2018/11/17 記
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13時から、文京区社協主催の「『
生活者』の視点から考える包括ケア×御用聞き地域包括ケア事例報告会- voice 05 - 」(文京区民センター) に参加してきた。
古市盛久氏が主導する(株)「御用聞き」の活動は、地域の高齢者福祉のケアネット、地域包括支援の先行きを示す触媒的ソーシャルビジネスだが、私にとっては、構造的な問題が外側にみえる。「御用聞き」活動のことではなく、活動が立つ基盤のことだ。それほどに活動の可能性は大きく、見逃すわけにはいかない。下記にその概要がわかるページをあげておく。
●5分100円の家事代行が高齢者とのつながりを育む。会話で世の中を豊かにする株式会社「御用聞き」
https://soar-world.com/2016/12/09/goyokiki/
● 高齢者の生活支援サービス続々 家族の負担減にも
https://style.nikkei.com/article/DGXKZO16550800Y7A510C1NZBP01
今回の事例報告会には、「御用聞き」活動の事例報告そのものではなく、その活動をしている学生さんの入れ込んだ姿や、感じ取り方であり、古市氏の敷いたビジネス流の枠組みの的確さの再確認だった。同時に福祉の側から見る接点を、社協がどう育てているかだった。
高齢者福祉の分野、生活支援への一般人の多様な関わり方を明示した、言い換えれば、高齢化社会の地域コミュニティのあり方につながる活動を示しているところに、「御用聞き」の活動の大事な価値がある。
もうひとつ大事なことは、「御用聞き」活動が「当事者との対話と協働」を基本にしていること。倫理的意味ではなく、本質的なことであることに、気づいていることだ。
今回の事例報告会で分かったことは、今までの事例報告会では見づらかった集団の内側からの活動の見え方。活動ポリシーの単純明示化の効果と、システム管理の確かさの確認などだった。
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私は東日本大震災を契機に、災害ボランティアの拡大と社会的認知の定着が進んだが、特に個人的意思表明としての参加が、基調となった。災害対策人員の募集という要請に応じるというより、災害の様相から自発的に行動を起こすという流れが特徴となっている。
しかし一方では、発災後の経過から、解決すべき課題が山積しており、外部支援者に委ねるざっくりとした課題と併行して、地元専門職が担当する人命に結びつくデリケートな課題が生まれてくる。特に外部支援者が引き上げていく仮設生活開始期以降、浮かび上がる地元専門職活動は、圧倒的な人出不足、担当者への負担増大は対策を必要としている。元の専門職有資格者への分担要請と同時に、専門職の外周部の育成を含んだ「仕事の切り出し」分担配置が必要になる。「必要」>「公募」の図式だ。
静岡の「市民トリアージ」は、この図式にはまる有効例だが、「食事会」や「共同内職作業」などと同時に、被災者孤立を避ける訪問活動がある。ここにティーンズの役割を考えた。
被災時、急性期の災害現場では、隙間埋めの労働力や、親への協力として動き、学校の管理下の安全労働や文化活動へと束ねられ、モラトリアム時空の学校の教科学習へと戻されていく。しかし彼ら独自の活動があれば、彼らも被災生活の中から、自主活動を始めるパトスがうまれてくるだろう。
私は災害ボランティアという視角からみているが、「ケア」活動には、そのポテンシャルがあると考える。
3.11の翌年、東京で集まった災害ボランティアの交流会は、ある種異様なものを見たという印象があった。中年主婦層・シニア層・ティーンズ層が全くいない学生&前期若年層ボランティアのざわついた集団と熱気だった。これは、今目の当たりにしている。「御用聞き」支援活動の熱気と同質のものだ。
これを基盤の差、社会活動の戦略性の有無と考える。私にとっての「御用聞き」支援は、孤立死を防止し、単身被災者をつなぐ、「裏の目的」を持ったものであり、専門職に触れる社会の学校がそこにふくまれているとかんがえている。「ひとに必要とされる経験」を含む活動は、施しではない相互が益と変化を受ける活動であり、その手応えが情熱を生むと考える。
個人的動機の活動のエネルギーは確かにあり、その活動は共感によって自然発生的にひろがっていく。ネット社会ではましてやそうだ。ただ持続を要求される「ケア」の分野に、どうとりこめるのだろう。帰り道、反芻していたのだ。
夜間傾聴: なし
(校正1回目済み)
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13時から、文京区社協主催の「『
生活者』の視点から考える包括ケア×御用聞き地域包括ケア事例報告会- voice 05 - 」(文京区民センター) に参加してきた。
古市盛久氏が主導する(株)「御用聞き」の活動は、地域の高齢者福祉のケアネット、地域包括支援の先行きを示す触媒的ソーシャルビジネスだが、私にとっては、構造的な問題が外側にみえる。「御用聞き」活動のことではなく、活動が立つ基盤のことだ。それほどに活動の可能性は大きく、見逃すわけにはいかない。下記にその概要がわかるページをあげておく。
●5分100円の家事代行が高齢者とのつながりを育む。会話で世の中を豊かにする株式会社「御用聞き」
https://soar-world.com/2016/12/09/goyokiki/
● 高齢者の生活支援サービス続々 家族の負担減にも
https://style.nikkei.com/article/DGXKZO16550800Y7A510C1NZBP01
今回の事例報告会には、「御用聞き」活動の事例報告そのものではなく、その活動をしている学生さんの入れ込んだ姿や、感じ取り方であり、古市氏の敷いたビジネス流の枠組みの的確さの再確認だった。同時に福祉の側から見る接点を、社協がどう育てているかだった。
高齢者福祉の分野、生活支援への一般人の多様な関わり方を明示した、言い換えれば、高齢化社会の地域コミュニティのあり方につながる活動を示しているところに、「御用聞き」の活動の大事な価値がある。
もうひとつ大事なことは、「御用聞き」活動が「当事者との対話と協働」を基本にしていること。倫理的意味ではなく、本質的なことであることに、気づいていることだ。
今回の事例報告会で分かったことは、今までの事例報告会では見づらかった集団の内側からの活動の見え方。活動ポリシーの単純明示化の効果と、システム管理の確かさの確認などだった。
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私は東日本大震災を契機に、災害ボランティアの拡大と社会的認知の定着が進んだが、特に個人的意思表明としての参加が、基調となった。災害対策人員の募集という要請に応じるというより、災害の様相から自発的に行動を起こすという流れが特徴となっている。
しかし一方では、発災後の経過から、解決すべき課題が山積しており、外部支援者に委ねるざっくりとした課題と併行して、地元専門職が担当する人命に結びつくデリケートな課題が生まれてくる。特に外部支援者が引き上げていく仮設生活開始期以降、浮かび上がる地元専門職活動は、圧倒的な人出不足、担当者への負担増大は対策を必要としている。元の専門職有資格者への分担要請と同時に、専門職の外周部の育成を含んだ「仕事の切り出し」分担配置が必要になる。「必要」>「公募」の図式だ。
静岡の「市民トリアージ」は、この図式にはまる有効例だが、「食事会」や「共同内職作業」などと同時に、被災者孤立を避ける訪問活動がある。ここにティーンズの役割を考えた。
被災時、急性期の災害現場では、隙間埋めの労働力や、親への協力として動き、学校の管理下の安全労働や文化活動へと束ねられ、モラトリアム時空の学校の教科学習へと戻されていく。しかし彼ら独自の活動があれば、彼らも被災生活の中から、自主活動を始めるパトスがうまれてくるだろう。
私は災害ボランティアという視角からみているが、「ケア」活動には、そのポテンシャルがあると考える。
3.11の翌年、東京で集まった災害ボランティアの交流会は、ある種異様なものを見たという印象があった。中年主婦層・シニア層・ティーンズ層が全くいない学生&前期若年層ボランティアのざわついた集団と熱気だった。これは、今目の当たりにしている。「御用聞き」支援活動の熱気と同質のものだ。
これを基盤の差、社会活動の戦略性の有無と考える。私にとっての「御用聞き」支援は、孤立死を防止し、単身被災者をつなぐ、「裏の目的」を持ったものであり、専門職に触れる社会の学校がそこにふくまれているとかんがえている。「ひとに必要とされる経験」を含む活動は、施しではない相互が益と変化を受ける活動であり、その手応えが情熱を生むと考える。
個人的動機の活動のエネルギーは確かにあり、その活動は共感によって自然発生的にひろがっていく。ネット社会ではましてやそうだ。ただ持続を要求される「ケア」の分野に、どうとりこめるのだろう。帰り道、反芻していたのだ。
夜間傾聴: なし
(校正1回目済み)