2015/09/20 記
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(前回の続きから)
東日本大震災の際、避難所に最期まで残っていた方々は、農業や漁業を営んできたが津波被害で全てを失ったが、地元への執着がある方が地元から離れた仮設に出ることに二の足を踏んでおられたり、行方不明の家族の捜索を続けるために、我が家に近い避難所からでることに抵抗があったりと、仮設の地理的条件が合わない理由の方がいらした。
また、遠縁の方の近くに引越しをするか、仮設に入るかというタイムラグがある方もいらした。仮設に入ってすぐ、仮設から出て行く訳にはいかないという事情を抱えてる方もいらした。
行政の転換のテンポは一律に合わせられない。避難所は統合させられ、仮設入居と差がなくなって、避難所の残留者は激変していった。
ここでもわかるように、被災者は様々な問題を抱えていた。しかしここで問題になるのは、石巻のように仮設入居が「抽選」で決められていたことだ。人気仮設への集中を分散させるためとのことだったが、結果的には集落単位が解体する事態になっていた。「抽選」は、あちこちで行われ、また仮設適地が遠方に分散していたところもあった。この結果、仮設の隣人が見知らぬ人間であり、相談できる相手を失い孤立する例が増加したのだった。特に男性は酒を除いた結びつきの手立てに不器用であり、その傾向が顕著に現れた。
こうした様々な問題を抱えた方の支援は、長期間連れそう必要が有るため、地元の保健生活専門職と、地元近隣のボランティア以外には無理があった。しかし、長期現地滞在者以外は、被災者の浮き草のような不安に寄り添うことができないのか。
外部の生活支援災害ボランティアたちは、仮設の集会所で、共同食事会やミサンガ等を元とした共同作業の推進や、団体の踊り、コーラス、家庭菜園など集団活動を通じて仮設コミュニティ形成を育てる活動を行った。お互いが出会うことで会話の契機となり、孤立解消の手立てとなるはずだった。バケツ足湯もまた被災者とボランティアとの対話を促進するものとして拡がって行った。
しかし、私の仮設巡回で見た状況は様相が違っていた。仮設をまわると、熟年の女性が元気よく料理を準備していたが、仮設の門のところで白髪の女性が杖を突きつつ仮設の入口に佇んでいるのだった。声をかけて話すと、「ああ、あれは嫁の集まりだよ」というのだった。集会所の様々な企画に身体が老衰した高齢者や、高齢男性の姿をそこに見かけるのは稀だった。企画参加しているのは「健常者」であり、いわゆる「孤立」を味わう人々はさらに影に隠れて見えなくなっているのを感じていた。
仮設は昼間は閑散としているところが多い。訪ねて歩くが人の気配を感じるが玄関に出てきてくれない家族があちこちに見られた。寝たきりの高齢者や障がい者、そして案外多いのが男性だった。つまり集会所などで行われている初企画は、元気な高齢者などの健常者以外の方をすくい取るには、網の目が粗すぎるというか、本当に支援が必要な方に届いていないのだ。
そうした危機感も手伝って、巡回看護師・保健師・PSW・CSWさんたち医療・福祉の専門職の方や、被災者の雇用を進めるための被災者による巡回相談員等の方々による個別訪問が始まった。しかしこれも、半壊の我が家や、倒壊を免れた知り合いの御宅に避難している仮設外の方々までフォローしているわけではなかった。仮設外避難をしている方は被災者の40%に及んでいるという。
仮設コミュニティの自治による定期巡回や、玄関に元気の目印の旗を出してもらう活動などの「見守り活動」が始まって、やっと孤立しやすい方との接点が生まれた。しかしそれでもなお、孤独死が生まれてしまっている。それは専門職の領域かもしれない。しかし浮き草のような未来の開けない漠とした不安に寄り添うボランティア活動はあり得ないのだろうか。
(つづく)
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足の痛みは日に日に改善しているように感じるが、まだ階段を下りることが出来ない。ペンギン歩きというか、カニ歩きが痛みを感じにくく、これを外出時にやるわけにもいかず、困っている。やっと腕輪のついた医療用の杖を使わずに済んでいる。頓服薬の効果だ。なんのことはない鎮痛解熱剤の入った風邪薬には必ず含有している成分の薬だ。ただ単位が多いというところだ。痛みは取れたが、失認があって困っている。
例えば、新聞記事を読んでいたとしよう。ふと気がつくと、隣の別の記事の列を何の疑問もなく読んでいたり、TV番組がいつの間にか終わっていたりする。握っていた包丁を持ったまま、まな板で切るつもりのジャガイモを置かずに,初めて包丁を握ったかのように包丁に気付くという具合だ。これは明らかに頓服薬による副作用だ。まずいなと思いつつ、対面指導・訪問指導のようなシビアな場は、まだ避けた方がいいようだ。
もうひとつ不可解なことも起きていた。膝を裏側を圧迫するように持ち上げると、膝下がぴうぴくと勝手に踊りだすのだ。これは芍薬甘草湯の服薬で止まった。
ともあれ、立ち上がったり、加重をかけて歩行する際に痛みを感じずに動けるようになったが、棒足のなりかけ状態のような痺れ感覚がある。炊事で長時間うつむき加減で立つ作業は、近くに椅子をおいておき、時々座らないと実行できない。立ち仕事は、長時間同じ姿勢でいることは無理。ぶらぶらと歩いていることはできても、急ぐことが出来ない。そんな状態が続いている。
生協までの買い物、短時間の雑草取り、洗濯、炊事をすることができた。しかし買い物袋をどちらの手で持つか試行がいった。傷む側の反対側で下げるのがベターだった。ビッグイシューが溜まっている。どうしたものか。
連休明けに網膜色素変性症の検査。足が御成門まで持つだろうか。国勢調査をオンラインで締切間際、登録終了。
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(校正1回目済み)