日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

例会で人生勉強も

2009年11月20日 | エッセイサロン
               

エッセイサロン同好会の月例会。

内容は、会員作品の前月度新聞掲載実績紹介、今回は16編が紹介された。続いて毎日新聞「はがき随筆」前月度の入選作を声を出して読む。それへの感想や気づきを遠慮なく出し合う。惜しくも入選には至らなかった会員の掲載分についても同じように語り合う。

次に会員創作エッセイの合評会。新作や投稿したが没になったエッセイを本人が声を出して読む。この読むということはこの年になってもはじめのころは緊張した。入選作と同じように感想や気づきを述べ合う。今月は11編提出があった。

作品からは創作に係わることだけでなく誕生や死別、胸をうつ哀感、夫婦の絆、若い日への郷愁、生活の中の新しい発見等など、感想を述べ合う中から教えられ、戒めを感じることもある。読んだり聞いたりしている途中から心底笑える作品に出会うと、こんな書き方が出来たら、とよく思う。

例会が作品を批評し評価する場でないことが素人でも気軽に参加し、感想や気づきを述べることが出来る。途中からの参加だがこのスタイルは変わらないまま今月で45回。

年明けには4冊目の同人誌が発行できる。掲載は新聞に掲載された会員の作品で、昨年の1.5倍くらいになりそう、と編集兼代表者の話し。表紙の作成は済んだ。どんな第4集か待ち遠しい。

(写真:例会に集まった作品など)
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はっぱ

2009年11月19日 | 自然 季節
               

今年の紅葉は色合いがいまひとつ足りない。紅葉を狙って出かけられたアマカメランの写真主体のブログで目にした。近場の見所では終わりに近づいたところもあるとか。

紅葉がさえなかった訳を気象予報士の「9月、10月の雨量が少なかった。そのため樹木が充分な水分を保てず、葉の養分が不足した。そのことで色合いが劣り、落葉も早い」というような解説を聞いた。やはり温暖化の影響だろうか。

先日の中国新聞に、小学4年の女子児童の「秋のはっぱ」という詩が載っていた。
  秋のはっぱを見てごらん 春とはちがってはっぱがちゃいろ
  秋のはっぱを見てごらん いまでも木からおちそうだ
  秋のはっぱを見てごらん 木の上で ちらちらちらりんちらちらと
  秋のはっぱを見てごらん どこにでもある秋のはっぱ

子どもの素直な目線は自然を自然のままに観察し、それを受け入れ、その感動を言葉にしている。写真にするには色づきが良くないという身勝手さを感じない。いつまでもこんな感性で育って欲しい。

落葉はそれなりの働きを終え、再び芽吹く次の世代のために朽ちて土へ帰っていく。年を重ね、風貌が老いを漂わせ、皺を増やしてゆくだけのこれからでなく、年を重ねて深い味わいのある人になりたい。

(写真:やがて土へ帰ったいく落葉)
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流星を5個発見

2009年11月18日 | 自然 季節
               

今朝の早朝ウオークはある期待を抱いていつもの時間、午前4時過ぎに出かけた。満天に雲ひとつ見えず、星がいつもより多く見えるような気がする。気温は3度か4度くらいに感じる。

4時40分から5時の間に5個の流星を見た。1個目はこれがしし座流星群のひとつと感動。2個目は前より長い光跡と言っても1秒あるかないか。どちらも直線状に流れてすぐ消えた。

3個目、短い時間だがボーっとした細長い楕円状の白い輝きをはっきり見た。アッと思う間に灯りを消すように消えた。短い時間だったが幻想的な出会い、これまで流れ星は幾つも目にしているが初めて見る天体ショーだった。

4個目は葉を落とした桜の小枝を直線縫いするように流れ去った。5個目は流れが1番短い時間、流れ星と思う間に岩国城へ流れ込むように消えた。

昨夜のローカル放送では明け方の4時から5時過ぎが見ごろでしょうと教えてくた。とはいっても新月の明け方、真っ暗な足下への注意はおろそかに出来ない。上と下両方を気にしながら歩いた。

3個目の流星、何かいいことの先がけになってくれるのだろうか。そう信じておこう。

(写真:庭園の紅葉も流星を見ただろうか、毛利庭園14日)
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栓を開ける日

2009年11月17日 | エッセイサロン
               

(2009年11月17日 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

 彼を料理のできる会社保養所管理人として引き抜いたのは13年前。

 彼は上手は言わない。仕事には誠意があふれ、利用した人は満足した。私はOBとなってからもよく利用した。

 ここに来て会社の状況は厳しく、保養所は閉鎖に。最後の日「新職場では君の腕と誠実さがまた多くの人を喜ばせる」と励ます。「応えます」と力強い握手に決意を感じる。

 別れ際、奥さんがそっと渡してくれた箱は有名な銘酒。ラベルに夫婦の笑顔が大きく描かれ「ありがとう、支えてもらったお陰です」そんな意味の添え書き。じんときた。

 彼が落ち着いたら銘酒をあじわおう。

(写真:閉鎖になった保養所、ちょっと涙ぐんでる)
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どんぐりの背競べ

2009年11月16日 | 自然 季節
                             

「どんぐりという木はない」とそれらしい実が散らばった木の下で、お孫さんらしい男の子に話している私と同年輩くらいの男性の話を耳にした。「エッ」と思いながらその場は通りすぎた。

どんぐりは「団栗」書く。どんぐりと呼んでいる木の実は、ブナ科の果実の総称でいろいろな形や大きさがある。この同じような形の果実をまとめて「どんぐり」と呼んでいる。そして丸いという意味の「団」と「栗」に似た形からついた名前という。どんぐりはどんぐりの木になる、そう思い込んでいた。

どんぐりはデンプン質に富み、それは多くの動物の餌さとして知られている。終戦直後にはこれを拾って短い期間だが学校へ持参したことがある。給食用のパンに加工されたのだ。

先日、強い風とこの季節には珍しく激しい雨の日があった。荒れた翌日の公園は小枝が散乱し、どんぐりは撒いたように散らばっていた。が、多くが土に埋もれていた。童謡のように「ころころ」転がることは出来ない。何かの小動物が餌にしてくれたならどんぐりは本望だろう。

どの樹木のどんぐりも並べて比べると形状はほぼ同じである。このことから、抜きん出たものが存在しない集団を指して「どんぐりの背競べ」と言う。争いは起きない変わりに進歩もないだろう。多少は刺激を受ける日々が楽しいことにまちがいわない。

(写真:埋まって転がれないどんぐりたち)
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満水のダム湖

2009年11月15日 | 地域
               

国道315号線を周南市街から同市鹿野町へ向けて車を進めると「向道湖」がある。それは向道ダムによってできた人造湖で700万立方㍍の貯水が可能という。ダムは多目的ダムで洪水調整・工業用水・上水道・発電と、特に珍しい内容は無い。

退職前の数年間、山陰側への仕事でこの湖のそばを車を運転しながらよく通った。出張は公共交通機関が原則だが、車なら日帰りが出来ることを理由にし山合のドライブも楽しんだ。

通るたびに「この湖の満水の姿を見て見たい」と思っていた。退職してからも同じだった。その湖が満水だった。先日から続いたざんか梅雨のお陰だろう。しばらく車を止めて湖面を眺めた。満水はいい。

湖とはいいながら眺めはちょっと広い川巾だね、くらいにしか見えないくねくねとした細長い姿だ。ここから流れ出た水は下流の菅野ダムへと流れ込み、2度目の役目を果たすことになる。その菅野ダムは満水の位置からかなり低い位置に水面があった。

このダム湖にはちょっと自慢できることがある。まず日本で最初に運用が開始された多目的ダムである。次にその完成が私の誕生年月と同じことだ。来年は古希を迎える。この間、戦争の波にもまれ所管部署の変遷はあったが今に続いて働いている。

ダムの有用性について議論がある。それは置いておいて自分と同い年のダムと知っていつまでも役目を果たしてほしい、そう思いながら暮れかかる湖面を後にした。

(写真:ダム湖上流の満水の様子、向かいの山が綺麗)
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石焼いも

2009年11月14日 | 生活・ニュース
               

窯を積んだリヤカーを引きながら「いーしやぁーきいもー、いも」と呼びかけながら売る姿は冬の風物詩だった。最近はリヤカーは軽トラックに、呼びかけは拡声器に変わった。石焼いもは暖めた石の熱で間接的にゆっくり焼くから甘く出来上がって「美味い」と聞いている。

石焼いものいい匂いがしている。「100グラム100円」の看板の横で何人かのご婦人が買い求めている。昼食を済ませたばかで欲しくはないが「写真を撮らせて」と頼むと店主が「こっちを撮りんさい」と焼き始めたばかりの窯を開いてくれた。

「まだあります」小走りに駆け寄ってきた婦人に「待とったでよ」と店主。顔なじみのようだ。話しているうちその婦人は、この店主が店を出す日は30分くらい車で走って買いに来るという。「今日は20個ちょうだい」。女性や子どもに人気があるが、さしさわることもあったりして女性が買うのをためらうことも多かった、というがそれは昔の話しか。

焚き火や風呂を炊いた残り火でいもを焼いた。こちらは焼いもという。美味しい焼いもにするには、いもを暖かい灰で覆い決して直火に当てないこと、焚き火の終わるころに焼くのがいい、こんな祖父の話を思い出した。最近は焚き火ができなくなりこの味わい方は難しくなった。

ニュース映像で見る園児などがツルを引き抜き、彼らの顔ほどもある土のついた薩摩芋をかざして喜ぶ姿は微笑まい。それを身ながらふと思うことがある。終戦からしばらくはあれが主食代わりにもなった。再び主食になる日が来ない社会にしてやらなければと。

(写真:釜の中のいも、6機連なっていた)
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さざんか梅雨

2009年11月13日 | 自然 季節
               

季節の変わり目には曇りや雨のすっきりしない天気が多いという。その通りこのところの天気予報では雨雲が続いて日本列島を通り過ぎすっきりしない。晩秋から初冬にかけてしとしと降る雨を「さざんか梅雨」と呼ぶそうだ。この時期「さざんか」の咲く時期に合わせ呼び始めたとある。

確かに季節の変わり目に降る小雨にはいい呼び名が付けられている。菜の花の咲くころが「なたね梅雨」春と夏の分かれ目が「梅雨」夏と秋を分けるのが「秋雨」という。日本の四季にふさわしい呼び名だろう。

さざんかは椿によく似ているが花はそれよりやや小さい。花期は10月から1月くらいまでと長い。散るときは花びらが1枚ずつ散るのがさざんかで、椿と区別できる。

さざんか梅雨は立冬から小雪の頃にあたるそうです。今年の小雪は今月の22日。紅葉を訪ねるには少しうっとうしいのですが、ダム湖が潤うと思ってしばらくの辛抱です。

さざんかの花言葉は「困難に打ち勝つ、ひたむき、謙虚、愛嬌」たくさん載っているが人にとってわいい言葉だ、雨上がりもう1度見つめなおしてみよう。

(写真:雨上がりの山茶花)
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村祭り

2009年11月12日 | 地域
               

「村祭り」は小学校のころには習ったと思う。いかにもお祭りらしい響きが今も耳に残っている。知っているうちに記しておこう。最近はこの歌を聞かなくなった。

  村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日 
    どんどんひゃららどんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら 朝から聞こえる笛太鼓  

  年も豊年満作で 村は総出の大祭 
    どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら 夜まで賑わう宮の森
  
  稔の秋に神様の 恵み仰ぐや村祭
    どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら 聞いても心が勇み立つ

残念だが歌にあるような祭りは記憶に無い。子どものころの見た祭りは町内の中央にある社に大きな幟が飾られ、行灯が広場を取り囲む。その行灯には墨で描かれた時代物の絵が貼られ、夜には蝋燭がともされる。

社の広場に舞台が作られ芸自慢の大人が持ち芸を披露する。ラジオしか娯楽のない時代、大きな拍手が起こっていた。今思えばそこは町内の寄り合いの場でもあったのだろうか。

氏神様は長い石段の上に社がある。初詣の時はそこまで上る。石段の数は変わらないのに時間は少しずつ延びている。早朝ウオーキングの途中、石段の麓から「昨日の無事に感謝し今日の安泰を願って」拍手を打っている。

鎮守と産土神を含めて今は氏神と呼ぶそうだが、地域のこうした伝統を継承するのは困難な時代になっている。それでも後世へと力を注がれる人に心から感謝したい。喧騒の中でふと休まるところが鎮守の森かもしれない。

(写真:氏神様の祭礼を告げる幟と行灯)
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セルフGSで若者の奮闘に思う

2009年11月11日 | エッセイサロン
               

(2009年11月11日 朝日新聞「声」掲載) 

 寒い日が続くという予報が出た日、暖房用の灯油を買いに行った。持参のポリタンクにセルフで購入。店独自のサービスポイントが積み立てられ、さらにグリーンスタンプの点数も加算される。何か得した気持ちになった。

 そこのスタンドの従業員数が少なくなっている。以前は3人くらいで働いていたが、前回も今回も1人の姿しか見えない。セルフ以外の車へのガソリン給油や灯油の量り売り、ポイントの入力に電話応対と、若い男性が小走りで忙しく働いていた。   

 報道では雇用の厳しい状況が続いている。有効求人倍率は低いまま推移し、失業者数は増加している。中小企業では明るい望みは見えてこない。そんな背景の中でその若者はひとりもくもくと働いていた。

 トイレや弁当の時間は確保出来るのだろうか、人のことだが心配になる。たまたま立ち寄った時間が勤務表で少ない時間帯だったら救いではある。だが、前回と同じように1人で働く忙しさを目にして気になった。

 スタンドを出るとき、「ありがとうございました」という若者の大きな声が後ろから届いた。なにか救われたようで、直ちに「頑張れよ」の意味を込めて車の窓から手を出して応えた。

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