日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

菜の花咲く

2013年01月11日 | 自然 季節
           

 冷たい風もなく晴れて暖かい日、歩いていると汗ばむほどでジャージのファスナーを開ける。

 芽の膨らみ始めた梅の木を幾本か見つけた。それが咲くとカメラ好きの人が訪れる1本だけ立っている紅梅の木がある。崩れた土壁と紅梅の組み合わせは風情があっていい。その木は芽が膨らもうとしている。それを撮る人もいた。

 その近くで塀の外の花壇に菜の花が咲いている。菜の花は春の風物詩で桜の先導役のように咲くものと思っていたが、2本ほど咲いている。本番のころのそれより茎や葉が太く力強く感じたのは冬に耐えるためか、そんなことを思いながら撮っているときその家の主人が話しかけてこられた。

 「正月に咲かせようと苦心したが失敗した」と話す。原因は「土つくりをしなかった。何でも基礎が大切ですいの」と苦笑いされながら、咲いていない葉に触れる。そういえば咲いている2本以外は背丈も半分ほどしか育っていない。自然の中で3カ月も早咲きさせ、通る人を楽しませる御仁なのだろうか。

 今日は鏡開き。鏡餅を切るとか割るという言葉を避けて「開く」というのは縁起をかつぐ昔からの言い伝えという。鏡は円満を、開くは末広がりを意味するそうだ。また、鏡餅を食すことを「歯固め」という。これは、硬いものを食べ、歯を丈夫にして、年神様に長寿を祈る意味があるとか。
 
 鏡餅のひび割れが多いほど豊作になるともいう。最近はプラ容器に入っておりひび割れはなく、開くときも柔らかい。早咲きの菜の花にひと足早い春を味わった日、善哉を口にしながら老いても粘りけのある健康体をと願った。
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いつも同じ

2013年01月10日 | 社会 政治
             
           
 最近の犯罪捜査に大きな役割を果たしている防犯カメラ。報道される事件解決あるいは有力な手がかり情報の記録など最近の活躍を思うと防犯というより捜査カメラの感がする。万引き監視や予防のためという店内のそれは目にしているが、屋外に設置されたカメラを意識して見た事はない。が、いたるところにあるようだ。

 街中いたるところにこうしたカメラが設置されているということは、知らぬまに誰もが記録されているということになる。プライバシーを根拠に反対の声もあるが、事実は小説より奇なり、といわれるから、何かがおきた時は解明の大きな力になっている。後ろ指を指されることがなければ気にすることもなかろう。

 そんな固定カメラの一つ「錦帯橋ライブ」を毎日見ている。霧や雨にけむる錦帯橋は名勝をほしいままにしている、雨のあとは増水の様子、観光しながら錦帯橋を渡る人などその周辺の様子を、PCでカメラを自由に操作しながら楽しめる。カメラを固定すれば映像は3秒間隔で変わる。そこに映る人の気ままな姿は観光地での人の動きが見られる。

 左にふると駐車場が映る。駐車場の最も上流側に5台の車が、いつも同じ状態で停まっている。散歩の途中でこれか、と確かめたこともある。ナンバーは付いており、棄てられた車ではないようだ。誰が何のために毎日同じ位置に同じ向きで停めるのだろう。そんなことを思っても何になるでもないが、仕事とはいえ防犯カメラを眺めている人の気持ちを考えてみた。岩国城上空は真っ青な冬空が広がっていた。  
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次は新病院で

2013年01月09日 | 生活・ニュース
            

 がん手術から15カ月めの定期健診日。これまでの定期検診では経験のない待合室の混雑に驚く。「年末年始が休診のため、曜日指定の患者さんが重なり受診者が多い」と長年通院している知人が待合室の混雑理由を教えてくれた。患者もさることながら従事者も大変だろう。

 検診は異常なく、次回の検診日を決める。「次は新病院になります。近くなりますか?」「最新の医療機器が備わります」など話が出る。それでも最新式の検査機器はいいとしても治療用機器のお世話にはなりたくないのが正直な気持ちだ。

 この病院は昭和16年9月に着工し同17年10月に「岩国海軍病院」として開院された。終戦にともない厚生省へ移管され昭和20年12月に「国立岩国病院」。平成16年4月 1日に「独立行政法人 国立病院機構 岩国医療センター 」となり今日に至る。地元では今も「国病」で通じる。

 新病院はここから北5キロの愛宕や山造成地に建設中。外来診療は3月26日にからの予定となっている。地域医療の中核となる病院、建設中の外観から大きさだけでなく、信頼を寄せれる、そんな感じで眺めた。お世話にならないほうが良いに決まっているが、心強い備えがあるということは安心に通じる。それは、がん手術で入院時の医師やスタッフの職務の範囲を越えたような親身な勤務態度がそう思わせる。さて、どんな院内なのだろうか。
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おとぐい神事

2013年01月08日 | しっちょる岩国
           

 ある町の小さな神社の境内で見かけた「御烏供飯(おとぐい)伝承の地」という神事を説明した立て札。そこにはこう記されている。

 「田中明神では、古くからからす烏(からす)に供物をして吉凶を占う儀式が行われてきました。一般に『御烏供飯』と呼ばれている神事で、毎年、初亥の朝、米の粉をつくねた団子を二つの土器にのせて社前の畑におくと、厳島から烏が二羽やってきて、団子をくわえて再び厳島へ飛び帰ったといわれます。この神事は近年まで行われていました」

 「初亥」とはその年の最初の「亥の日」を指し今年のそれはあす9日にあたる。最近まで行われいたというから、見られた方も大勢だろう。厳島から来て厳島へ帰るというから厳島に縁ある行事と思い調べてみると、厳島では今でも行われているようだ。全島神の島ならではの神秘的な行事という。鳥が餌をついばむ様子からその年の吉凶や稲作の豊凶などを占う神事は、全国の多くの神社で今も見られるという。

 田中明神周辺、社前の畑は住宅地となり、近くには広いアスファルト道路を車が行きかい様子は変わっている。こうした神事がだんだんに減少し姿を消していく。地域の人の努力だけでは難しくなっている。そんなことを思いながら境内の大きな杉の木を見上げた。その上を小鳥が1羽飛び去った。

 

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松の内終わる

2013年01月07日 | 生活・ニュース
           

 多くのところで4日に仕事始め、最近は事務始めともいわれるらしいが、社会が動き出す。土日の関係でさらに3連休の人も今日からは職場へ復帰となる。例年のことだが「今年も頑張ります」という気持ちよい声とは反対に「もっと休みたい」というやる気のないインタビューがセットで流れる。年のはじめ、気持ちよい挨拶が欲しい。

 松の内が終わる。松の内は正月飾りを飾る期間で7日までとも15日までとも言われる。とにかく正月気分一掃の区切り、仕事に取り掛かろう。町内のどんど焼きは13日、この日に正月飾りや書初めが燃えて天高く舞い上がり、今年の幸運と安全を町内一同で願う行事となっている。年賀の挨拶もこの日まで。今年も成人式とかち合い、会場に新成人の姿は見られないだろう。

 今年、最初の燃えるゴミの収集日。年末年始の休日で収集が抜けたこともあり、今朝の収集場所は普段の3倍くらいのゴミが小山のように積まれている。どこも同じ様子なのだろう、回収車もいつもより遅れている。焼却場の煙にお節の香りがこもっているのではなかろうか。 

 子どもたちの3学期もはじまる。通学の元気な小学生の声を聞けるのが嬉しい。年末年始、マスクをした子どもが多いのが少し気がかり。今年も声を掛けて元気を貰おう。      
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信じられない

2013年01月06日 | 生活・ニュース
           

 自転車がくれば歩く人は道の端に寄って自転車の通り過ぎるのを待つほどの狭い山裾の道。そこに10mにも満たない間隔で「ゴミ捨てるな」「不法投棄禁止」などの立て札が立てられている。そこで目にした年明け早々のなんとも理解しがたい光景。

 不法投棄禁止の立て札が2本並んで立っている。その立て札の足を取り巻くように広そうなカーペット状のゴミがある。状態から投棄されてあまり日数は経っていないように思う。その奥側、山裾の立て札のそばには乗用車のタイヤが投棄されている。付近には空き缶も多く散乱しており、立て札の「林立」からみてゴミ投棄の絶えない所だろうと思った。

 自動車での運び込みは不可能、自転車か担いで持ち込んだゴミ、いったい誰なのだろう。各自治体ともそれなりの手続きをふめばきちんと処理できるシステムになっているはず。それをせずに投棄、それも禁止の立て札をあざ笑うかの様にそれに添うように棄てるとは、どんな常識の人なのだろうか。

 「不法投棄は犯罪」と書いた自治体と警察連名の立て札も何本かの中に混ざっている。状況から考えて子どもしたことではない。こうしたゴミの問題は報道でも取り上げられる。それは単発で終わる。自治体の広報紙などでこうした個所の写真を掲載するなどして、継続した広報をしないと、不逞のやからはなくならないのでは、そんなことを思いながら通りすぎた。
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さて今年は

2013年01月05日 | エッセイサロン
           

 ブログにも投書にもインタビューにも年明けにあたり「新たな挑戦」を宣言された人は多い。小学1年生の男の子は一輪車に乗れるようになる、中3の生徒は志望高に絶対合格する、同年輩の人は健康維持のために走る、韓国語の上級試験合格を目指す主婦の方、それは年齢に関係なく素晴らしく思える。頑張ってとエールを送る。

 公民館の掲示板、手作りの色鮮やかなポスターが並ぶ。それは何かを楽しもうと同好会への加入を呼びかけるもので、その種類は多く選択に迷う。公民館を活用されるので非営利で公益性があり自主的に運営されている団体やグループなので安心して参加できる。

 そんな数ある中でエッセイ同好会へ入会して7年目になった。まもなく昨年の活動成果が同人誌となって発行される。その作業のため代表が一心に取り組んでおられる。そのため除夜の鐘も聞こえぬと伺っている。毎年この同人誌を手にし、全て読み終えてから「さて今年は」と考える。入会6年目の昨年は投稿が「毎月掲載されますように」という、とんでもない夢を描いたが夢で終わった。今年は一つだけ目標を持っているが、さていつになるか、果たせたら報告させてもらう。

 エッセイを書いて、朗読して、聞いてもらって、感想を聞く、この一連の流れが欠かせない学びのスタイルとなった。同人誌の印刷は来週くらいには始まるだろうか。手にするまで2週間ほど、どんな読後感をもてるのだろう。今日は寒の入り、春へ向かっての一歩と考えればエッセイの題材となるかも。
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横山の白蛇

2013年01月04日 | 昔のお話し


 映像でヘビの紹介が多く見られるのは巳年ならではのこと。これを好む人はそんなに多くないように思うのだが、金運の使いといわれる。「抜け殻を財布に入れておきなさい」はそのいわれの証かも知れない。岩国市には天然記念物の「白蛇」が生息、地元では大事に保護され、白蛇神社が初詣でにぎわっている。その白蛇の話が「岩国の昔話と歌謡」(昭和48年発行)の中に「横山の白蛇」としてに載っている。(以下全文)

 元文三年、この年は藩主吉川経永の治世。二月末に吉川経永は用事で萩に下り三月中旬には岩国にお帰りになられました。この春ごろから疱瘡が流行し始め六月一日には錦川の出水がはげしく、錦見土手が切れるという大惨事がありました。

 六月三日に、横山の千石原御門のそばで白蛇が一ぴき姿をあらわしました。「あッここに白蛇がいる。めずらしいことだ。」というので、早速連絡をとり、御蔵元よりこれを捕らえさせ、御勝手にさし出し、医師方に見てもらうことにいたしました。

 その自蛇は長さが五尺、大きさ胴中四寸廻りもある大きい蛇だったことが記されております。同書によりますと、およそ自蛇には銀蛇・金蛇というのがいるらしく、これらは効用のないものだということでして、中でも日計という自蛇は毒蛇の一種で、この蛇に咬まれますと、一日の中に死んでしまうため「日計」と名づけたのだともいわれております。

 ところで、このたびの自蛇の形は、鱗(黄自三角形である)がとう組のように見受けられ、日の廻りが紅く、頭は平たく口は広く、歯の上の方には、ぐの目に二た通りあり、下の歯は一並にはえておりました。尾は打ち切られたようではみの尾に似ていると記されております。

 しかしこの自蛇は、まことにおとなしくて、沢山の人びとが見物しましたのに、少しも騒ぐ様子がなかったとかいうことでありました。かくしてこの自蛇は御馬屋で、医師方が見合い、竪割にしたとあります。

 恐らくこの自蛇をはじめて見た武士たちはきつとびつくりしたことであろうと察せられます。これは余談のことですが、その六月十八日には、吉川外記をはじめ職中の諸役人の不正があらわれ、八月十八日には罪状が明らかとなり、その日に処刑されたことが記録に出ております。
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歩きはじめ

2013年01月03日 | ウオーキング 散歩
           

 箱根駅伝を通して観たいが、年末からの運動不足解消と正月の怠けを覚ますため、今年、初のウオーキングに出かける。空気は乾燥しているが、心地よさそうな陽射しも出て来いと呼んでいる。風の強さを川面の波頭が教えてくれる。そんな水面をカモが30羽近くが並んで上流へ向かう。どこへ何しに行くのか知らないがちょっと見ごたえがある。

 帰省の人だろうか車は県外ナンバーも多く、遠くは石川ナンバーを見た。横山の吉香・白山二つの神社、ちょうど通りかかったときは参拝の人出でにぎわっていた。吉香神社の境内は参拝の人が列をなしいている。雅楽の流れる中での初詣、願いごとは叶うと暗示をくれるようだ。

 山茶花の垣根にやわらかな冬日を受けた赤色が咲いている。それはたったの一輪。年明けに驚き慌てて咲いたように思えるがなにか微笑ましい。花言葉は謙譲・ひたむきな愛・愛嬌などとある。咲いている姿はどれにも当てはまる。

 すっかり葉を落とし身軽になった桜の木、小さな小枝を揺らしながら太陽とのコラボで枯れた芝生のキャンバスに墨絵を描いている。ときおり雲に遮られる陽にも慌てる様子はなくじっと待っている。そんな繰り返しを見ている人はほかにはいない。何でも題材に、そんな卑しさに気づき再び歩き始める。
  
 
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辛抱が第一

2013年01月02日 | 生活・ニュース
           

 初詣といえばおみくじ。おみくじは漢字で「御神籤」と書く。見ただけで何か有難みのある様でもあり難しいもののようにも思える。神仏に祈願して吉凶を占う籤、と広辞苑に載っている。まさにその境にある人には活路を決めることになるなかもしれない意味あるもだ。

 「全部、大吉じゃあないの」親子4人がおみくじを見比べながらの楽しそうな会話を横に聞きながら今年の運勢を引く。「第二番 御神籤」とある。最初に目に入る位置に「ひそみ居しふちの龍らも時を得て 雲井に登るかげのめでたさ」とある。何となく意味が通じる。

 「何事も末の見込みがある 改めかえてよい運です 意志強く驕り高ぶる事なく信神すれば 龍が風や雲を得て天に昇るように出世します 辛抱が第一です」と解説が載っている。運勢は大吉、願望(ねがいごと)は「改めかえてすれば望事叶い喜び多し」、心の持ち方で願い事が叶うという今年のおみくじ、まず頑固さを緩めなければと、改めごとに気づく。

 おみくじは境内の木の枝に結びつける。神様との縁を結ぶ、といういい伝えもあり日本人の素朴な感情を知る。最近は木の枝に結ぶとその生育が悪くなるとして、おみくじを結ぶ紐などが設けられている。社の神々はどんな気持ちで氏子らのこの気遣いを見守られているのだろうか。この神社のおみくじは50円、デフレの世とはいえ、これだけの願いをこの値段でお引き受けされるとは、神力の偉大さを知る。
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