風邪を引いた。巡回も先方がすでに風邪を引いているところにいくという馬鹿なことをしている。うつしたといわれるのを避けてのこと。しょうもない。だから1件きり。残念ながら大森海岸君(仮名)は、元の塾の関連なので実費しかでない。まあいいかと会って、咳き込み合いに、喫茶席の周辺の引くこと引くこと。
彼はスーパーでアルバイトを始めていた。ただまだレジには立てない。父親の友人の店とのことで、不安定就労は多少規制が緩いらしい。友人の大森君(仮名)が覘きに来てくれるという。徐々に復活の兆し。彼の話は進学相談ではなく、職場復帰の話。
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昨日は、父の通所デイサービスの件で、母とケアマネさんと三者で話し合った。当人が頑として出かけるのを拒んでしまう。宗教団体の送迎が週3回あるから十分という話がケアマネさんからあったり、父は「養老院になぞ、行かん」というもの。楢山節考ではあるまいし、時代錯誤。
問題は、この宗教団体の集いは短時間であるにもかかわらず、食事と着替えで生活時間を輪切りに管理されてしまうこと。身辺自立ができていないうえ、放置すると自炊が火の始末で実際に危険な状態を起こし、一度はボヤにまでなっていること。方法を学習しないで失敗を繰り返す。出かける前に急に風呂に入り、一昨日は湯船で転倒した。目が離せないのだ。家族の息抜きの場を作りたいという意味がある。本人に家族拘束の意識が全く無いので、話が進まないでいた。私は祖父母の介護から続けているから比較してしまうのだが、家父長然としたがっている男はどうしようもない。茶の一杯、電話の応答ひとつ自分でやらない。沽券のために家族がつぶされてしまう。
今回の話で、ホームスタッフが来週父の説得に来ることになった。家族同伴でホームを見せることになった。とにかく寝室と茶の間、トイレの間を数往復程度しか歩かない。半身麻痺がじわり深まっているのに、まもなく歩けなくなる。宗教団体の送迎は男ふたりがかりで両側を支えて玄関先まで送迎する。これでは足が萎えてしまう。
まずは具体的な行動がひとつ決まった。
もうひとつの意味は、ホームスタッフとの慣れをつくること。いずれにせよ、このままでは寝たきり状態に移行するのは、まもなくのこと。その準備。
祖母のときからお世話になっているケアマネさんと話していると、時が経ったことを感じる。もう二十年になる。私が自分の塾を閉じ、他塾や予備校の契約講師に彷徨いでたのも、この介護が最大の原因だった。行く先々で学習困難児の認識の違いで衝突を繰り返し、外勤講師でようやく仮の棲家を得てきた。私教育の現場は低学力の子に微笑まない。正視する塾は、私を雇う余裕が無い。その塾でさえ、教え込み神話を抜け出すことが出来ない。祖母をきちんと送り出すことが出来たという自負だけが、闇の中の手ごたえとなっている。
今度は難関ですが、よろしくお願いしますと伝える。ずいぶん経ちましたよねえとケアマネさんの応答も追憶の中にある。その話、父は知るべくもない。
私の友人の看護師のメルマガはその辺、飄々としている。母上が癌と診断されて、遠方からの電話会話が載せられているが、ことばの間に情を感じさせる。送り出しという言葉がぴたりとくる。泥仕合の送り出しほど、悲しいものは無い。
父を除いた作戦会議だったので、近隣のファミレスを使って話をした。夕食の惣菜を買い足して帰ると、冷蔵庫から白い液体が流れ出していた。牛乳がこぼれていたのだった。野菜から食品パックまでびしょぬれ。その牛乳にぬれた足で茶の間をあるいた足跡があり、冷えたご飯に生卵をかけたのだろう卵の殻がたたみの上に落ちていた。
カロリー制限もなにもあったものではない。わずか1時間足らずの留守の間に、目を盗むようにして食事をしてしまっていた。しかし、ご飯に卵はわかる。牛乳をどうしたのだろう。全く応答しないので、知るよしもない。
ともあれ、介護の転換の一歩を踏み出した。掃除をすませ、巡回に出る前に、茅ヶ崎サポセンに寄って、PJ会議に欠席したMさん宛ての資料をMさんのレターケースに入れた。
すると前回の平塚のシンポに参加したしたのは公務だからと交通費を出すとSさんから、360円をいただいた。しかしどうもこの公務というのがしっくりこない。いつもどおり、カンパの形で返金するつもりでいる。
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大森から帰ると、身体がずっしりと重くなった。38度。2時間仮眠をとって、作業を再開している。喉が痛むので、夜間傾聴は緊急性がないものは、日送りさせてもらった。こうした仮眠を取ると、かならず無言電話がかかる。私を宗教団体の一員と勘違いして怒っているご近所さんがいる。ナンバーディスプレーで相手が分かるのに、それに気づかないので先方が年配者とわかる。たまにはひとの笑顔がみたくなる。しかしずれは次のずれを生み出す。
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橘木俊詔著の「封印される不平等」の中の対談で、佐藤俊樹氏がスウェーデンの断種政策という衝撃ある発言をしていた。(p.80)
スウェーデンや北欧では「特定の人々を遺伝的に劣った素質を持つとして、その人たちにできるだけ子どもをつくらせない政策をとってきたのです。障害のある人や犯罪者、さらにはロマ(いわゆる「ジプシー」)の人々も対象だったそうです。つまり、最初の出発点で強制的に強く均質化しておいて、その上で比較的平等な社会をつくってきた可能性があるんですよ。」
という。小国家ゆえに福祉政策が行き届く、そう思ってきた橘木・斎藤貴男・苅谷剛彦三氏が驚く部分がある。北欧各国戦後ずっとその政策を取ってきたのだという。国家は権力であるということをいまさらながら感じさせる一文。このことは市野川容孝氏が「世界」誌に「福祉国家の優生学」('99)として語っているという。
もうひとつ。
080324 朝日新聞東洋経済ニュースに、社会的企業の手法の試みが始まっている事例紹介がでている。一見の価値あり。
以上
夜間傾聴:******(本人)
(校正2回目済み)
彼はスーパーでアルバイトを始めていた。ただまだレジには立てない。父親の友人の店とのことで、不安定就労は多少規制が緩いらしい。友人の大森君(仮名)が覘きに来てくれるという。徐々に復活の兆し。彼の話は進学相談ではなく、職場復帰の話。
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昨日は、父の通所デイサービスの件で、母とケアマネさんと三者で話し合った。当人が頑として出かけるのを拒んでしまう。宗教団体の送迎が週3回あるから十分という話がケアマネさんからあったり、父は「養老院になぞ、行かん」というもの。楢山節考ではあるまいし、時代錯誤。
問題は、この宗教団体の集いは短時間であるにもかかわらず、食事と着替えで生活時間を輪切りに管理されてしまうこと。身辺自立ができていないうえ、放置すると自炊が火の始末で実際に危険な状態を起こし、一度はボヤにまでなっていること。方法を学習しないで失敗を繰り返す。出かける前に急に風呂に入り、一昨日は湯船で転倒した。目が離せないのだ。家族の息抜きの場を作りたいという意味がある。本人に家族拘束の意識が全く無いので、話が進まないでいた。私は祖父母の介護から続けているから比較してしまうのだが、家父長然としたがっている男はどうしようもない。茶の一杯、電話の応答ひとつ自分でやらない。沽券のために家族がつぶされてしまう。
今回の話で、ホームスタッフが来週父の説得に来ることになった。家族同伴でホームを見せることになった。とにかく寝室と茶の間、トイレの間を数往復程度しか歩かない。半身麻痺がじわり深まっているのに、まもなく歩けなくなる。宗教団体の送迎は男ふたりがかりで両側を支えて玄関先まで送迎する。これでは足が萎えてしまう。
まずは具体的な行動がひとつ決まった。
もうひとつの意味は、ホームスタッフとの慣れをつくること。いずれにせよ、このままでは寝たきり状態に移行するのは、まもなくのこと。その準備。
祖母のときからお世話になっているケアマネさんと話していると、時が経ったことを感じる。もう二十年になる。私が自分の塾を閉じ、他塾や予備校の契約講師に彷徨いでたのも、この介護が最大の原因だった。行く先々で学習困難児の認識の違いで衝突を繰り返し、外勤講師でようやく仮の棲家を得てきた。私教育の現場は低学力の子に微笑まない。正視する塾は、私を雇う余裕が無い。その塾でさえ、教え込み神話を抜け出すことが出来ない。祖母をきちんと送り出すことが出来たという自負だけが、闇の中の手ごたえとなっている。
今度は難関ですが、よろしくお願いしますと伝える。ずいぶん経ちましたよねえとケアマネさんの応答も追憶の中にある。その話、父は知るべくもない。
私の友人の看護師のメルマガはその辺、飄々としている。母上が癌と診断されて、遠方からの電話会話が載せられているが、ことばの間に情を感じさせる。送り出しという言葉がぴたりとくる。泥仕合の送り出しほど、悲しいものは無い。
父を除いた作戦会議だったので、近隣のファミレスを使って話をした。夕食の惣菜を買い足して帰ると、冷蔵庫から白い液体が流れ出していた。牛乳がこぼれていたのだった。野菜から食品パックまでびしょぬれ。その牛乳にぬれた足で茶の間をあるいた足跡があり、冷えたご飯に生卵をかけたのだろう卵の殻がたたみの上に落ちていた。
カロリー制限もなにもあったものではない。わずか1時間足らずの留守の間に、目を盗むようにして食事をしてしまっていた。しかし、ご飯に卵はわかる。牛乳をどうしたのだろう。全く応答しないので、知るよしもない。
ともあれ、介護の転換の一歩を踏み出した。掃除をすませ、巡回に出る前に、茅ヶ崎サポセンに寄って、PJ会議に欠席したMさん宛ての資料をMさんのレターケースに入れた。
すると前回の平塚のシンポに参加したしたのは公務だからと交通費を出すとSさんから、360円をいただいた。しかしどうもこの公務というのがしっくりこない。いつもどおり、カンパの形で返金するつもりでいる。
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大森から帰ると、身体がずっしりと重くなった。38度。2時間仮眠をとって、作業を再開している。喉が痛むので、夜間傾聴は緊急性がないものは、日送りさせてもらった。こうした仮眠を取ると、かならず無言電話がかかる。私を宗教団体の一員と勘違いして怒っているご近所さんがいる。ナンバーディスプレーで相手が分かるのに、それに気づかないので先方が年配者とわかる。たまにはひとの笑顔がみたくなる。しかしずれは次のずれを生み出す。
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橘木俊詔著の「封印される不平等」の中の対談で、佐藤俊樹氏がスウェーデンの断種政策という衝撃ある発言をしていた。(p.80)
スウェーデンや北欧では「特定の人々を遺伝的に劣った素質を持つとして、その人たちにできるだけ子どもをつくらせない政策をとってきたのです。障害のある人や犯罪者、さらにはロマ(いわゆる「ジプシー」)の人々も対象だったそうです。つまり、最初の出発点で強制的に強く均質化しておいて、その上で比較的平等な社会をつくってきた可能性があるんですよ。」
という。小国家ゆえに福祉政策が行き届く、そう思ってきた橘木・斎藤貴男・苅谷剛彦三氏が驚く部分がある。北欧各国戦後ずっとその政策を取ってきたのだという。国家は権力であるということをいまさらながら感じさせる一文。このことは市野川容孝氏が「世界」誌に「福祉国家の優生学」('99)として語っているという。
もうひとつ。
080324 朝日新聞東洋経済ニュースに、社会的企業の手法の試みが始まっている事例紹介がでている。一見の価値あり。
以上
夜間傾聴:******(本人)
(校正2回目済み)