湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

10/24 神戸行で集めた資料を整理しつつ

2015-10-25 06:13:06 | 地震津波災害ボランティア

2015/10/24 記
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関西にでかけて仕込んだ資料の整理を済ませた。次に誰を関西から招くべきかの参考資料。神戸新聞に立ち寄れなかったのが残念。

人と防災未来センターの「講師所属団体情報紹介依頼」を担当者に伝えてもらう件、伝言ゲームの恐ろしさを踏む結果となった。阪神淡路大震災は20年が経っている。当時の現場担当者で、障がい者保護の体験者を捜すのは退職者も多く、困難が伴う。発災以降の保護活動を語れる公助の立場にいた担当者と接点を持ちたいので、所在等の情報があれば教えて欲しいという依頼に対し、「1)センターの語り部は派遣をしていない。2)経過については被災誌資料があるので、それを読むべし」という応答だった。若い方かなと思いつつ、社会活動が連綿として引き継がれている評価と認識がないなと、情報が得られないなとは予想してはいたものの、やはり箱ものの感を禁じえなかった。直接会っていたなら、こうはならず、「センターはそういう仕事の場ではないので」と断わられていたろう。この辺は、組織内震災体験者の爺婆でないと、非公式の言葉を漏らすその元の知識がないのだ。

メールには、了解しましたと書いたが、ため息をついていた。

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母が明後日、施設の遠足とのことで、手伝わされていた。以前、亡き父の所属していた老健の職員に阪神淡路大震災の被災体験を持つ方がいらしたので、念のため職員さんに、阪神淡路大震災の話がわかる方ご存知でしょうかと質問して驚いた。」やだな大震災は東北ですよ」というのだった。彼はスポーツ団体の関係で昨年仙台に行ったのだという。ありがとうと質問を閉じたが、20年は遠いと改めて感じた。

「わーくNo.059」に「No.058」休刊のお詫びと神戸巡回の報告を入れる原稿を仕上げていた。阪神淡路大震災のとき、いわゆる民間ボランティアの存在が特徴付けられたが、評価となると東日本大震災のときまで待たねばならなかった。しかし、全国から被災地に集まったボランティアの「お互い様(共助)」の発想の価値は、阪神淡路大震災をざっくりとらえる意味で、不可欠のものだが、水俣訴訟の際語られた生活者の視座からというひとの自らを問う視点は、「善行の酔い」が邪魔して深まらなかった。だが阪神淡路大震災の時代は個人の社会活動参加にウェイトを置いてみたほうがいいとされる。しかし私は質の高い活動は、地元の行政や医療専門職のなかにあると思う。私自身、災害ミニFMの後方支援をしていたので、外巻きではあったのだが。

前回のブログに載せたような、湘南の高齢者と東北の高齢者の地域的差異から、よりフィットしている活動を煮詰めていくために、都市型といわれる阪神淡路大震災の、特に対話型の諸活動を捜す必要があった。この鍵を握る方と合いたかった。峯本さんは、その地域の繋がりに、役割的に明かりを点してくれる方だと思う。その見通しの中で、ひとを求めつづければいいと思っている。峯本さんの著書の提案は、それはそれで重要だが、
ひととの出会いをひらく書でもある点で、その二極を追うつもりでいる。

峯本さんは西宮という場は、NHKバリバラのMC玉木さんの地元だという。玉木さんは茅ヶ崎にいらしたこともあるので、候補からはずしたが、面白い地域だなと思う。

まずは、今日、そのつながりの整理を終え、母の誘いから頬かむりして逃げ出していた一日だったのだ。

夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)

 

コメント
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