2017/03/12 記
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母のことは言えない。いつもなら、見えない側のつまづきは、反射的にフォローしている。ところが身を惰性のように動かしていて阻止されたので、なんとももろく転倒して、その瞬間のことを覚えていない。狐につままれたようだったのだ。湿布をすぐに貼ったので、尾てい骨は鈍い痛みは残るが無事だった。大腿骨をやったら、歩けなくなってしまう。
昔、私は生物調査のフィールドワークを企画して、子どもたちを引率できるように下見で鍾乳洞に入ったことがある。幸い私は闇の恐怖感はなく、知人と1泊することがあった。所有者との約束で、入洞許可代わりに、内部の観光写真をとって欲しいという依頼があって、ニコノスという専用カメラをM地持ち込んでいた。そのゴムパッキンが痛み、友人に交換部品を取りに戻ってもらい、ひとりで光を節約してビバーグしていたときのことだった。長時間の緊張が続いているのが原因なのだが、作業を終えて戻るとき、目の前に垂れ下がっている鍾乳石を観ていながら、次の瞬間、私は闇の中で目が覚めた。鼻血だらけになっていた。余裕を持って避けられたはずの場面だった。不思議な感覚だった。その瞬間が跳ぶのだ。
母が今、「めまい」で突然しゃがみこんでいることが、医者は原因不明としているが、わかるような気がするのだ。
いずれにせよ、建築騒音がない日曜日、久々に深く眠れたように思う。耳栓もはずれることがなく、当座は場面回避でいそうだ。
横浜の自閉症協会の3.11企画講演会の様子を聞く電話を入れたが、誰もでなかった。母のことがあるから、茅ヶ崎の「太陽の蓋」の上映会にでるのがせいぜいのことだったが、転倒事件も手伝って、「ぷれジョブ」の定例会のあと、そのまま帰宅したが、なんとなく取り残されたような気持ちにさせられていた。
生業の書式始末のことで、青色申告の手直しをして一日が終った。明日、申告書を出す。付け焼刃といわれても弁解のしようがない。
メルロが切れたと母。明日帰りに買うと私。もうヘソまげて居室からでてこないのに,閉口している。わずかな贅沢と主張されても困る。
<気になる記事>
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夜間傾聴:3月いっぱい休止
(校正1回目済み)