嵐が過ぎ去った。父は年金生活の副業に小商いをしていた。本当に大した額ではないが、現役のアイデンティティを維持する道具としては十分でもあった。私たち家族はその仕事と納税を本人の仕事として投げておくことで、関心も持っていなかった。昨年までは、父が確定申告の期間が始まると早々と自ら申告を済ませていたので、今年もそのつもりでいた。
私の申告は、これも大した額ではないが複数収入の関係で申告の必要があり、いつも不精の結果、締切り間際に駆け込んでいた。今年は先週の金曜昼に済ませてきたので、やれやれと腰を落ち着かせようとしていたとき、父が出かけていないことに気がついた。横柄な対人応対と健忘、生活の家族への全面依存と強要、体調管理の放棄、粗暴な行動という頑固さの局地にあった父との諍いの最中であったが、申告の件を父に問うと、「どうしたかな」という具合に的がはずれた。
異常を直感し、仕事の元帳をみると夏場からみるも無残に誤記と中途放棄の残痕だらけで、仕事自身が破綻していた。家族はその様子を気づかないでいたのだ。まずいことに、顧客側からのアクセスに、その場しのぎに応対したものが散見されるために、この1日半で、収支を復元整理して申告し廃業申告を出す必要があった。
じわりと、認知症が昨年後半忍び込んでいた結果なのだった。
当人の防戦に妨げられながら、事態を説得。ともかく申告締め切りまで時間が無いので、ばっさり手術する思いで、確定申告第2ラウンドの突貫作業が始まった。結局17日の午前2時、提出準備がなんとか整った。
日曜に県サポで、ユニークな有償ボランティアのNPO活動紹介の集いがあったのだが、途中もそうだが、最後も手伝えないままで失礼してしまった。また私の巡回の方もこの時期、必ずなんらかの事件が起こるのだが、三度目のA子の失踪騒ぎがあったり、やっと先方の心が開き、私と話す状態にまでゆとりを回復してきた******君との、たっぷりとした時間の中での貴重な対話時間が取れなくなるという事態がうまれていた。本校の入学進路面談の応援の方は堪忍してもらったが、無事切り抜けられたので、駅に母を呼び出し外食し、父には弁当を買って帰宅。糸の切れた操り人形のように布団にうつ伏せのまま3時間、爆睡した。
認知症を舐めてはいけない。当人の生活の基本的なところで、表面化しなくとも虚ろな空洞が広がっているのだ。今回の事態も実は父は状況をつかめないでいる。家族の狼狽振りから自分の過ちらしさを推測し、的外れな謝罪しているだけなのだ。私は父の行動の変調に気づいていたものの、その状況把握や対応の押し付け合いを母との間で、やっていたように思える。しかしどこで父とつながりなおしたらいいのだろう。その関係更新を過てば、当人を管理の網にからめ取ることになる。それは双方にとっての過剰負担となり、父が転倒から動けなくなれば互いに自滅の道を転げ落ちるだけだ。
幸いここ数日中に、ケアマネさんに間に入ってもらい、長めのスパンのプランを作ることになっている。またデイサービスを中心とした、当座の通所サービスの、目的確認を踏まえた話し合いを持つ。ここしばらく忙しくなる。機動力を増すために、骨折復帰した私の右足と相談して自転車を買うことを検討してみようと思う。実のところ、昼夜逆転の私には昼間の急な眠気があるので、車や原付はこわくて乗る気になれないのだ。
また父の階段転落の件も階段途中に大きな枕を置くことにした。警告のツールである。寝室で眠る場合は2階にあがるため、そのときは枕を下に落として、階段通路を確保する。枕の障壁から階段をひとりあがる危険を思い出してもらう。極力1階の茶の間に居て欲しいと加えて説得する。
ケアマネさんとの事前の打ち合わせのとき、私の仕事やNPO活動への影響をぶつけて話し合った。今回、健康診断証明がでるので、デイやステイをどう組み合わせれば間が作れるかということも話している。特に父の事故や失禁に約束が中断せざるをえない状況が生まれたとき、既存の団体活動の一員ならしも、新しい活動を立ち上げようとしている者にとっては、この中断が致命傷になりかねない。そういう(介護にとっては日常茶飯時だが)緊急事態との関連を、父の保護の周囲のことではあるが、相互確認しておこうと思っている。通所は父にとっての、生活と人間関係の大きな転換点になるだろう。
今月後半は「わーく」の再立ち上げ関連の作業と、協力要請の取り直しに歩く。スタッフ作りである。うまく行くとは思っていない。「当事者活動を軸に持った就労支援」という「燃えない薪に点火する」活動だからだ。具体的なイメージ資料を作るので、その準備作業の試行錯誤をこのブログに載せていく。
東京の「オールニートニッポン」や、大阪の「ビッグイシュー」の放送があるが、私の主眼は、社会的に疎外された青少年の結びつきの芽になる交差点というかノードを作ること。様々な活動の契機をつくる場作りであり、それ自身ただの受け皿ではなく活動主体(社会的企業)の地域マスコミ活動であることだ。この点で、東京・大阪の社会問題解決の宣伝活動とは軸足が違っている。日常態、環境提供が主軸となるからだ。
引きこもり青年や軽度障碍の方のつながりのプログラムは、活動領域の境界線になりたつ活動のために、エンジンを持たなくてはならない。諦めと未踏の困難を抜けていかなくては、活動は立ち上がらない。しかしこの活動がたちあがったとき、特に「情報社会に生きる障碍者と社会」の関係を動かしていくことにつながっていくだろう。障碍者のQOLの部分だ。
今日私はもう一日巡回を休み、技術畑の研究者を求めて横須賀方向に行ってくる。問題は地元。現物を見せなくては動かない矛盾した現実をどう動かすかというこの一点。ブログに描いていこうと思っている。
夜間傾聴:******君
(校正2回目済み)
私の申告は、これも大した額ではないが複数収入の関係で申告の必要があり、いつも不精の結果、締切り間際に駆け込んでいた。今年は先週の金曜昼に済ませてきたので、やれやれと腰を落ち着かせようとしていたとき、父が出かけていないことに気がついた。横柄な対人応対と健忘、生活の家族への全面依存と強要、体調管理の放棄、粗暴な行動という頑固さの局地にあった父との諍いの最中であったが、申告の件を父に問うと、「どうしたかな」という具合に的がはずれた。
異常を直感し、仕事の元帳をみると夏場からみるも無残に誤記と中途放棄の残痕だらけで、仕事自身が破綻していた。家族はその様子を気づかないでいたのだ。まずいことに、顧客側からのアクセスに、その場しのぎに応対したものが散見されるために、この1日半で、収支を復元整理して申告し廃業申告を出す必要があった。
じわりと、認知症が昨年後半忍び込んでいた結果なのだった。
当人の防戦に妨げられながら、事態を説得。ともかく申告締め切りまで時間が無いので、ばっさり手術する思いで、確定申告第2ラウンドの突貫作業が始まった。結局17日の午前2時、提出準備がなんとか整った。
日曜に県サポで、ユニークな有償ボランティアのNPO活動紹介の集いがあったのだが、途中もそうだが、最後も手伝えないままで失礼してしまった。また私の巡回の方もこの時期、必ずなんらかの事件が起こるのだが、三度目のA子の失踪騒ぎがあったり、やっと先方の心が開き、私と話す状態にまでゆとりを回復してきた******君との、たっぷりとした時間の中での貴重な対話時間が取れなくなるという事態がうまれていた。本校の入学進路面談の応援の方は堪忍してもらったが、無事切り抜けられたので、駅に母を呼び出し外食し、父には弁当を買って帰宅。糸の切れた操り人形のように布団にうつ伏せのまま3時間、爆睡した。
認知症を舐めてはいけない。当人の生活の基本的なところで、表面化しなくとも虚ろな空洞が広がっているのだ。今回の事態も実は父は状況をつかめないでいる。家族の狼狽振りから自分の過ちらしさを推測し、的外れな謝罪しているだけなのだ。私は父の行動の変調に気づいていたものの、その状況把握や対応の押し付け合いを母との間で、やっていたように思える。しかしどこで父とつながりなおしたらいいのだろう。その関係更新を過てば、当人を管理の網にからめ取ることになる。それは双方にとっての過剰負担となり、父が転倒から動けなくなれば互いに自滅の道を転げ落ちるだけだ。
幸いここ数日中に、ケアマネさんに間に入ってもらい、長めのスパンのプランを作ることになっている。またデイサービスを中心とした、当座の通所サービスの、目的確認を踏まえた話し合いを持つ。ここしばらく忙しくなる。機動力を増すために、骨折復帰した私の右足と相談して自転車を買うことを検討してみようと思う。実のところ、昼夜逆転の私には昼間の急な眠気があるので、車や原付はこわくて乗る気になれないのだ。
また父の階段転落の件も階段途中に大きな枕を置くことにした。警告のツールである。寝室で眠る場合は2階にあがるため、そのときは枕を下に落として、階段通路を確保する。枕の障壁から階段をひとりあがる危険を思い出してもらう。極力1階の茶の間に居て欲しいと加えて説得する。
ケアマネさんとの事前の打ち合わせのとき、私の仕事やNPO活動への影響をぶつけて話し合った。今回、健康診断証明がでるので、デイやステイをどう組み合わせれば間が作れるかということも話している。特に父の事故や失禁に約束が中断せざるをえない状況が生まれたとき、既存の団体活動の一員ならしも、新しい活動を立ち上げようとしている者にとっては、この中断が致命傷になりかねない。そういう(介護にとっては日常茶飯時だが)緊急事態との関連を、父の保護の周囲のことではあるが、相互確認しておこうと思っている。通所は父にとっての、生活と人間関係の大きな転換点になるだろう。
今月後半は「わーく」の再立ち上げ関連の作業と、協力要請の取り直しに歩く。スタッフ作りである。うまく行くとは思っていない。「当事者活動を軸に持った就労支援」という「燃えない薪に点火する」活動だからだ。具体的なイメージ資料を作るので、その準備作業の試行錯誤をこのブログに載せていく。
東京の「オールニートニッポン」や、大阪の「ビッグイシュー」の放送があるが、私の主眼は、社会的に疎外された青少年の結びつきの芽になる交差点というかノードを作ること。様々な活動の契機をつくる場作りであり、それ自身ただの受け皿ではなく活動主体(社会的企業)の地域マスコミ活動であることだ。この点で、東京・大阪の社会問題解決の宣伝活動とは軸足が違っている。日常態、環境提供が主軸となるからだ。
引きこもり青年や軽度障碍の方のつながりのプログラムは、活動領域の境界線になりたつ活動のために、エンジンを持たなくてはならない。諦めと未踏の困難を抜けていかなくては、活動は立ち上がらない。しかしこの活動がたちあがったとき、特に「情報社会に生きる障碍者と社会」の関係を動かしていくことにつながっていくだろう。障碍者のQOLの部分だ。
今日私はもう一日巡回を休み、技術畑の研究者を求めて横須賀方向に行ってくる。問題は地元。現物を見せなくては動かない矛盾した現実をどう動かすかというこの一点。ブログに描いていこうと思っている。
夜間傾聴:******君
(校正2回目済み)