湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/09 父の見舞い客があらわれて

2012-12-10 05:36:17 | 引きこもり
2012/12/09 記
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父の入院2日目。人の口に戸はたてられない。普段付き合いのない従兄弟や、母の友人が見舞いにやってきた。予定がすっかり壊されて、一日が終わった。

社会活動にはタイミングというものがある。先日の長時間の地震は、東北の被災者の継続支援や、東南海地震・首都直下型地震の発生確率の高さを背景にした防災活動の必要性を訴えるには、直感的な実例となり、震災を過去へと押しやる愚かさを伝えていく好機だった。被災者には失礼な発想かもしれない。しかし、3.11が起きる以前の防災活動の高齢化は、ひどいものだった。関係者や知識人への3.11の影響の深さはあれ、一般市民へあたかも仮設入居が支援活動の終了かのような誤解を与えるステレオタイプ活動の無力が手伝って、活動の質的な転換提案が急務となっていた。脱原発に受け継がれている部分もあるが、被災地の現状や、太平洋側の沿岸部の身の危険は全く幕引きどころではないにもかかわらず、表面的には風化という無関心回帰は確実に進んでいたからだった。

父の事故に対するうんざりする気持ちは、愚かな逆恨みだが足元が崩れていくような不快感をぬぐい去ることができない。介護が長期化すると、被介護者の孤独や苦しみの直感的共感が失せていくのだ。父を憎む時期は何年も前に捨てている。しかし、愛情ではなく憐憫(れんびん)の情にふと気づいて、我が心を打ち消しているのもまた、情けない事実だ。東日本大震災と似ていないかと思いつつ、東北の方々から抑圧されていたわけではないと、馬鹿な再打ち消しをしている。

親戚と母の友人たちの奇襲を抱えて、彼らを病院に引率した。病室に一度に見舞いをいれると,他の患者さんの迷惑なので、待合室に待たせて、2回分けで面会させた。

東京の都社協待ち合わせで、帰社間際の某地方紙記者さんと、気仙地方の状況について、質問できる機会があった。一方では、60男がやることではないが「始末書」という情けない話を、墨が乾かないうちに、病院ツアーのために、またしても書かねばと焦りも感じていた。父はまだ呼吸が喘いでいる。抗生剤で熱が下がっても、微熱が続いている。来客に応答する気力がない。着替えなどはレンタルを利用している分、楽だが、客がストレスになっている。長居させるわけにいかず、待合室で交代して面会を早めに切り上げて、駅前で帰そうとしたが、食事をしてから帰ると親戚連中がいいだして、結局欠勤。夜間母が熱をだしはじめたため、今晩があすの出勤・欠勤を決める勝負となっている。

とにかく寒い。連続セミナー配布のQ&A資料を書いている。部屋の隙間から冷気が忍び寄ってくる。

南金目の高齢の方から被災猫を求める連絡が10回ほどあった。ニーズを感じている。

S君に昨夜会った。17日のカウンセリング予約の打ち合わせ。



夜間傾聴>**子さん


(校正2回目済み)


コメント
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