湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

9/16 避難所・地域における回復期と治療支援&保健活動を切り出す(3-05)他

2015-09-17 04:23:05 | 地震津波災害ボランティア

2015/09/16 記
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(前回の続きから)

仮設には集会所が設けられた。阪神淡路大震災のとき、故・黒田裕子さんたちの医療専門職の活動の中から、必要が提唱されてきたことが、生かされた。

集会所は仮設のコミュニティを生み出す重要な環境だ。ここで共同炊事とお食事会が開かれたり、ミサンガなどの共同生産(おしゃべりが大事)が行われたが、この集会場は阪神淡路大震災の経験からは、推進者るには苦い教訓を伝えるものがある。

それは当たり前のことだが、集会所は環境に過ぎないことだ。阪神淡路大震災の生活再建の際、復興住宅の玄関エントランスの共有空間に贅沢な集会ロビーがつくられた。始め数ヶ月は談笑の声が聞こえ、自治会の活動も活気があったが、1年を過ぎたころから翳り始め、3年を経ずして人影が消えたのだった。行政の箱物的発想の限界だった。

そこには熱心な推進者がいて、入居者が納得する自主企画が提案されて、初めて空間が生きるという厳しいものだった。仮設はまだ長屋的交流が生きているから目立たないが、高層住宅モデルの復興住宅は、地域コミュニティの必然もなく、推進者のいない公共空間は、たちどころに風化してしまうのだった。

こういう先の危機感を持ちながら仮設コミュニティを生み出そうとしている者が何人いるか、先人の失敗の轍を踏むのか、特に行政関係者は、仮設コミュニティの中に息づく血流のようなものを見据えていく必要があるだろう。

(つづく)
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朝、目覚めるとき、足腰が引きつったように痛く、マッサージをするが、のたうちまわるのが落ちである。なんとか足首をもって起き上がり薬を飲んで少し待つが、尿意を催し杖を使って、立ち上がり、とにかくトイレを済ませる。こうして少し動くと若干痛みが取れてくる。朝食を食べる頃には薬が効いてくる。

顔を洗うときには前傾姿勢をとる、目薬を注すときは反り返る姿勢をとる。このいずれも背筋の痛みや、腰の大腿骨の付け根まわりの痛みは、変わらない。脊柱間狭窄症とは様相が違う。坐骨神経痛だよと母は言う。しかし期間が長い。

橋本に出かけた。頓服を使用。**君に事情を説明。**君は私の家に通うと言い出し、制止に手間取った。約束の日に急に調子が悪くなったとき延期させてもらうことを承諾してもらうことに、とにかく信じられないほど手間取った。延期するのはいつなのかにこだわるのは、アスペの子には本来伝わらない要求なのだ。毎回、事前に彼のところに電話を入れて、行う・中止するの2択を間に挟むことで納得してもらった。

相模線は確実に座れることが嬉しい。とにかく対面指導のひとりを納得させたつもりでいる。(甘いか?)

社会活動の制限がいつまで続くのだろう。椅子にも長時間座っていられないので、本を書見台にかけて、問題意識が中断するのでメモをしてから立つことにした。痛みが抜けたらまた座るのだ。この状態では拡大読書機が絶対にいる。目の焦点をあわせる苦労をすると集中できないからだ。

今日はともかく対面指導の子たちの了解を取ることに費やした。

安保国会のニュースが気になる。講師仲介を依頼した方に、月末の訪問をメールした。歯止めを自分にかけないと節操のない延期の甘い声になびきそうだからだ。最低限の仕事を維持すること。TVを横に置きながら、プラスチックゴミのゴミ出しの時間をみはからって平常の痛み止めの薬を飲んだ。日の出までに、書き込みを終える。

夜間傾聴>臨時休業

(校正1回目済み)

 

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