2012/12/13 記
-------------
相模大野校から、小田急線で十数年ぶりの秦野駅に出た。ペットレスキュー支援紙を発行していて5人目、初めての猫長期一時預かり希望者のおばあちゃんが南金目から連絡をくれたのだった。茅ヶ崎の某動物病院の紹介だった。「ねこひと会」の被災猫情報をこの方に届けたのだった。東海大学湘南キャンパスのすぐそばだが、徒歩では時間がかかりすぎ。秦野駅から平塚駅行のバスを利用したのだった。
ちょっと考えると異常に思えるかもしれないし、情緒偏重の動物愛護を思い浮かべて失笑する方もいるかもしれない。実際このおばあちゃんの近所には、野良猫のたまり場があり、いくらでも猫を招き入れることもできた。しかし、話を聞いてみると息子さんが、東日本大震災への支援方法が途切れて、自分なりに支援の継続を望んでいたということで、そのひとつとして、最近他界した自宅猫を受け継ぐ猫を引き取ろうと考え、親(おばあちゃん)と相談したのだと聞いた。また動物病院の方も、仕事上の志向として、被災時、防疫とペットレスキューへの協力を考えている方だった。
私の提案する活動の「この指とまれ」方式の大空転の遠泳を行う身にとっては、東日本大震災継続支援と湘南防災を考える身にとっては、正面から協力を求めうる貴重な人々だった。その意味で私のペットレスキュー支援活動は、動物愛護から出発するものではなく、人々をつなぎ、ひとの心を開く鍵のような存在のペットを仲介することで、ひとの生活支援の震災ネットワーク、私の細々とした土台をひとりでも拡張しておきたかった、実はその意味で不純なのだった。
家中に手すりを張り巡らし、応答から玄関にでてくるまで1分かけて80代後半のおばあちゃんが現れた。12/15中目黒・12/23原宿で譲渡会が行われる。15日は翔の会の講演会があるので、23日に私が出かけ、猫を選んでくること、費用は東京1往復と茅ヶ崎<>南金目の1往復分の交通費実費を領収書交換で支払っていただくこと、そして受け取ってきた猫は動物病院を中継所とすることが決まった。話を終えるころには、前のキジ猫のエピソードや、自分の食べ物の嗜好まで、私を引き止めては話続けようとすることは嬉しくもあったが、30分間隔のバスに乗り遅れるので冷や汗をかいてお暇した。
予想以上に時間がかかり、生活クラブ生協は訪問ができなかった。コープかながわは案の定連絡がない。あとは本村の視覚障害者福祉協会と、聴覚障害者協会、地区社協、民生委員協議会を巡回する。今日は父の入院する**病院を回るため他を回ることができなかった。
-------
奈良**MLでは「釜石の奇跡」を論じることはできても、地域ネットワークの話や、災害看護とその支援の話となると、どうも乗りが悪い。教育関係者だからだろうか。欲求不満を感じていたところ、盲学校の教員の**さんが口を開いた。ROMされていた方。
私の活動は、それぞれの施設において避難計画や訓練が行われている。それを障害者・高齢者・母子など領域の違う方々を出会わせる価値がわからないという内容だった。
NHKアーカイブで「NHKスペシャル 東日本大震災『救えなかった命~双葉病院、50人の死~』」を見ると、施設だけで完結できないことがわかりますよと伝えておいた。福島・双葉病院は医療の必要な高齢者のための病院。大熊町の原発に近い施設で、避難命令がでたが、身を起こせない方も観光バスで、受け入れ先を探して迷走し、6時間後、医療設備のない体育館などに収容されたため、結果的に50名の死者を出してしまう。地域の受け皿と医療関係者が足らないのだ。
被災時には、一般傷病者も大量に流れ込む。介護の必要な障がい者の避難などには有資格者がフル回転するが、絶対に足らない。治療が必要な方もでる。こうした方々の保護と治療は地域が頑張らなくてはないが、その専門職の方々の家族も被災する。つまりスクランブルエッグ状態になる。収容施設も足らない。地域の連携というが、一般人はそこに協力できない、いや、気がつかない。迷える子羊、烏合の衆に収まっている。
こう言う急性期の連携メリットと、避難所生活・仮設住宅生活という非日常の長期化のなかの見えない弱者の危機は、地域・家族というような従来の枠組みからは、効果的な健康医療・生活ネットワークは自生しないので、もういちど現場体験に晒して考え直そうというのが、セミナーの趣旨。縦割り対応では限界。いかに避難するかという急性期の課題ばかりクローズアップされている現状から一歩進めて、避難生活をどう支えるかという課題も議論したい。横断型経験交流会なのである。
民生委員さんたちが勧めている、災害時要援護者の地域リストとの関連も活かしたい。
上記団体を回ったら、行政・当事者団体の2周目にはいる。
夜間傾聴;ひとり
(校正1回目済み)
-------------
相模大野校から、小田急線で十数年ぶりの秦野駅に出た。ペットレスキュー支援紙を発行していて5人目、初めての猫長期一時預かり希望者のおばあちゃんが南金目から連絡をくれたのだった。茅ヶ崎の某動物病院の紹介だった。「ねこひと会」の被災猫情報をこの方に届けたのだった。東海大学湘南キャンパスのすぐそばだが、徒歩では時間がかかりすぎ。秦野駅から平塚駅行のバスを利用したのだった。
ちょっと考えると異常に思えるかもしれないし、情緒偏重の動物愛護を思い浮かべて失笑する方もいるかもしれない。実際このおばあちゃんの近所には、野良猫のたまり場があり、いくらでも猫を招き入れることもできた。しかし、話を聞いてみると息子さんが、東日本大震災への支援方法が途切れて、自分なりに支援の継続を望んでいたということで、そのひとつとして、最近他界した自宅猫を受け継ぐ猫を引き取ろうと考え、親(おばあちゃん)と相談したのだと聞いた。また動物病院の方も、仕事上の志向として、被災時、防疫とペットレスキューへの協力を考えている方だった。
私の提案する活動の「この指とまれ」方式の大空転の遠泳を行う身にとっては、東日本大震災継続支援と湘南防災を考える身にとっては、正面から協力を求めうる貴重な人々だった。その意味で私のペットレスキュー支援活動は、動物愛護から出発するものではなく、人々をつなぎ、ひとの心を開く鍵のような存在のペットを仲介することで、ひとの生活支援の震災ネットワーク、私の細々とした土台をひとりでも拡張しておきたかった、実はその意味で不純なのだった。
家中に手すりを張り巡らし、応答から玄関にでてくるまで1分かけて80代後半のおばあちゃんが現れた。12/15中目黒・12/23原宿で譲渡会が行われる。15日は翔の会の講演会があるので、23日に私が出かけ、猫を選んでくること、費用は東京1往復と茅ヶ崎<>南金目の1往復分の交通費実費を領収書交換で支払っていただくこと、そして受け取ってきた猫は動物病院を中継所とすることが決まった。話を終えるころには、前のキジ猫のエピソードや、自分の食べ物の嗜好まで、私を引き止めては話続けようとすることは嬉しくもあったが、30分間隔のバスに乗り遅れるので冷や汗をかいてお暇した。
予想以上に時間がかかり、生活クラブ生協は訪問ができなかった。コープかながわは案の定連絡がない。あとは本村の視覚障害者福祉協会と、聴覚障害者協会、地区社協、民生委員協議会を巡回する。今日は父の入院する**病院を回るため他を回ることができなかった。
-------
奈良**MLでは「釜石の奇跡」を論じることはできても、地域ネットワークの話や、災害看護とその支援の話となると、どうも乗りが悪い。教育関係者だからだろうか。欲求不満を感じていたところ、盲学校の教員の**さんが口を開いた。ROMされていた方。
私の活動は、それぞれの施設において避難計画や訓練が行われている。それを障害者・高齢者・母子など領域の違う方々を出会わせる価値がわからないという内容だった。
NHKアーカイブで「NHKスペシャル 東日本大震災『救えなかった命~双葉病院、50人の死~』」を見ると、施設だけで完結できないことがわかりますよと伝えておいた。福島・双葉病院は医療の必要な高齢者のための病院。大熊町の原発に近い施設で、避難命令がでたが、身を起こせない方も観光バスで、受け入れ先を探して迷走し、6時間後、医療設備のない体育館などに収容されたため、結果的に50名の死者を出してしまう。地域の受け皿と医療関係者が足らないのだ。
被災時には、一般傷病者も大量に流れ込む。介護の必要な障がい者の避難などには有資格者がフル回転するが、絶対に足らない。治療が必要な方もでる。こうした方々の保護と治療は地域が頑張らなくてはないが、その専門職の方々の家族も被災する。つまりスクランブルエッグ状態になる。収容施設も足らない。地域の連携というが、一般人はそこに協力できない、いや、気がつかない。迷える子羊、烏合の衆に収まっている。
こう言う急性期の連携メリットと、避難所生活・仮設住宅生活という非日常の長期化のなかの見えない弱者の危機は、地域・家族というような従来の枠組みからは、効果的な健康医療・生活ネットワークは自生しないので、もういちど現場体験に晒して考え直そうというのが、セミナーの趣旨。縦割り対応では限界。いかに避難するかという急性期の課題ばかりクローズアップされている現状から一歩進めて、避難生活をどう支えるかという課題も議論したい。横断型経験交流会なのである。
民生委員さんたちが勧めている、災害時要援護者の地域リストとの関連も活かしたい。
上記団体を回ったら、行政・当事者団体の2周目にはいる。
夜間傾聴;ひとり
(校正1回目済み)