昨日は平塚で「NPOで稼ぐ」というシンポが行われた。NPO法人「カタリバ」の創設者今村久美さんの経営分析のレポートがあり、時代と参加者の感覚にフィットした企画から、活動は当日スタッフ3500名にまで膨らんで、活動の転換期に入っている状況が語られた。(次の@@@までワープ可)
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14時平塚駅南口徒歩数分の会場だから、父の昼食と服薬を支えてもゆとりがあると判断していた。ところが前日、私が外出することが父に伝わったところ、引き延ばしが始まった。この日、父の所属する宗教団体が特別の行事を行うために、夜の18時までに夕食を作って欲しかったからだった。
朝呼んでも昼過ぎまで起きない、昼食を作ってもトイレに行き、食事を長引かせるという困った行動となった。母は茅ヶ崎椿祭りにイベント参加しているので、出かけてしまっていた。こういう引き伸ばしは、過去数回あった。母の携帯電話を呼び出し、夕方のフォローを頼んだところ、月曜日に通過口座に引き落としがあるので、行きがけに入金をと頼まれ、それを条件に夕方の父の食事フォローを交代することが成立した。時計は13時50分を指していた。
急いで駅前の銀行ATMに行った。ところが「土曜日入金不可」のなのだった。地銀は有料で入金可能となっていたので、地銀口座に時間外入金があり、コンビニATMも使えた。そこで地銀口座から送金することを思い立った。近くの地銀支店で送金分を入金し(105円有料)送る段になってトラブルが起きた。送金先が無いというのだった。送金先口座は銀行の統廃合でカードには古い口座番号が記されたままになっていて、そこの銀行ではコンバートされて使えたが、実際の銀行口座は変更になっていたのだった。送金不可。時間はどんどん経ち、会場に着いたのは40分遅刻の状態になっていた。
会場に着くなり、携帯にメールが届いた。夕方、18時までに帰宅できないから早く帰るようにという、母からの約束撤回メールだった。つい先日はヘアドライヤーを水の中に落とし、電源ブレイカーがあがって停電した。父はそのまま、宗教団体の車に乗って家を出たために冷蔵庫の冷凍食品が無残な状況となり、母がドライヤーを引き上げてから電源ブレイカーを上げたところ、白煙を上げてドライヤーが発火したのだった。機材をコンセントから抜かない電気リテラシー不足による事故だった。
大きな事故につながりかねない出来事が続くため、父の食事は任せるわけにはいかなかった。そう、菜箸がガスレンジの脇で燃え上がっていることもあったのだ。
シンポが延長15分、終了して会場を飛び出し、駅ビルで弁当を購入。電車の中で母からのメール。車で送ってくれるひとがいて、帰宅が間に合ったから、自分の分を外食して帰ってくれというものだった。完全に父の予定に振り回された一日だった。しかし送金は、母が金曜に夜18時15分に、時間外として入金できないまま持ち帰ったこと。月曜日の引き落としが金曜日の夕方から出来なかったのだった。これは困ったことだった。先方の会社は土日休業で電話に出なかった。サポセン窓口スタッフを去るTさんにも、挨拶できぬまま会場を出ていた。父の無神経な帰宅の声に怒りが澱のように胸にたまった。解消せねばと手を打つが、こんなことを繰り返していたら、いずれ信用もなくす。ガス抜きが必要なのだった。
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NPO法人「カタリバ」は、転換期に差しかかっていた。大きくなって、安定した運営がスタッフ拡大だけでは済まされない事態になっていた。またその展開も行政からの補助金と企業カンパに依存しているために、経営も不安定になっていた。この事態をどう超えるかという危機感に満ちたものだった。実践を支える人件費が異様に膨らんでいた。
それでも、大学生の気迫の入った進路の自己選択紹介や、「ななめの関係」の気安さから高校生の進学談義も発火していた。この輝きは消えることが無い。関わることで双方のモチベーションが上がったのだった。これは学習論からすれば、群れを抜いた素晴らしい実践と呼べるものだった。だからこの実践は改良してパッケージ化して、多元化移植する方向が望まれた。
発想の中にある年下への面倒をやくということのなかに、大学生の目覚めがあった。これは私が「わーく」に織り込んだ「ケア・パートナー」という非対称協業単位チームの発想に似ているものだった。「カタリバ」はもっと軽やかであるが。職場孤立を避け、双方の力量を適度に背伸びさせる方法と自負していた。
出会いがひとを変えていく、それをプランにいかに抱え込むかも大事なことだった。
会場のバズセッションの議論は面白い分極を示していた。NPOビギナー中心のグループは資金難を助成金拡大とフランチャイズ化という切れ味の悪い結論を出していた。企業的手法はNPOの魂の上で意味を持つ。企業化すれば、活動は色あせてしまう。企業文化に浸かっていた人は、この境目が見えない。清貧路線と批判するが、収益は活動の継続と拡張のために利用することは必要。しかし収益の使い方は厳密を要するし、単純に会員分配されるものではない。この辺の論議は、「ソーシャル・ファーム」(社会的企業)関連のサイトを見てほしい。「コミュニティ・ビジネス」という手法はこの辺を曖昧にしている。だから私は「コミュニティ・ビジネス」とは呼ばない。企業的手法は市民活動の可能性を拡張する劇薬なのである。
古株中間支援者のいるグループは、「カタリバ」のニーズとミッションが見えないと批判していた。この発想も企業的といえる。年間計画をたて、それを実施していくことがまともなNPOの進む道と私も批判され続けてきた。しかしここには「出会いと即興」の変容の躍動が息づいていない。私が「カタリバ」と出会い、接点で次の提案を仕掛けようとすることは、年間計画には出てこない。
社会には潜在するニーズを先取りすることによって状況を拓く先験的な実践がある。この道を「カタリバ」は壁を越えることによって道を拓いてきたのだと思う。生きた実践を市民活動は無定形がゆえに抱え込んできた。この活動が力を得るために定式化も必要である。これは他者に対しての説明効果の拡大という必要に裏打ちされているからだ。しかし魅力そのものではない。あくまでもダイジェストでしかない。簡単な事例で言えば、活動には個人の顔がある。ところがニーズとミッションに沿う解決活動には顔が無い。
こういうグループの分極が行われていた。
私の参加したグループには、近隣自治体職員・企業支援系NPO法人主催者・近隣社会活動専攻系大学生複数名と私という構成だった。「カタリバ」の危険経営脱却をはかるというテーマが会場全体に与えられたが、この組み合わせは大学生の率直な発言に支えられて、比較的に内容に立ち入れた方だと思う。バズセッションは出会いのずれをリフレッシュの動力として初発の着想を溜め込むことと、視点の差異から隠れていた解決策を引き出すというか創造する効果がある。ただこれは構成員をかなり選ぶのだ。最低限互いの流儀が見えてこないと議論が始まらないため、ある程度の時間がかかる。一方時間をかけすぎると、その分野の経験者に議論が淘汰され、つまらない結論に収束してしまう。まさにその道半ばで時間切れとなって、これから話題が広がるところで終わったのだった。立場ばらばらゆえに、硬直した議論は避けられたと思うのだが。
これはあくまでも直感なのだが、今村さんは手負い傷を抱えているように見えた。この世代を巡回している者のただの直感なのだが。それゆえの鋭さを持っている。そのように見えた。違っていたら今村さん、ごめんなさい。
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朝日新聞3/22朝刊に「脱・働く貧困層 積極ドイツ」という記事が出た。就労技術を身につけて就職させる道をドイツの行政は制度的に固めている。「職業実習>公的負担で数年間」、「生活費>収入補う現金支給」の二本だて。有給職業実習と生活費補完の形で、就労を促していく。若年者ほど生活費補完(失業給付II)の運用が厳しい。日本の場合は、職業訓練中生活費保証は生活保護に頼ることになるが、生活保護は高齢者・傷病障害者に主に向けられ、若年者や母子世帯には適応していない。現役育成の発想があるか、それがこの比較の中に問われている。
ここで描かれている職業実習の場を職業訓練校のように行政の仕事としてしまうのではなくて、ここにプレ就労の企業を社会的企業として定位させていくことが、勤労者流動性を安定させていく鍵と思う。ここに社会的弱者の就労の場も含ませることができる。ソーシャル・ファームなどの試みのヨーロッパ的展開に注目していきたい。
夜間傾聴:自由が丘君(仮名)夫妻
入谷さん(仮名)
(校正1回目済み)
p.s.6:02父の夜間演説と格闘が始まった。
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14時平塚駅南口徒歩数分の会場だから、父の昼食と服薬を支えてもゆとりがあると判断していた。ところが前日、私が外出することが父に伝わったところ、引き延ばしが始まった。この日、父の所属する宗教団体が特別の行事を行うために、夜の18時までに夕食を作って欲しかったからだった。
朝呼んでも昼過ぎまで起きない、昼食を作ってもトイレに行き、食事を長引かせるという困った行動となった。母は茅ヶ崎椿祭りにイベント参加しているので、出かけてしまっていた。こういう引き伸ばしは、過去数回あった。母の携帯電話を呼び出し、夕方のフォローを頼んだところ、月曜日に通過口座に引き落としがあるので、行きがけに入金をと頼まれ、それを条件に夕方の父の食事フォローを交代することが成立した。時計は13時50分を指していた。
急いで駅前の銀行ATMに行った。ところが「土曜日入金不可」のなのだった。地銀は有料で入金可能となっていたので、地銀口座に時間外入金があり、コンビニATMも使えた。そこで地銀口座から送金することを思い立った。近くの地銀支店で送金分を入金し(105円有料)送る段になってトラブルが起きた。送金先が無いというのだった。送金先口座は銀行の統廃合でカードには古い口座番号が記されたままになっていて、そこの銀行ではコンバートされて使えたが、実際の銀行口座は変更になっていたのだった。送金不可。時間はどんどん経ち、会場に着いたのは40分遅刻の状態になっていた。
会場に着くなり、携帯にメールが届いた。夕方、18時までに帰宅できないから早く帰るようにという、母からの約束撤回メールだった。つい先日はヘアドライヤーを水の中に落とし、電源ブレイカーがあがって停電した。父はそのまま、宗教団体の車に乗って家を出たために冷蔵庫の冷凍食品が無残な状況となり、母がドライヤーを引き上げてから電源ブレイカーを上げたところ、白煙を上げてドライヤーが発火したのだった。機材をコンセントから抜かない電気リテラシー不足による事故だった。
大きな事故につながりかねない出来事が続くため、父の食事は任せるわけにはいかなかった。そう、菜箸がガスレンジの脇で燃え上がっていることもあったのだ。
シンポが延長15分、終了して会場を飛び出し、駅ビルで弁当を購入。電車の中で母からのメール。車で送ってくれるひとがいて、帰宅が間に合ったから、自分の分を外食して帰ってくれというものだった。完全に父の予定に振り回された一日だった。しかし送金は、母が金曜に夜18時15分に、時間外として入金できないまま持ち帰ったこと。月曜日の引き落としが金曜日の夕方から出来なかったのだった。これは困ったことだった。先方の会社は土日休業で電話に出なかった。サポセン窓口スタッフを去るTさんにも、挨拶できぬまま会場を出ていた。父の無神経な帰宅の声に怒りが澱のように胸にたまった。解消せねばと手を打つが、こんなことを繰り返していたら、いずれ信用もなくす。ガス抜きが必要なのだった。
@@@
NPO法人「カタリバ」は、転換期に差しかかっていた。大きくなって、安定した運営がスタッフ拡大だけでは済まされない事態になっていた。またその展開も行政からの補助金と企業カンパに依存しているために、経営も不安定になっていた。この事態をどう超えるかという危機感に満ちたものだった。実践を支える人件費が異様に膨らんでいた。
それでも、大学生の気迫の入った進路の自己選択紹介や、「ななめの関係」の気安さから高校生の進学談義も発火していた。この輝きは消えることが無い。関わることで双方のモチベーションが上がったのだった。これは学習論からすれば、群れを抜いた素晴らしい実践と呼べるものだった。だからこの実践は改良してパッケージ化して、多元化移植する方向が望まれた。
発想の中にある年下への面倒をやくということのなかに、大学生の目覚めがあった。これは私が「わーく」に織り込んだ「ケア・パートナー」という非対称協業単位チームの発想に似ているものだった。「カタリバ」はもっと軽やかであるが。職場孤立を避け、双方の力量を適度に背伸びさせる方法と自負していた。
出会いがひとを変えていく、それをプランにいかに抱え込むかも大事なことだった。
会場のバズセッションの議論は面白い分極を示していた。NPOビギナー中心のグループは資金難を助成金拡大とフランチャイズ化という切れ味の悪い結論を出していた。企業的手法はNPOの魂の上で意味を持つ。企業化すれば、活動は色あせてしまう。企業文化に浸かっていた人は、この境目が見えない。清貧路線と批判するが、収益は活動の継続と拡張のために利用することは必要。しかし収益の使い方は厳密を要するし、単純に会員分配されるものではない。この辺の論議は、「ソーシャル・ファーム」(社会的企業)関連のサイトを見てほしい。「コミュニティ・ビジネス」という手法はこの辺を曖昧にしている。だから私は「コミュニティ・ビジネス」とは呼ばない。企業的手法は市民活動の可能性を拡張する劇薬なのである。
古株中間支援者のいるグループは、「カタリバ」のニーズとミッションが見えないと批判していた。この発想も企業的といえる。年間計画をたて、それを実施していくことがまともなNPOの進む道と私も批判され続けてきた。しかしここには「出会いと即興」の変容の躍動が息づいていない。私が「カタリバ」と出会い、接点で次の提案を仕掛けようとすることは、年間計画には出てこない。
社会には潜在するニーズを先取りすることによって状況を拓く先験的な実践がある。この道を「カタリバ」は壁を越えることによって道を拓いてきたのだと思う。生きた実践を市民活動は無定形がゆえに抱え込んできた。この活動が力を得るために定式化も必要である。これは他者に対しての説明効果の拡大という必要に裏打ちされているからだ。しかし魅力そのものではない。あくまでもダイジェストでしかない。簡単な事例で言えば、活動には個人の顔がある。ところがニーズとミッションに沿う解決活動には顔が無い。
こういうグループの分極が行われていた。
私の参加したグループには、近隣自治体職員・企業支援系NPO法人主催者・近隣社会活動専攻系大学生複数名と私という構成だった。「カタリバ」の危険経営脱却をはかるというテーマが会場全体に与えられたが、この組み合わせは大学生の率直な発言に支えられて、比較的に内容に立ち入れた方だと思う。バズセッションは出会いのずれをリフレッシュの動力として初発の着想を溜め込むことと、視点の差異から隠れていた解決策を引き出すというか創造する効果がある。ただこれは構成員をかなり選ぶのだ。最低限互いの流儀が見えてこないと議論が始まらないため、ある程度の時間がかかる。一方時間をかけすぎると、その分野の経験者に議論が淘汰され、つまらない結論に収束してしまう。まさにその道半ばで時間切れとなって、これから話題が広がるところで終わったのだった。立場ばらばらゆえに、硬直した議論は避けられたと思うのだが。
これはあくまでも直感なのだが、今村さんは手負い傷を抱えているように見えた。この世代を巡回している者のただの直感なのだが。それゆえの鋭さを持っている。そのように見えた。違っていたら今村さん、ごめんなさい。
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朝日新聞3/22朝刊に「脱・働く貧困層 積極ドイツ」という記事が出た。就労技術を身につけて就職させる道をドイツの行政は制度的に固めている。「職業実習>公的負担で数年間」、「生活費>収入補う現金支給」の二本だて。有給職業実習と生活費補完の形で、就労を促していく。若年者ほど生活費補完(失業給付II)の運用が厳しい。日本の場合は、職業訓練中生活費保証は生活保護に頼ることになるが、生活保護は高齢者・傷病障害者に主に向けられ、若年者や母子世帯には適応していない。現役育成の発想があるか、それがこの比較の中に問われている。
ここで描かれている職業実習の場を職業訓練校のように行政の仕事としてしまうのではなくて、ここにプレ就労の企業を社会的企業として定位させていくことが、勤労者流動性を安定させていく鍵と思う。ここに社会的弱者の就労の場も含ませることができる。ソーシャル・ファームなどの試みのヨーロッパ的展開に注目していきたい。
夜間傾聴:自由が丘君(仮名)夫妻
入谷さん(仮名)
(校正1回目済み)
p.s.6:02父の夜間演説と格闘が始まった。