2015/09/09 記
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(前回の続きから)
公共避難所の自治運営会議の担当者に、いままで抑えてきた苦情と自己主張がぶつけられるようになってきた。一番困るのが赤ん坊の泣き声や、いびき・寝言への苦情。そして介護中のおむつ交換時の悪臭への苦情だった。場所を入れ替えても苦情は続いた。そして飲酒禁止のルール無視だった。煙草は案外少ない。火事の危険が納得できたらしい。避難所は毛布や衣類が多く危険はわかりやすかったらしい。しかし、運営委員に対する嫌がらせも登場した。大概は行政職員と勘違いしており、サービスが悪いという基調があった。自主運営が理解されないのだ。
こうしたさまざまの苦情を「相談窓口」設置でしのぐことが多いのだが、苦情は自衛隊の被災者捜索活動情報や、仮設住宅建設の進捗状況がはっきりした形で提示されないことへの我慢の矛先が向けられているようにも感じられた。
他の民間避難所では、公共避難所から情報を集めて、自分の避難所に掲示するというタイム・ラグを抱えた。特に物資配給や巡回診療日程などが後手にまわった。物資配給や巡回診療は、自分たちの避難所にも立ち寄って欲しいと交渉するが、後者は保健師さん、看護師さんの巡回のみで終わることが多かった。もちろん苦情の噴出は同じであり、避難所間調整会議がひらかれるようになっていった。
様々な問題が持ち込まれた。苦情担当者を回り持ちするが、ストレスが溜まった。運営会議は、こまごまとした苦情も話す場となって、現地ボランティア以外はなかなか話に入れなかった。複数の仮設に移れば、この運営会議の経験も引き継がれない。そういう過渡期のボランティアであることへの虚しさも噛み締めての行動ゆえ、その事情は運営委員以外には、通じない体験だった。
仮設が出来始め、避難所は段々人数が減っていった。しかし、この移転が更なるストレスとして災害弱者に覆いかぶさっていることを、隙間をあけず見通して行く目が必要だということは、考えていかねばならない。例をあげよう。家を新築したら祖父母が亡くなってしまったという話などは、類似した例だろう。
(つづく)
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季節が違うが電気ストーブを物置から持ち出した。必死の作業。腰のマッサージに使う。腰椎のレントゲン写真の縮小印刷版をもらって、たしかに椎間板ヘルニアの兆候ありと認めた。しかし長距離は休まないと無理だが、ランドクラッチがあれば、何とか歩ける。2000年の交通事故の頃を思い出した。今の痛みも同じ側だ。もう15年も前の杖なので石突きのゴムが劣化して、使ったら割れてしまった。介護用品屋に電話して事情を話すと、嵐の中というのに持ってきてくれるという。感謝して待っていたが、説明しても治療用の腕部分に差し込む輪があるタイプとしたのに、なんと持ってきてくれたのは、普通の杖。現物を見せたところ、取り寄せとなり数日かかるという。困った。数日間缶詰状態だ。11日の金曜には「金曜災害ミニ・カフェ」がある。なければ車になる。間に合うか、祈るような気分。
リリカという痛み止めが出ている。胃を悪くするようだ。痛みは薄らいだが動かない…焦る。
夜間傾聴:ひとり(逆に励まされてしまった)
(校正1回目済み)