つくばに行ってきた。時間がかかる。待機の確認で出遅れたが10時前に出かけ、途中寝ぼけ(困ったもので)靴事件で靴探しが30分入ったものの、着いたら14時になっていた。行き先は2箇所、一点目は認知科学系の学習論研究者の集まりに出て、NPO法人「カタリバ」実践の素晴らしさを伝えることと、「わーく」の技術支援を求めるため。もう一点は情報処理学会最終日に参加している講演者**氏にLinux系の環境下の通信端末とWindowsとの共存環境の質問相談、要するにKnoppix系の話に協力が求められるかだった。結果的には、前者が予想よりも時間がかかり、後者に出向くには会が終わっていて当人がつかまらないだろうということで、諦めた。
しかし障碍者との取り組みへの関心や、社会活動への理解という点からすると、寒々とした状況が広がっている。語られている論点の隣にはそれを欲している社会活動があるのに、仲介者がいないのだ。とりあえずの接点を作った。「カタリバ」のインパクトはある。必ず広がると思う。いい実践はいい。それだけなのだが、あえてとりあげないと流れ去ってしまう。力のある実践だから、そちらは導火線だけで十分。「わーく」の件は、とりあえず強烈な個性の研究者と、切れ味のいい「現在」の課題を語ってくれる研究者に直接・間接の情報を提供してきた。しかしことは、ともかく流れが絶たれずにまずは自ら動き出さなくては、ことは始まらない。皮肉なことに、今回の研究会は、「プラン初動の難しさ」をめぐる議論だった。
後者の方は、ついさきほど無理と思っていた**氏へのぶしつけな質問メールに、耳をかしてくださる旨の返信メールが届いていた。これは障碍者がPCを扱う上で、均一の安定した即時復元可能な環境を届けれるかがかかっている。PCの通信端末としての操作が安定したものになるための基礎にあたっている。話が構想の一部分だから、「わーく」の基礎作業と言っても身の回りに理解者がいないのだ。
しかし、とりあえずの目的は達成できた。
行政の縦割り状況ではないが、ついたての向こうは別世界のような状況が、現場からは歯がゆくもある。しかし市民活動・社会活動の世界を見通す有効な論が、机上の空論と切り捨てる主観的な立場にも私は立たない。こういうと主導的な立場の方で、私の身の回りには、怒り出す人が少なくとも3人はいるのだが、領域の境界人はかならずいるし、切り捨てる彼らはその存在と収穫の方法を知らないだけだと思う。しかし振り返って、まだまだ「藪こぎ歩行」を続けなくては目的に接することも出来ない。今回、その距離がちょっと縮んだかなと思っている。希望的観測とも違うなというところ。
------
昨夜の待機は要するにA子なのだ。私のところへ、またやってくる可能性があった。このブログの内容も彼女特有の論理で「当然でしょ」となる。彼女は近所の、鷹揚な従兄弟の家に「頭を冷やしたい」ということで泊り込んでいた。「金が無いから湘南にいけない」と言っていたことも判明した。「湘南」とは要するに「わたしのところ」である。誓約書もあって、私は動くに動けず弱ってしまう。しかしこの時期、困った事件は、とことん重なるのだ。
睡眠2状態でつくばに向かったのだが、自己嫌悪である。全くズボンと合わない、目的が違う靴を履いて出てしまったのだった。電車の中のくすくす声で足元を見て驚いた。新橋と東京駅で靴を買おうとしたが高いものばかり。やっと八重洲地下街の靴屋で応急の靴を買い込んで、つくばの会場に飛び込んだ。ところが睡魔は、やってくる。椅子の背もたれに寄りかかって驚いた。社会の窓があいているではないか。おじさんの強みなり。若い人なら立ち直れないだろうなと思いつつ、とりあえず往復の移動時間と、帰宅食事始末後、夜間傾聴がはじまるまでの2時間を爆睡時間とすることで、今は予定通り起きて、親の確定申告代行作業に突入している。(昨年までは、年金と小商いの申告は自分でしていた。明らかにぼけてきている。)
帰宅後、家で迎えてくれたのは、食器の山。父は足が追いつかないことが原因で失禁していた。これにくわえて、味噌醤油つき洗濯。用意しておいたパンの夕食を済ませたのが21:50。とにかく眠ろうと、布団をかぶった。0時、傾聴待機をしながら、放置されていた確定申告のまとめを行っている。明日はペイドワークの素晴らしいNPOの紹介シンポが県サポである。準備には体力的に無理なので、客参加できないかと思っている、今夜はこのまま、作業を続ける。
夜間傾聴:******親(緊急性のあるところのみ)
A子・親(とりあえず、身の安全保障よかったと。)
p.s. 3/14朝日夕刊「人・脈・記 みんなその日まで(6)」に細谷亮太氏(聖路加小児科部長・小児がん学会会長)の写真と記事を発見。私はこの人を、ある文才のある看護師さんから教えてもらった。以後、ファンのひとりとなっている。無垢な死の対極に全肯定の命、障碍者の命が輝く。ひと理解の大事な記事である。
「しにし患児(こ)の髪洗ひおり冬銀河」(細谷亮太・作)
私は命の演出の一角に立っている。
(校正1回目済み)
しかし障碍者との取り組みへの関心や、社会活動への理解という点からすると、寒々とした状況が広がっている。語られている論点の隣にはそれを欲している社会活動があるのに、仲介者がいないのだ。とりあえずの接点を作った。「カタリバ」のインパクトはある。必ず広がると思う。いい実践はいい。それだけなのだが、あえてとりあげないと流れ去ってしまう。力のある実践だから、そちらは導火線だけで十分。「わーく」の件は、とりあえず強烈な個性の研究者と、切れ味のいい「現在」の課題を語ってくれる研究者に直接・間接の情報を提供してきた。しかしことは、ともかく流れが絶たれずにまずは自ら動き出さなくては、ことは始まらない。皮肉なことに、今回の研究会は、「プラン初動の難しさ」をめぐる議論だった。
後者の方は、ついさきほど無理と思っていた**氏へのぶしつけな質問メールに、耳をかしてくださる旨の返信メールが届いていた。これは障碍者がPCを扱う上で、均一の安定した即時復元可能な環境を届けれるかがかかっている。PCの通信端末としての操作が安定したものになるための基礎にあたっている。話が構想の一部分だから、「わーく」の基礎作業と言っても身の回りに理解者がいないのだ。
しかし、とりあえずの目的は達成できた。
行政の縦割り状況ではないが、ついたての向こうは別世界のような状況が、現場からは歯がゆくもある。しかし市民活動・社会活動の世界を見通す有効な論が、机上の空論と切り捨てる主観的な立場にも私は立たない。こういうと主導的な立場の方で、私の身の回りには、怒り出す人が少なくとも3人はいるのだが、領域の境界人はかならずいるし、切り捨てる彼らはその存在と収穫の方法を知らないだけだと思う。しかし振り返って、まだまだ「藪こぎ歩行」を続けなくては目的に接することも出来ない。今回、その距離がちょっと縮んだかなと思っている。希望的観測とも違うなというところ。
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昨夜の待機は要するにA子なのだ。私のところへ、またやってくる可能性があった。このブログの内容も彼女特有の論理で「当然でしょ」となる。彼女は近所の、鷹揚な従兄弟の家に「頭を冷やしたい」ということで泊り込んでいた。「金が無いから湘南にいけない」と言っていたことも判明した。「湘南」とは要するに「わたしのところ」である。誓約書もあって、私は動くに動けず弱ってしまう。しかしこの時期、困った事件は、とことん重なるのだ。
睡眠2状態でつくばに向かったのだが、自己嫌悪である。全くズボンと合わない、目的が違う靴を履いて出てしまったのだった。電車の中のくすくす声で足元を見て驚いた。新橋と東京駅で靴を買おうとしたが高いものばかり。やっと八重洲地下街の靴屋で応急の靴を買い込んで、つくばの会場に飛び込んだ。ところが睡魔は、やってくる。椅子の背もたれに寄りかかって驚いた。社会の窓があいているではないか。おじさんの強みなり。若い人なら立ち直れないだろうなと思いつつ、とりあえず往復の移動時間と、帰宅食事始末後、夜間傾聴がはじまるまでの2時間を爆睡時間とすることで、今は予定通り起きて、親の確定申告代行作業に突入している。(昨年までは、年金と小商いの申告は自分でしていた。明らかにぼけてきている。)
帰宅後、家で迎えてくれたのは、食器の山。父は足が追いつかないことが原因で失禁していた。これにくわえて、味噌醤油つき洗濯。用意しておいたパンの夕食を済ませたのが21:50。とにかく眠ろうと、布団をかぶった。0時、傾聴待機をしながら、放置されていた確定申告のまとめを行っている。明日はペイドワークの素晴らしいNPOの紹介シンポが県サポである。準備には体力的に無理なので、客参加できないかと思っている、今夜はこのまま、作業を続ける。
夜間傾聴:******親(緊急性のあるところのみ)
A子・親(とりあえず、身の安全保障よかったと。)
p.s. 3/14朝日夕刊「人・脈・記 みんなその日まで(6)」に細谷亮太氏(聖路加小児科部長・小児がん学会会長)の写真と記事を発見。私はこの人を、ある文才のある看護師さんから教えてもらった。以後、ファンのひとりとなっている。無垢な死の対極に全肯定の命、障碍者の命が輝く。ひと理解の大事な記事である。
「しにし患児(こ)の髪洗ひおり冬銀河」(細谷亮太・作)
私は命の演出の一角に立っている。
(校正1回目済み)