分の長い作品だが、東北の継続支援・湘南の防災を考える上で、要看護高齢者の避難の映像に留まらず、その訴えは障がい者にも読み替えられる重い問いを感じとれる。いかに要援護者支援が大事な課題であるか、それを論じ合いたい。12/20が申し込み期限。

●NHKスペシャル東日本大震災「救えなかった命~双葉病院 50人の死」をめぐって(12/8放送)

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相模大野からの帰り、お歳暮発送を頼むために藤沢小田急の催し物会場に行った。公務員のボーナスが出たこともあるのだろうか、いつもより若夫婦が多い。同じ階の飲食店街で焦って食事。図書館が17時に閉まってしまい、明日月曜日は休館日だからだ。(土日は巡回しても休みだ。メール以外効率があがらない。)平塚に向かい図書の更新、休み中のサンシティひらつかの事務所にチラシにメモ書きメールをつけて投函。早足で辻堂に戻る。辻堂図書館で図書の更新をしたところで17時を回った。すれすれセーフ。

父の入院している病院に退院前の様子を見に行く。父は一日中眠っている。月曜日はS君の就労相談で出かけるので、支度をしておく必要があった。結局空きがないので、もとの老健に戻ることになっていた。介護タクシーを依頼。移送費およそ1万円。火曜日の退院の前に、退院手続きと入院費支払いが待っている。これを月何回もやられると、支払いで身動きがとれなくなる。

母に電話すると、母は風呂に入っていた。ひとりのときは風呂に入らないで欲しいと言ってあった。我が家の風呂場は祖父母と叔父の血が流れている。転倒はこわい。高齢者は柔軟に対応することが苦手になるのか、何回言っても母はひとりの時に風呂に入る。大腿骨骨折などやろうものなら、寝たきりになる可能性が高い。「お前はうるさい」と言われて,聞き流せず深呼吸する。

明日は、昼に集まり、13時から就労相談センターに連れて行く。帰りに県サポに寄る。間に合えば父の病棟に費用概算か出ているので受け取ってくる。訪問指導はお休み。

祈るような気持ちで、連続セミナーの参加申し込みを待っている。今日の時点で8名だ。

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大船渡から、タイミングの外れたメールがあった。春先に鎌倉で海産物の販売をするので、茅ヶ崎もやらないかという話。少し応答に時間が欲しいと返事。

今日は「津波そして桜」の上映会があった。どのくらい参加したのだろう。東北から気持ちが移っていないといいのだが。

夜間傾聴>中学生君(仮名・久々に)


(校正1回目済み)

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12/15 野人と空転(茅ヶ崎という閉塞性)/でも、やりましょう!

2012-12-16 05:38:34 | 引きこもり
2012/12/15 記
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活動を立ち上げるとき、気の知れた友人がある人は気がつかないかなと思われることがある。その仲間の自然律のようなものだ。災害関連活動では、地域集団のいわゆる「絆」であり、教育関連活動では「当人*家族*社会(学校)」という三項構造の拮抗という共通認識である。これらは一部であるが、その評価のあり方をめぐって、「常識」と「異端」という亀裂が走る。

特に業界とか組織というような、結束の強度の差こそあれ内部と外部の境界を持つものは、「常識」に「流儀」が加わっている。そこを客観視できる方か否かというところで、言葉は凍り意味を失う。

今日、翔の会の講演会に参加し、災害対策活動(あえて『ボランティア』と言わない。)の凡庸なあり方と、対象を「要援護者支援」と絞り込んだ活動と、それらを組織として経験を取り込もうとする意向との混濁した気分を私は味わってきた。

私は2000年の交通事故負傷を境に、活動実態のホームグラウンドを失い、再建のなかに活動を立ち上げ直してきた。教育活動としては、最悪の事件に断ち切られた自分のフリースクール志向の塾を閉鎖ののち、学力キャッチアップに強い関心のある某進学予備校と、在日外国人支援活動を行ってきた経営者の社会人の割合の多い塾の立ち上げに参加することができたが、事故中断。その後、今度は雇用関係のなかで職場に再参加したこと以外は、すべてを失っていた。2年間の入院生活や1年間の療養生活は、私にひととの出会いという偶然性の強い前提条件を、すべての活動の前提に錨のように覆いかぶせてきた。俗な言い方をすれば「浦島太郎、その後」である。

家族の介護という制約条件下、私は茅ヶ崎という地域に根ざすことを決めた。父が入所した今、その制約は緩和しているが、漂着地を失った言葉や、差別の軋みに耳をそばだて続ける限り、常識と流儀は前提にならない。自らの集団のひとのつながりに疑問をさしはさむ言葉は、常に組織の常識に弾かれてきた。

フリースクールを語るとき、第二の学校を主張することは、知のあり方を問う意味で、当たり前のことではない。知識という鋳型にはめこむことを、私は知の構造を知らぬものの論理と思う。学校という当たり前のことに異を唱えれば、接点が失せる。

災害ボランティアに「慈善活動と憐憫」を基礎にしないと語れば、多くの絆は断ち切られる。「外野応援活動」は、「自らの足元を見つめることのネグレクト」とか、「地域の絆=善は疑え」といえば変人でしかない。しかしここの常識は、極めてローカルな価値観だ。「共感」という言葉、「要援護者」というような「困難」打開が課題となるものに目を閉じないということに、こだわること。その視点からすると、今回の講演者は課題に何とかふれていたが、**氏は傍観臭が強かった。会全体に金魚すくいの水槽ごと棚に乗せた感があって、金魚を見ていないのだ。講師を実績メニューから選んでおり、現在の課題から選んだとは、とてもいえない状態、もっと焦点化した企画でないと、実をとることができないだろう。拮抗している前線、境界線の把握が活かされてくると、企画に命が宿る。

社会活動は、提案と立ち上げから始まる。既に流れがあって、その水を引きながら、支流を作り出していくというやり方は、水源のない私にはとれない。今ある「わーく」編集部のコアは、引きこもり青年のオンライン協力と、通過していく青年たちから成り立っている。予備校や塾も、「引き抜き禁止」というような労働協約があって、そこで知り合った若者と活動を立ち上げるわけにはいかない。その意味で既存の流れとその支流という活動の立ち上げ型は、私には意味をなさない。ならば「この指とまれ」型の活動、つまり「提案」の質を高めることに力点をおくことになる。

ところが受け手は、その中身より、誰が仕掛けているかということや、連携するメリットを背後勢力を読もうとする。まず活動を見せろということだ。いま・ここでなすべきことを私は明示し、まず隗より始めることにする。私は中学生のころから社会活動をしている関係で、茅ヶ崎の固定化した人間関係が見える。柔らかな活動は横浜・東京に出て行ってしまう。ここで、野人は何代も死に絶えている。しかし私は生きている。期待せず、まず自分が向き合うことを捨てないからだ。

私は茅ヶ崎に引きこもり青年の就労をめぐる相談カフェを立ち上げる活動をしたことがある。この実行委の参加者は意見の相違がある方たちがいて、講演会直前に対立の結果、双方とも参加しなかったため、痛みを広げないために中止にし、連絡の取れない講師に、当日坊主になって謝罪したことがある。その双方を責めるのではない。中間支援者の悲哀を、いやというほど味わってきた。そのことが影響していたのだが、私はある市議の方と出会い、ある活動を立ち上げることに協力を求めた。その方は企画当日都合が悪く参加しなかった。会は何とか終了したが、私の周囲は協力者が大半で、私と話し合って参加した「わーく」編集部のメンバーはひとりだった。引きこもり青年の登場というのは素晴らしいことなのだが、協力者頼みはダメという初歩的な壁にぶつかった。そのことが、その市議と連携するのは早いという判断に及んだのだが、その説明の回路は閉ざされてしまった。今回の会場でその方をお見かけしたが、視界から消えた。

今回の企画は、防災の講演会であったが、断絶の見える出会いの会でもあった。チラシは80枚近く配布してくださったし、明らかに目を通してくださっている方が、あちこちにいる光景は嬉しいものだった。いま・ここでやらなければならない沈黙できないことがある。そのメッセージだ。実現可能性を踏まえた大風呂敷だと思っている。

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朝、++さんからメールが届いた。ある専門職団体の会員にチラシを流してくださるという内容だった。感謝、嬉しいです。

衆議院選挙の前日、会合のあと食事で下車した藤沢の駅頭で、街頭演説の最後の追い込みをやっていた。チラシをくれたので、私もチラシをあげた。キョトンとしていたが、文面を見て数枚引き取ってくれた。「必要ですよね」それが、運動員君の応答だった。ちょっと嬉しかった。

相模大野校は、年末に清掃業者を入れる。私は障がい者関係の清掃業者を紹介した。提案より人数は減ったが実現した、これもちょっと嬉しかった。

母の嫌がる孤食、今夜はおでんを朝、仕込んでおいた。好物だから許すだろうとたかをくくっていた。帰宅後、鍋を開けて驚いた。ほとんど手付かずなのだ。プリンを食べたら胸につかえたから、もういいという。自分も食べるから、とにかくひとつ付き合えと母に迫り、大根とじゃがいもを食べさせた。目が離せない、「仕方がないな」とぶつぶついいつつ、煮締まったおでんを私もつついた。私は本来呑んべだが意志的に飲まないから、塩辛さが口に残った。

父の退院の準備が始まる。


夜間傾聴:ひとりあったらしい(固定電話・留守中だった)


(校正2回目済み)

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12/14 視覚障害者関連団体宅を訪問、他

2012-12-15 07:04:15 | 引きこもり
2012/12/14 記
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父の退院が決まった。12/18、予想通りの日程。しかし痛い。入院費・介護タクシー料。これからしょっちゅう入退院を繰り返すのだろう。父はついに流動食に抑えられてしまった。食べる意欲を削がれてしまうだろう。

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連続セミナーの参加依頼巡回を再開している。今回は

市視覚障害者福祉協会の**さん宅
生活クラブ生協事務局
ワーカーズコレクティブ一心
光と風(空振り)
わの会ワーキングハウス

だ。

**さん宅は、相変わらず方向音痴の私は、番地までわかっているのに、お宅の前を数回行き過ぎていたというか、頼みの通行人が通らないことに動揺して、約束の時間を40分も探していた。お待たせしてすみませんでした。

民生委員さんたちの要援護者リスト作りがあっても、自分は平気と断る方が多い。だから要援護者支援と言ってもなかなか総意は作れないとのこと。セミナーは、経験と意見の交流会なのであって、拘束力取得を目指さない。気に入った話を持ち帰ってくれればいいと説明し、世話人会に紹介してくださるとのこと、感謝します。

被災時、視覚障がい者も大変な困難に出会う。ぜひ参加してほしいと思う。聴覚障がい者関係は住所非公開なので、メールをだす。

**さんのご指摘のように、防災をめぐる議論はいくつも、行政まじりで要援護者対策の話を詰めている。それと混乱しないかという疑問が投げかけられました。ご心配無用。大規模災害は、従来の防災活動では不十分で、その転換を意識した意見交換をする。それ以上は望まない。交流の芽を維持していくことが実際上の価値となるはず。

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生活クラブ生協事務局は、コープかながわが空振りしたこともあって、避難所・仮設住宅のクロス&フード・サポートのお話をまた聞かせていただこうと思いますが、関係ワーカーズ・コレクティブの方にも紹介をお願いしてきました。

ワーカーズ・コレクティブ「一心」は、訪問介護の件で、関心を持たれたようで、参加検討へ。

「光と風」さんは、アパートに行って驚いた。看板がない。移転した模様。そういえばもう1年半、行っていない。サポセンに問い合わせの電話をかけた。Kさん、お手数かけました。

最後にまわった「ワーキング・ハウス」さんは、担当の方が帰るギリギリで手渡しできた。簡単に説明したが、伝わっていなかったかなと。

あとは聴覚障がい関係と、行政・市議・元町の家・トレイン・の再巡回。ともいき屋さんも行くかな。

明日は、翔の会の講演会。SW関連にチラシをまわしてくださることに。

現在、セミナー参加者現在8名。

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11時と19時半、訪問指導。年末の予定説明。

社協からビッグイシュー記載の自閉症の本の仲介を頼まれたが、どうしたものかと。

「津波、そして桜」の上映会が16日の日曜日にあるとか。全然情報が来ないことにショック。行けるかなと。訪問指導とバッティング。

「双葉病院」の「NHKスペシャル」議論できないか。BDプレヤー入手できないか。

夜間傾聴:橋本3君(仮名・久しぶり)


(校正1回目済み)

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12/13 視覚障害・聴覚障害関連団体の方にお渡しするCDの挨拶文から

2012-12-14 05:31:26 | 引きこもり
まずはご挨拶

------- ここから -------

はじめまして

私は自閉症スペクトラムや、神経症を抱える引きこもり青少年の社会復帰を行っています。社会復帰にもうひと息という若者の関わりのひとつとして、災害ボランティアへの参加を行っています。主に岩手県気仙地方(大船渡市・陸前高田市・住田町)の生活支援をしています。

その「災害ボランティア」の活動も2年目に入り、活動も様変わりしています。特に生活支援活動の重要性が増しています。一方、東日本大震災に触発されて、南海トラフ地震や首都直下型の地震が高率で発生の可能性が指摘されたことにより、地域防災が東日本大震災被災者支援の代わりの課題のように取り上げられています。

12/7 17:18 震度5弱のアウターライズ型地震といわれた三陸沖地震(のちに複合型と訂正された)は、震災津波が過去のものとする風化傾向に、冷水を掛ける継続した課題であるという警告となりました。

私たち災害ボランティアは悩みました。それは準備してくれる「入れ物に乗るような形の支援」は限界であり、東日本大震災で体験した課題は、火災・台風災害をモデルにした避難訓練だけではとても収まらない質のものでした。

それは今までにはない「避難の課題」であり、災害時要援護者には過酷な避難所生活へのシステマチックな、専門職と支援者、被災者自身の連携した関わりであり、長期戦に耐えうる横断型生活支援ネットワークの課題を、それぞれの方々の参加の程度を受け止める柔らかな、しかも的確な活動モデルを作る「生活支援の課題」課題でした。

象徴的に言えば、災害に迷える子羊・専門職の指示待ちの大衆を前提にした活動から、やれることの多様性を裾野に持つ自主活動促進の防災と東北被災者の継続支援を描き直す活動の重要さです。

量も質も従来の天災とは比較にならない大型災害に、まずは経験者・災害弱者となる当事者・要援護者を抱える専門職・関連行政・災害ボランティアの経験交流・意見交換の場を作り、課題を持ち帰っていただく、緩やかな出会いを意識した勉強会を作りましょう。もしかしたら二重化していた支援や、相互協力の糸口を生み出すかもしれません。

災害時要援護者の支援から、対話をスタートさせていきましょう。毎回具体的な場面を抱えるゲストを呼び、対話を蓄積しましょう。課題をお持ち帰りください。

まずは全3回のシリーズを組みました。2013年度も、予算の許す限り、年数回以上の会合を企画したいと思います。運営委員会(実行委)を作りましょう。

まずは、3回のシリーズをお届けします。ぜひ参加をご検討ください。


(2012/12/14 呼びかけ:「わーく」編集部 代表 飛田)

------- ここまで ---------

このあとに

●「(第一回)東日本大震災の経験から 援助が必要な方の避難所生活を考える」(12/26 県茅ヶ崎保健福祉事務所健康予防課課長・永井雅子氏 講演と経験交流)

●「仮設生活と地域福祉医療~被災者の孤立を防ぐために~ 生活再建期の東北被災者支援と湘南の防災」(全3回ガイド)

が付きます。

以上


夜間傾聴:ふたり
(校正1回目済み)

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12/13 南金目のおばあちゃん宅を訪れ/連続セミナー「なぜ領域横断交流をするのか」

2012-12-13 06:30:24 | 引きこもり
2012/12/13 記
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相模大野校から、小田急線で十数年ぶりの秦野駅に出た。ペットレスキュー支援紙を発行していて5人目、初めての猫長期一時預かり希望者のおばあちゃんが南金目から連絡をくれたのだった。茅ヶ崎の某動物病院の紹介だった。「ねこひと会」の被災猫情報をこの方に届けたのだった。東海大学湘南キャンパスのすぐそばだが、徒歩では時間がかかりすぎ。秦野駅から平塚駅行のバスを利用したのだった。

ちょっと考えると異常に思えるかもしれないし、情緒偏重の動物愛護を思い浮かべて失笑する方もいるかもしれない。実際このおばあちゃんの近所には、野良猫のたまり場があり、いくらでも猫を招き入れることもできた。しかし、話を聞いてみると息子さんが、東日本大震災への支援方法が途切れて、自分なりに支援の継続を望んでいたということで、そのひとつとして、最近他界した自宅猫を受け継ぐ猫を引き取ろうと考え、親(おばあちゃん)と相談したのだと聞いた。また動物病院の方も、仕事上の志向として、被災時、防疫とペットレスキューへの協力を考えている方だった。

私の提案する活動の「この指とまれ」方式の大空転の遠泳を行う身にとっては、東日本大震災継続支援と湘南防災を考える身にとっては、正面から協力を求めうる貴重な人々だった。その意味で私のペットレスキュー支援活動は、動物愛護から出発するものではなく、人々をつなぎ、ひとの心を開く鍵のような存在のペットを仲介することで、ひとの生活支援の震災ネットワーク、私の細々とした土台をひとりでも拡張しておきたかった、実はその意味で不純なのだった。

家中に手すりを張り巡らし、応答から玄関にでてくるまで1分かけて80代後半のおばあちゃんが現れた。12/15中目黒・12/23原宿で譲渡会が行われる。15日は翔の会の講演会があるので、23日に私が出かけ、猫を選んでくること、費用は東京1往復と茅ヶ崎<>南金目の1往復分の交通費実費を領収書交換で支払っていただくこと、そして受け取ってきた猫は動物病院を中継所とすることが決まった。話を終えるころには、前のキジ猫のエピソードや、自分の食べ物の嗜好まで、私を引き止めては話続けようとすることは嬉しくもあったが、30分間隔のバスに乗り遅れるので冷や汗をかいてお暇した。

予想以上に時間がかかり、生活クラブ生協は訪問ができなかった。コープかながわは案の定連絡がない。あとは本村の視覚障害者福祉協会と、聴覚障害者協会、地区社協、民生委員協議会を巡回する。今日は父の入院する**病院を回るため他を回ることができなかった。

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奈良**MLでは「釜石の奇跡」を論じることはできても、地域ネットワークの話や、災害看護とその支援の話となると、どうも乗りが悪い。教育関係者だからだろうか。欲求不満を感じていたところ、盲学校の教員の**さんが口を開いた。ROMされていた方。

私の活動は、それぞれの施設において避難計画や訓練が行われている。それを障害者・高齢者・母子など領域の違う方々を出会わせる価値がわからないという内容だった。

NHKアーカイブで「NHKスペシャル 東日本大震災『救えなかった命~双葉病院、50人の死~』」を見ると、施設だけで完結できないことがわかりますよと伝えておいた。福島・双葉病院は医療の必要な高齢者のための病院。大熊町の原発に近い施設で、避難命令がでたが、身を起こせない方も観光バスで、受け入れ先を探して迷走し、6時間後、医療設備のない体育館などに収容されたため、結果的に50名の死者を出してしまう。地域の受け皿と医療関係者が足らないのだ。

被災時には、一般傷病者も大量に流れ込む。介護の必要な障がい者の避難などには有資格者がフル回転するが、絶対に足らない。治療が必要な方もでる。こうした方々の保護と治療は地域が頑張らなくてはないが、その専門職の方々の家族も被災する。つまりスクランブルエッグ状態になる。収容施設も足らない。地域の連携というが、一般人はそこに協力できない、いや、気がつかない。迷える子羊、烏合の衆に収まっている。

こう言う急性期の連携メリットと、避難所生活・仮設住宅生活という非日常の長期化のなかの見えない弱者の危機は、地域・家族というような従来の枠組みからは、効果的な健康医療・生活ネットワークは自生しないので、もういちど現場体験に晒して考え直そうというのが、セミナーの趣旨。縦割り対応では限界。いかに避難するかという急性期の課題ばかりクローズアップされている現状から一歩進めて、避難生活をどう支えるかという課題も議論したい。横断型経験交流会なのである。

民生委員さんたちが勧めている、災害時要援護者の地域リストとの関連も活かしたい。

上記団体を回ったら、行政・当事者団体の2周目にはいる。


夜間傾聴;ひとり


(校正1回目済み)

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12/11 父の入院部屋移動の意味/連続セミナー湘南の生協から

2012-12-12 06:23:43 | 引きこもり
2012/12/11 記
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父の病院ベッドが上階に移ったことを連絡してきたと、母が朝8時過ぎに携帯電話を持って、私の部屋に飛び込んできた。午前中、私の電話はカットしてあるので、第三連絡先の母の携帯に電話が入ったのだった。就寝2時間後の宝の睡眠時間がまた壊された。11時には起きるので、なんとかならないものかと母に言ってあったのだが、年寄りは朝が早い、私が寝るのと母が起きるのとが同じで、様子は知っているはずなのだが、病院の話は別らしい。

父が上階に移ったことと、書類にサインが欲しいとのこと。

瞬間、肺炎を悪化させ、感染症フロア(隔離病棟)に移ったのではと、ひやりとした。どこの病院も感染症フロアは上階にあるからだ。「緊急の話なんですね」と看護師さんに確認。「午後でも大丈夫です」との応答を得て、急ぎ毛布をかぶって沈没した。

父は入院時、空きベッドがないので、整形外科の部屋に入っていた。それが内科ベッドに移動しただけ。深読みしすぎだった。サインする書類は、ただの治療計画書だった。

見舞い客も止まり、父の酸素マスクも取れ、朝は粥を食べたとのことで、まあ順調。やっと地元産の人参をぶら下げながら、コープかながわを回った。母の友人に届け物と人参のおすそ分けを持ち歩いていたのだ。明日は生活クラブ生協からワーコレを回る。

コープかながわでは、「説明は担当のいるときに」と、中断されてしまった。新横浜なので冷ややかなのだろう。個別の店では応答できないといわれていたのだ。

県サポに寄って、書籍の更新。足かせ人参を浜見平に届けて、家に戻った。今日は訪問指導が、先方の通院事情で変更になり、仕事にあぶれていた。

ねこひと会に連絡を取り、被災猫の長期一時預かりの子猫を仲介する手続きをした。23日に譲渡会がある。原宿だ。そこに取りに行くので、その前に南金目のばあちゃんのところに、写真を持っていく。息子さんが譲渡会に出てくれればいいが、効率からいえば、信じられない活動ではある。紹介の獣医さんに御礼の電話。

S君の件、とりあえず明日、神奈川の中小企業家の支部長のお店を逗子に訪ねて、帰りに生活クラブにたちよる。選挙の最中なので、話が通りにくい。

●「孤独死を防ぐ」  入手。


夜間傾聴;ひとり


(校正1回目済み)

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12/10 父の見舞い2日目/明日から巡回再開 他

2012-12-11 06:52:07 | 引きこもり
2012/12/10 記
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昨日の情けないブログを消すか否か迷った。母が早めの風邪薬で、症状悪化は免れた。母が友人に、父が会える状態ではないと電話をかけた結果、そちらは収まり、だが、ひとり、ふたりと人数は少ないが、私が顔を知らない従兄弟の連れ合いの兄弟などが現れたのは不可解なことなので、探りを入れたら,あっけなく原因が見えてきた。

私の従兄弟には民生委員をしている者がいて、父の死期が近いという誤報を拡げたようだ。困ってしまうのは、病院名が伝わっているので、先に病室に行ってしまうのだ。私たちがずっと枕元に待機していると思い込んでいる。我が家には、「病院に行ったがいなかったから」と、今日の客はいうのだった。だから病院に案内する手間は省けるのだが、我が家に居座るのだ。時間ぎりぎりに教室に飛び込めて、なんとかなった。

父は相変わらず、微熱が続いている。少し好転しているようだ。高齢者の誤嚥性肺炎や尿路感染症は珍しくもない。しかし男性の尿路感染症は性器の形状から、少ない。紙オムツの交換頻度が少ないか、陰部の清拭を怠っているのが原因で、それは老健のケアの程度が透けてみえることであり、しかし、この症状を繰り返して体力を失い、やがて死に至るその線上に乗ったことを意味している。だから心しておかなければならないのだ。

今日は母は予約のリハに行った。その留守に顔も知らない親戚が、見舞い帰りと化物屋敷のような我が家にやってきた。相手は私ではなく母に会いにきたので、母が夕方帰宅してからも居座っていた。彼らは本を畳の上に積み上げると畳が痛むから、本棚に入れた方がいいという。本棚は接地面積が少ないので、安普請の我が家では床が抜ける。接地面積を広げているのだと反論。相手は驚いて納得するが、実は真っ赤な嘘。面倒回避の結果なのだった。母が実態暴露する前に、母が帰宅して着替える前に、無理矢理外食に引き出した。長丁場は夜の授業を欠勤しなければならなかった。外なら別れられる。

小田急線ホームから、震源地の従兄弟に抗議。これで得体の知れない親戚は止まるだろう。

とにかく程度が低い。東北に行くと放射能の影響があるから、年末年始は四国を回るのだそうだ。災害ボランティアもいいが、被爆するからいいかげんにしたほうがいいという。昔のトリスおじさん、目の水準(通じますか?)で、母が帰ってきた。ひとりは行政職員である。呆れている。

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明日から、連続セミナーの参加要請巡回を再開する。また、「ねこひと会」から被災猫情報を得て、担当者と南金目さんをつなぐ。今日も何も進められなかった。

ただ、岩手帰社間際の記者さんに、事情を告げたところ、電話でなら、OKとのことで、若干のボランティア状況の手がかり情報を得た。感謝である。また宿泊する気仙地域のホテル情報も教えていただいた。感謝。

都社協の用事と都中小企業団体(民商にあらず)の打診は済まなかったが、S君の件で、相談の端緒だけはつけてきたいと思っているのだ。

ブログを見ていただいている方に申し訳ないので、気になった書籍を少し紹介する。

●「空き家・空きビルの福祉転用: 地域資源のコンバージョン」
●「東日本大震災とフードシステム―復旧から復興に向けて」
●「看護白書〈平成24年版〉テーマ 災害時における看護の力・組織の力―東日本大震災でつないだ支え合いを今後に活かす」
●「多様性社会の再生―被災地の現実 障がい者の働く現場 (ディプソル)」

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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12/09 父の見舞い客があらわれて

2012-12-10 05:36:17 | 引きこもり
2012/12/09 記
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父の入院2日目。人の口に戸はたてられない。普段付き合いのない従兄弟や、母の友人が見舞いにやってきた。予定がすっかり壊されて、一日が終わった。

社会活動にはタイミングというものがある。先日の長時間の地震は、東北の被災者の継続支援や、東南海地震・首都直下型地震の発生確率の高さを背景にした防災活動の必要性を訴えるには、直感的な実例となり、震災を過去へと押しやる愚かさを伝えていく好機だった。被災者には失礼な発想かもしれない。しかし、3.11が起きる以前の防災活動の高齢化は、ひどいものだった。関係者や知識人への3.11の影響の深さはあれ、一般市民へあたかも仮設入居が支援活動の終了かのような誤解を与えるステレオタイプ活動の無力が手伝って、活動の質的な転換提案が急務となっていた。脱原発に受け継がれている部分もあるが、被災地の現状や、太平洋側の沿岸部の身の危険は全く幕引きどころではないにもかかわらず、表面的には風化という無関心回帰は確実に進んでいたからだった。

父の事故に対するうんざりする気持ちは、愚かな逆恨みだが足元が崩れていくような不快感をぬぐい去ることができない。介護が長期化すると、被介護者の孤独や苦しみの直感的共感が失せていくのだ。父を憎む時期は何年も前に捨てている。しかし、愛情ではなく憐憫(れんびん)の情にふと気づいて、我が心を打ち消しているのもまた、情けない事実だ。東日本大震災と似ていないかと思いつつ、東北の方々から抑圧されていたわけではないと、馬鹿な再打ち消しをしている。

親戚と母の友人たちの奇襲を抱えて、彼らを病院に引率した。病室に一度に見舞いをいれると,他の患者さんの迷惑なので、待合室に待たせて、2回分けで面会させた。

東京の都社協待ち合わせで、帰社間際の某地方紙記者さんと、気仙地方の状況について、質問できる機会があった。一方では、60男がやることではないが「始末書」という情けない話を、墨が乾かないうちに、病院ツアーのために、またしても書かねばと焦りも感じていた。父はまだ呼吸が喘いでいる。抗生剤で熱が下がっても、微熱が続いている。来客に応答する気力がない。着替えなどはレンタルを利用している分、楽だが、客がストレスになっている。長居させるわけにいかず、待合室で交代して面会を早めに切り上げて、駅前で帰そうとしたが、食事をしてから帰ると親戚連中がいいだして、結局欠勤。夜間母が熱をだしはじめたため、今晩があすの出勤・欠勤を決める勝負となっている。

とにかく寒い。連続セミナー配布のQ&A資料を書いている。部屋の隙間から冷気が忍び寄ってくる。

南金目の高齢の方から被災猫を求める連絡が10回ほどあった。ニーズを感じている。

S君に昨夜会った。17日のカウンセリング予約の打ち合わせ。



夜間傾聴>**子さん


(校正2回目済み)


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12/08 父の入院騒動は一応落ち着き/三陸沖地震の現地状況はまだ/他

2012-12-09 06:37:54 | 引きこもり
2012/12/08 記
--------------
午前中に相模大野校に「始末書」を届けた。高校卒業程度認定試験の合格発表の余韻が残っている職員室に飛び込み、私の代役をしてくれた++氏に礼をいう。納豆は人間の食べ物ではないと主張する方だ。しかし60代になって「始末書」を書いているのは私ぐらいなものだ。**病院の父の名前の印字のある入院書式や、これから病室に届ける父の洗面用具と入れ歯を持っていった。理由を信じなかった%%君が嫌な顔して、職員室を出て行った。彼は母親を数回盲腸にしている、ないしょの話だ。

時間もないので町田経由で橋本に向かい、平々凡々と学習指導を片付けて、相模線に乗り込み、そのまま**病院に直行した。書式はすんなり受理され、病棟に向かい、父の容態説明を求める。

父は疲れきった顔で、半目を開けたまま眠っていた。待たされること40分。父は抗生剤で感染症を抑え、体調を見ながら流動物の飲食訓練をするので2週間以上かかると昨夜の医師がいう。一般に1ヶ月以上かかる人もいるというので、黙って若手医師の顔をじっとみていた。それにつづいて、延命治療の同意書、患者拘束の同意書を取ると言い出した。「先生、公表しますよ」と言葉を返した。「まあ、状況に応じて相談しましょう」に変わった。

何事もなく、短期というか中途で退院させて、治りが早くてよかったですねという布石、尿路感染症と誤嚥性肺炎(事故から数時間後に入院)で、1ヶ月入院させたら、本格的薮である。

枕元の看護師指示書に「尿路感染症」が書かれていないが、「尿路感染症」が診断されているとしていいのかと再確認した。尿路感染症は、おしめを常用する方には珍しくない病気だが、これはケアの粗さをいみするもので、男性の場合、頻繁に清拭していれば、やたらに起きることはない。排泄物がいつまでも放置されている環境で発症するので、これは老健の管理の粗さを意味するのですが、確かですねと医師に再確認する。動揺しながら、検査がそうでているのだから確かですといい、携帯呼び出しに救われて、医師は病室を出て行った。

病棟のローテーション表をくださいとナースステーションで表を見せてもらい(変更が多いので渡せない)、よろしくお願いしますと告げて帰宅した。

------

メールをチェックしたかった。大船渡から一通応答があった。それだけ。三陸町と末崎町で漁船が一斉避難したという話が聞こえてきたと書かれていた。これも情報が浅い。もう少し粘って情報を集めてみる。

------

S君と会った。若者サポステに行く前に、彼のことをもっと知っておきたかった。

母への夕食を出して、私はとにかく仮眠を取った。父の方は一応落ち着いたみたいだか、数日は身辺介護で通う。

それと就労支援関連のチラシを集めに、いかなくてはならない。

夜間傾聴:ふたり

(校正1回目済み)

p.s. 生活支援連続セミナー申し込み5人になりました。
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11/07 父の緊急入院/三陸沖地震打診応答まだなし

2012-12-08 06:52:26 | 引きこもり
2012/12/07 記
--------------
朝8時半、電話が鳴った。父の入所している老健からの緊迫した声の電話だった。父がパンのかけらを誤嚥(ごえん)して、呼吸ができなくなり、吸引をかけて異物(パン片)を取り出したが様子がよくない。***病院に搬送した。すぐに来て欲しいというものだった。

急いで病院にたどりついたが、入口がわからない。生垣で囲われて、大きな敷地をほぼ270°回って救急受付に向かう。内科の中央処置室にいるとのことで、重い扉を開くと、老健の看護師++さんがいた。

酸素吸入とショック対策をして、今は落ち着いて寝ているとのこと。カーテンの向こうに、憔悴した父が寝息をたてていた。

ひと安心したが、ここからが行けなかった。救急外来・一般外来・検査・事務のセクションがばらばら。次のステップまで1時間待たされたり、同じ質問がでたり、依頼が立ち消えになったりして、旧病院と全く変わっていなかった。

待たされている間に相模大野校に連絡。事情を話し欠勤連絡。若い事務員は全く信じていなかった。

1時間後、採血しXレイ撮影、若い医師が到着まで更に1時間半。検査結果を待つ間、45分待たされて医師が到着。入院が決定したが、病棟の空きはあるが、支度がいるとのことで、待つ間、入院受付を済ませる。入所施設からの入院なので、医療データがある。それを添付してだしてあるにもかかわらず、私に父の体重や身長を日常生活データを書かせようとする。父の勤務先を会社名ともに書かせようとする。90才近い者に意味がないではないかというと、過去の勤務先でいいですという。君は間違っている。私は治療と関係ない個人データを書くつもりはないと拒否。上司が出てきて、「不明」にしておきますとの話に抗議。結局空欄のまま病棟におくられた。

病棟では、看護師が書き忘れがあると、また父の勤務先を聞く。経過を話してやっと空欄の責任は事務方にあるとして、通過。今度は脳血栓で半身不随になっているのに、リウマチで半身不随とあった。なんでリウマチなのかと詰問して、出処をきくと老健の看護師が語ったことになっていた。老健が添付したデータのどこにも「リウマチ」の言葉はない。結局外来看護師のミスとわかった。しかし、父に認知症があり、弱いせん妄があるので、手の届くところにルートや、医療器具を置かないでくれと警告したにもかかわらず、TVカードの使い方を説明。父は筋書きのある番組を追えなくなっている。歌も好まない、意味がない。そう言っているうちに父が背後で点滴を倒して、血だらけになってしまった。マニュアル人間、だめだここ。

そう判断したものの、他の病院は、医師の縦系列が強く、治療を強要するので、父がカーテンを引きちぎって、即刻退院を命じられ、その件で病院事務方と1ヶ月もめにもめたり、もうひとつの病院は、主治医が1ヶ月を待たずに3回も変わったり、同室の別の患者の点滴をつけようとして私が発見とまあ、信じがたいことが起きている。父の転院先がないのだ。

ひとつの依頼に対して、看護師は交代してはいけない。必ずズレが生じる。

もめにもめて、いちおう病棟に父は収まった。次は老健だった。急いだので、入れ歯がない。制度上、入院すると老健の籍がなくなるので、すべての持ち物を持ち帰って欲しいという。こっちもかと思いつつ、午前中予約だった私の糖尿病検査をしに、閉院間近の医院に飛び込んだ。

すると採血途中で、三陸沖地震が始まった。血の気が引いた。東北から手を引いてはいけない。月並みな火災モデルの防災を踏襲していてはいけない。

すぐに気仙地方の知り合いにメールをだそうとしたが、通信規制がかかっていた。公衆電話から母を呼び出し、駅前で外食させ、母を路線バスに押し込んで、私は老健に向かった。

老健の非常口から入ると、父の衣類が大きな紙袋で4つ。そのほかに入れ歯などの小物が2つ。まとめられていた。

父の診断は誤嚥性肺炎と尿路感染症。特に後者はケアが粗い結果ではないか。それを指摘すると、おしめ生活の高齢者にはよくある病気という。父の食道からはパンが4つ出てきた。もともと誤嚥傾向にある入所者が4つつまらせるまで、観察していなかったのかという件は、明日現場担当者と話し合ってくださいとなった。しかし、両症状とも、何ヶ月も入院となる病気ではない。ここから次の病気を引き寄せるそのことが怖い。今、この山のような荷物を退院して戻ってきたとき、また老健に届けなくてはならないのかと問う。規則なのでとの応答。

自分がもともと持っていた荷物をいれると6つである。さすがに30分待ちの路線バスで駅前に出る気になれなかった。タクシーで家まで3千5百円。また退院すれば同じ金額がかかる。運転免許があっても運転できない状況にため息をつく。

とにかく、家について荷物を下ろして、さっそく気仙地方にメール。吹雪にやられている北海道の知人から喪中の葉書がとどいていた。

あすは午前中、病院と連帯保証人まわりをする。橋本で一件仕事がある。連続セミナー参加問い合わせ、高齢者関係から2件。詳しく話を聞きたいとのことで、事業所に1箇所説明に回る。夕方、S君と会う。その後相模大野校に始末書を書きに行く。1月に大船渡に行く。講師調整である。今回の地震で必要性が増した。

夜間傾聴>仮眠のため中止

(校正1回目済み)

p.s. 今回の地震関連記事から

●「三陸沖M7.3、津波1メートル 東北・関東で震度5弱」
●「津波高く…三陸沖の地震は「アウターライズ型」」

●「「いま、被災地は」 石巻市開北地区」

以上
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12/06 災害対策活動は空転覚悟ですすめという経験則が当てはまるとは

2012-12-07 05:49:14 | 引きこもり
2012/12/06 記
--------------
父の老健に連絡を取る。父に会うたびに心に黒い堆積物が積もっていく。話題が息詰まる。その中で父抜きの同窓会写真が昨日届いたと語ったところ、写真が見たいと言い出した。月末まで、昼間老健に行くことができない。だから写真を老健に郵送するので、仲介をお願いしたのだ。ただそのまま父に渡せば、写真を見ずに床に落としてしまうだろう。その意志のつなぎをお願いしたのだ。ひとは老いる。しかしそこには、様々な過去の余韻を引きずっている。父にいい思い出はない。ひとを傷つける言葉を行使し、だから動けなくなったとはいえ、責任がなくなったとはいえ、笑顔で機嫌を取り持つ気には、なれないのだ。だから寿司を差し入れても、夢中になって食べている父の食事が終わるまで、話をする気になれないのだ。しかし復讐する気にも、またなれないのだ。

母がお歳暮の品選びを言い出し、相模大野校の帰りに藤沢で合流することに。実は私には、連続セミナーの紹介巡回をできる限りまわりたかった。仕事上の付き合いの範囲だけなので、定型化しやすかった。任せてくれればと思いつつ、母を待った。家に電話すると母が電話に出た。長電話をしていたらしい。「今日はもうやめ、あすにしよう」と母に伝え、予定より少なくなってしまったものの、とにかく18時の「湘南子どもネットワーク」の主催の講演会には間に合わせたかった。

慶寿会の包括支援センターから、松林ケアセンターに行くといいと言われていたこともあって、アポを取っておいたのだった。しかし不便なところにある。茅ヶ崎からは高山車庫行で「松林」下車。徒歩10数分、バイパスの高架のそばにある。辻堂からは高架下の「松林ケアセンター前」で降りる。それぞれ、路線バス一時間に2本しかない。

約束の時刻にはぎりぎりで間に合ったものの、先方担当者は外出していた。無念だが、資料を置いてきた。ここから東小和田まで歩いた。「ケアセンター・光と風」に立ち寄ってきた。息切れ。**さんに笑われた。

------

コインロッカーからチラシの入った箱を取り出し、市役所分庁舎コミュニティホールに入った。近藤裕美氏の「ことばで気になる子どもに幼児期で必要な支援について」という主に口腔の脳神経医学系の講演だった。画像の多くは作業療法士さんのテキストからの引用だという。

つまみ食いをしていたので、大きななところでは新味はなかったものの、構文障がい・発音障がいを筋肉の動きから説明していった。発達の課題としてそれをみると、子の生活の日常動作が発達には欠かすことができないという「階層構造」が見えてくる。

会場はいつもと違い空席が目立った。年末は皆忙しい。保育士さんたちの集まりなので、災害時要援護者という危機感は弱い。60部持ち込んだチラシは4部減っただけだった。

街頭配布式のチラシを丸める方式は、講演会ではマイナスに働いた。まとめて討論資料と一緒に渡す方式の方が、持ち帰ってもらえる。しかし逆に、自分がチラシを持っていくという意志を見ることができる。災害への危機感は、こんなものだ。平常性バイアスがかかる以前の状態だ。

あすは糖尿病の検査に行く。また午前中だ。


夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)
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12/05 傾聴時間が延長戦で今までかかり、今回は行動メモにて

2012-12-06 06:54:07 | 引きこもり
2012/12/05 記
--------------
7日が高校卒業程度認定試験合格発表なので、やたらとメールが来る。雑用ばかりだ。携帯をマナーモードにして家を出た。

父の老健までは、やはり50分から1時間かかる。3時間は開けておかないとと思うが、思うに任せない。父は背もたれが傾斜する新型の車椅子に変わっていた。座っている父に頓着はない。

年末の予定を聞いて、玄関を出ると久々の顔。茅ヶ崎の訪問看護師の**さんだった。先方もびっくりしていたが、仕事中。あとで事務所で話そうということになった。伊勢原にでて、相模大野校の仕事を済ませる。私の定年話がいよいよ色濃くなってきた。来年度どまりか。

茅ヶ崎にもどり、今宿の看護学校へ。全く相手にされない。被災時、看護学生を地域に協力してもらう話は、通学圏が広域だということもあるが、「ふれあい」の医療法人ネットのなかで「ふれあい」系列の病院に配置する話が決まっているようだ。だから外部からあれこれ言ってもダメというところだろう。

次に「こどもセンター」に立ち寄った。アポなしだったが所長さんと話すことができた。不登校・引きこもりの青少年(この言葉管理っぽくて好きになれない)の話ばかりもりあがって、肝心な話にならなかった。質問を投げて理由がわかった。12/26は都合がつかないということ。3回シリーズと言って、やっと話がかみあった。

訪問看護の事務所は、鶴嶺西コミュニティセンターのそばにある。時間外だったが、センター職員の方にチラシを預けた。

訪問看護は夜間も続く。**さんが切り上げる時間になって、私は事務所にたどり着いた。というのも大きな看板がなく、道路から奥まったところにある。網膜色素変性症の夜盲の目には事務所の内側の掲示は全くわからなかった。

行っておどろいた。私の故・祖母と父の訪問介護のとき、電話サポートしていた方が、事務所におられた。**さんが事務所に帰ってくるまで、時間が経つのを忘れていた。

母は浜見平の友人と茅ケ崎駅に外食にでていた。
あすは「湘南子どもネットワーク」の企画が夜にある。その前に「松林ケアセンター」と「光と風」に寄る。

p.s. B2君をS君と呼んだのは、乱数で「S」が出ただけ。他意ない。


夜間傾聴>ひとり(からまっている)


(校正1回目済み)

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12/04 年の瀬じわりと(橋本3君の事件と)/S君サポートをはじめよう

2012-12-05 05:26:58 | 引きこもり
2012/12/04 記
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朝のゴミ捨ては5時台、夏場なら明るいが、今はまだ日の出前である。私の夜間傾聴が、相談中以外は終わる時間である。ゴミを捨て、日誌メモを書いて、ブログをアップ,歯を磨いて寝るからいつも就寝は6時台になる。このころから、いたずら電話がやたらにかかってくるので、モジュラージャックを抜いてしまう。起床は10時半ごろなので、あとは暇があると寝ている。こういう不規則な生活に入って30年弱になる。だから午前中に企画をやられると、その日一日地獄の様相となる。

ところが今朝、塾長から橋本3君が警察に保護されたと、専用携帯に電話がはいった。彼はバス通塾している。そのバスの車内で服を破られケガをしたというのだ。塾長が警察に飛んでいき、私がスタンバイしていてくれというのだ。

1時間後、塾長から先方からの暴力だという連絡が入った。いつも座る席に、荷物を置いている客に「そこは自分の席だ」と指摘したらしい。彼は一番前の席に座る。外の風景を見ている。しかしここは、子どもとせっかち人間も好きな席で、以前私が彼に、先に座っている人がいる時は、その人に座る権利があるのだと教えたことを思い出した。

塾長の話だと、「席は荷物置き場ではない」と橋本3君が指摘。その事に腹を立てた短気な客が、橋本3君につかみかかり服を破いたというもので、その際、服のジッパーで相手が「指にけがをした」と、相手は警察で息まいていたという。彼は服をやぶいたが、橋本3君にけがはなかった模様。

それはそうと、私は8時頃に起こされて、話が終わったのが10時すぎ。急ぎ仮眠をとったが、母が昼を待っているので12時前に支度に入ったが、ああ、相模線が寝床かと覚悟した。

この事件があったので、相模原には早く入った。やってきた橋本3君に塾長が飛んでいってハグ。「怪我しないでよかったな」と、やっている。私はここまで営業的には、なれない。

「危なかったな」と、私は橋本3君に声をかけ、筒抜けの職員会議に出た。塾長に「お疲れ様です」と声をかけると「好きでないとできないよ」と応答が返ってきた。そう仕事が好きということもあるが「不器用な彼らに親しみを感じる」という感覚がないと続かない。

私は相模原と周辺の若者と接している。茅ヶ崎の地元では、今回のS君(B2君呼称は失礼だからS君と呼ぼう。)は3年ぶりだ。大船のサポステの予約が17日でまがあるので、何回か会って彼を知っておきたい。彼の素敵なところを感じ取っておかないと、親しくなれない。

橋本からの帰り道、座れず立ったまま寝ていたが、海老名を過ぎて空席だらけのところで立って寝ているのに気づき、寒川で下車。寒川図書館はPCを使いやすいので利用しているのだが、書籍の更新を済ませて長居をさけて、館外に出た。

近くには精神障がいの方の作業所「喫茶・ともだち」がある。久々に店内に入り、帰り支度の**さんと会った。相変わらずのばっさり口調だが、連続セミナーのチラシを渡した。

急ぎ相模線に乗り、茅ヶ崎経由で辻堂へ。今の時間なら、駅の近くの「楽庵」さんに間に合うということできたのだが、予想通りセーフ。辻堂図書館の返却ポストに借りていた書籍を入れて、やっと荷物が軽くなった。買い物を済ませて帰宅。すぐに夕食の支度。食器を洗い終えてPCの前でバッグを開くと、22時を回っていた。夜間傾聴は25時、つまり午前1時に始まる。作業を中断して仮眠を取った。毎日がこんな調子だ。だから相模原の塾の紹介者しか、気持ちがあっても受け止められない。

あすは父の老健に行くので、帰りに平塚図書館と、今宿周辺を歩く。間に合えばペットレスキュー支援紙を一緒に持ち歩きたい。あとは松林地区。視覚障がい・聴覚障がいの関係団体を回るのが遅れている。高齢者関係だと産業道路角の「湘南ひまわり」さん、あとコミュニティセンターかなと。

仮眠している私の横に母が葉書を置いていった。遠縁の都内のおばさんの息子さんが、京都から投函した喪中の葉書だった。家を探し歩いた、目印の見えない東京の裏通りの夜の光景が浮かんできた。年の瀬だ…。冬期講習の前に、線香の一本あげられない侘しさがじわり迫ってきた。

夜間傾聴>ひとり


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12/03 大船のわかものサポートセンターに行き相談予約/湘南東部社会福祉士会の関係者と 他

2012-12-04 05:30:04 | 引きこもり
2012/12/03 記
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壊れたデスクトップをリカバリーしたので、環境を再整備する必要があった。昨日のフロッピーは、奈良**MLの@@さんが授業で使うから「くれ」というので、アルニコ磁石でアンフォーマット化した。買ったほうがかえって安いのではないかと思うが、送った。ラベルは先方ではがしてくれるという。

相模大野校からの帰り、藤沢のハローワークに立ち寄った。療育手帳B2(軽度)の彼の相談を持ちかけたい相手は、定年退職。特殊の相談窓口で割り込んで少し話した。はっきりと対象外とはいわないけれど、企業の障がい者雇用は、法定雇用枠を達成するために採用するので、積極的に雇用しようという意思は希薄だ。だから彼を受け入れられてしまうと、より重い障がいの方は、はみだすことになる。手帳を使わず、一般就労の方でさがしてくれないかというサインが散りばめられていた。一般就労の++さんの方に回ったが相談中。収穫がないまま、本命の大船の湘南・横浜若者サポートセンターの**さんを訪ねた。

**さんはお留守だったが、##さんに出会えた。彼の話をし、予約を取ることができた。柔軟な方で**さんとともに、引きこもり青年の就労には面白いカードを持っている方だ。日がなかなか空いていなかったが、2週間後の予約がとれた。ここの話が本命だろうが、中小企業の経営者団体の方も打診していく。

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時間が遅くなってしまったが、湘南東部の社会福祉士会関係者の職場に立ち寄った。中古車提供のとき、しんどい思いをさせてしまったらしい、申し訳なさが募る。

チラシを関係者の方々に流してくださることに。しかし平日の昼間ということになると、参加には重いものがある。研修のような形で出られそうなところにチラシを流してくださることに。

茅ヶ崎養護から参加者の申し込み有り。-------感謝です。

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帰りに精神の作業所「パインナッツ」に立ち寄った。日は落ち18時を過ぎようとしていたが、幸い知人に合うことができ、チラシを預かってくれた。

文教大の学生でいっぱいの路線バスで茅ヶ崎駅まで戻り、訪問看護の事業所を起こした方@@さんの事業所に電話。あす、会うことに。あすは雨。

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今年の「看護白書(平成24年度版)」は、東日本大震災がテーマに取り上げられている。さっそく予約した。

●「看護白書〈平成24年版〉テーマ 災害時における看護の力・組織の力―東日本大震災でつないだ支え合いを今後に活かす」


夜間傾聴:ひとり

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12/02 2013年度用のアンケートを作りつつ/私用デスクトップご臨終で

2012-12-03 07:02:26 | 引きこもり
2012/12/02 記
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廊下で操作していたデスクトップが朝の寒さのせいか、突然ご臨終となった。全5台のうちの1台なので、直接の影響はないが、私用のメインPCだったので、フリーフォントなどが一番つまっていたPCなので、リカバリーして無念を味わっている。古いPCなのひどいロー・スペックだがキーボードが打ちやすかった。

私のPCは皆古いものばかりだが、公用とは分けてある。私用はあと1台しかない。金欠の年の瀬に、まずいなと思いつつ、そろそろiPad なのかなと思い始めている。古い友人のアドレスが消えてしまい肝を冷やしたが、古のフロッピーディスクに生き残っていてほっとした。ただフリーフォントが消えてしまった。古い友人のデータが消えると年賀状が書けなくなる。

データは公私ともにバックアップしてあるからいいのだが、さすがにフロッピーは限界なので、USBメモリに移し替える作業をやっていた。冬期講習用の補助教材を仕上げていたので、やりたくないことは、後回しにするのだなと嘲笑しつつ、データ移動を黙々と作業した。今度のプラごみはFDでいっぱいになりそうだ。数百枚ある。デジタルデータを配布するにはいい安価なメディアだったが、相手がディスクドライブを持っていないと話にならない。PCのハードディスクをはずして、愛機は大型ごみとなった。

とにかく土日は相手に会えない。だから橋本の個人指導を重ねていたが、ひとりは風邪。もうひとりは前日、塾長のカウンセリングを受けた後、ついでとやらで塾長が面倒をみてしまったので、メガネ販売チェーン宛のメールを書いていた。震災のとき、メガネを失うと行動が制約をうけるので、東日本大震災のときCSR(企業の社会的貢献)を行う地方チェーンがあった。そのメガネチェーンを探して、これは2013年度の講演企画に取り込めないかと打診していた。あとひとつは書籍「そのとき薬剤師は医療チームの要になった」に登場する薬剤師会だ。医薬品の調達だけでなく、看護師・保健師さんとともに、個人の常備薬リストつくりを行った。

こうした方々は、地元に活躍した方がいらっしゃれば懇談し、そうでなければ通信のようなものを出して、そのなかで紹介していく。のちに被災時、必ず新しいつながりが生まれてくる。その基礎リストとなるだろう。パンフレットを作りたい。

あとは、以下の記事の主催者との連絡だ。

●「被災者の自殺予防へタッグ 岩手に2月、民間団体が連携組織」

時間切れ。ここまで。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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