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(2009年11月29日 毎日新聞「男の気持ち」掲載)
子どものころ、近所の庭に大きくて高い銀杏の木が1本あった。幹の回りは、子ども数人が手をつないでやっと届くくらい大きかった。その銀杏の周りにちょっとした広場があった。
そこに落ち葉が積もり始めるといつの間にか子どもが集まり、遊び始める。私も大きな声で駆けまわりながら騒いでいた一人だった。騒いでもその家の人から諭されたという記憶はない。
落ち葉をかき集め小山にする。集めた葉を両手でつかんで誰彼の区別なく頭上から振り掛ける。また集めて振り掛けるの繰り返し。単純な繰り返しのどこが楽しかったのか、古いことで思い出せないが、大声をあげて日が傾くまで遊んだ。
時には風にのって舞い落ちてくる黄色い葉をつかもうと、ふらふらしながら小さな手が空をきる。つかめばまた大声を出す。この楽しい遊びも独特の匂いの実が落ち始めると終わる。
その銀杏の木は小高いところにあり、少し離れたところからでも眺められた。住まいを移ってからもその辺りを通りかかると、梢の黄色を懐かしく見ていた。
その梢が突然消えた。子どもたちを翁のように見守ってくれた木。その下で遊んだ思い出まで失ったようで寂しい。再び経験できないことへの郷愁かもしれない。
どうして見えなくなったのかと思いながら、まだそこへ足を運んでいない。いつか回り道をし、あの小さな広場を訪ねてみよう。
(写真:銀杏の落葉風景、吉香公園で)
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