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近くの畑の大根が秋の好天に恵またのかよく育っている。畝から半分くらいのぞいている真白な大根は、見た目にもかぶりつきたくなるようなみずみずしさを感じる。隣の畑は収穫中で抜かれた大根についた土の黒さが育ちのよさを感じさせる。
大根抜きは子どもの手伝いにしては力のいる仕事だった。父親の畝をまたいで真直ぐ上に抜く真似をするが、身長不足で斜めに引っ張ることになる。それでせっかっく伸びた大根を折って2つにしたこともある。
収穫した大根は沢庵と2種類の切干になった。沢庵用は束ねて櫨干しにする。短冊状に切ったものは筵に広げて干す。大根を切る包丁とまな板のリズミカルなあの音が、母の姿と一緒に思い出せる。祖母は1日に何度も混ぜながら乾き具合を見ていた。
少し厚手に輪切りした大根は藁紐を通して軒下に下げる。こちらは、やがてやってくる寒風にさらされ、硬くひなびた姿になるが、食べると大根の甘みがそのまま残っていた。子どものときから好きだった。大根は買ったり頂いたり、切干など加工したものは買い始めて長い年月になる。
「大根や人参などは葉のついたものを買いなさい。新鮮だから葉付きで店頭に並ぶのです。勿論、葉も食材にしてください」と道の駅が話題の番組で紹介があった。母もそうだったが家内も葉を捨てたことはない。これからも続くだろう。
(写真:紺碧の空と大根の白、日本の原風景)
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