2017/03/25 記
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鉄ちゃん、案の定、家を脱出。再び身延線富士宮から連絡が入った。使用が禁止されている三脚の使用者をたしなめて、トラブルが起きた。駅員から親御さんに電話があって、親は身延線だろうなと予測はしていたものの、それは的中。ただ財布の残金がほとんど減っていないのが不気味。話を聴くに、野宿1泊していたことがわかった。寒さ対策をしていたものの、無茶は、またかというのが母親++さんの実感。塾長の奥さんが++さんを
愛車に乗せて、富士宮ドライブをしてきたという。来月から私の担当に戻る。
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「地元ティーンズ防災街頭研修のすすめ」を書いていて思った。「わーく」は、自閉症スペクトラムや鬱病を持っている青少年の訪問生活・学習支援をしてきた。手帳を持った方の障害のそれぞれの領域の活動があるが、私には発達障がいや、精神障がいの領域の接点はあるが、いわゆる障がい者の活動の側にしてみれば、「よそ者」に過ぎない。奇妙な話だが、所謂不登校・引きこもりの教育からのアプローチからしてみても、最近やっと発達障がいの知見が入ったものの「わーく」の仕事は、主流からみれば「よそ者」となっていた。一方、幼児・学童期の子育ての知能発達の偏りの是正のような発達障がいアプローチとも違う活動である。ゆえに、生活・就労支援と社会参加的教育の分野で自主活動を基本とする私たちは本当に境界域の活動をしていることを痛切に感じている。
特に障がい領域の活動の方からしてみると、私たちの主張や方針は、自主活動というより、外側からの支援でしかなく、要援護者支援活動そのものが、いわば「お節介」でしかないのだ。この断層は、以前から気づいていたが、「軽度」障がいの領域の活動という、「辺境の絵図」を、「協働の絵図」に書き換えていくその仕掛けを、いかに諸方策に織り込んでいくかに腐心している。
ましてや「地元ティーンズ防災街頭研修」の活動は、健常者の中高生世代へのラブコールであって、障がい領域や高齢者支援領域の外側からのアプローチとなる。
中高生世代には、発災時の「御用聞き活動」「親に自由時間を提供する活動」という独自活動領域があるために、いわゆる学校とティーンズの社会活動諸団体への協働申込は、障がい領域の活動からは、ますます離れてみえる。これには提案事例の中に、連携の糸を明瞭に残していく仕事が必要になる。
この部分の吟味が難しく、執筆はここで揺れている。あと一日。月曜には、県保健所の協力者のもとに、さよなら通信を届けたい。明日も出版執筆を続ける。
夜間傾聴:3月いっぱいは、休止
(校正1回目済み)