日々のことを徒然に

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岩国の剣客 2

2010年10月12日 | 町かど
           

岩国が出した剣士として有名な人がもう1人いる。その名は宇野重義、通称を金太郎と呼んだ。文政11(1828)年に今津に生れ、小鼓の家、宇野正九郎の養子となるが、剣道を片山流の正統・片山友猪の門に学んだ。

弘化4(1847)年に藩校養老館の師範となる。嘉永元年(1848)から数度に渡って江戸へ修行の旅に出ている。修行の途中で各地の武家で剣道の指南を委託せられている。文久2(1862)年2月藩主吉川経幹より正宗の短刀を授与せられたその功を賞された。同年8月35才の若さで死去したのは惜しまれる。

これだけでは金太郎の強さやその剣術について伝わらないが、逸話が20編あまり紹介されている。母堂が飯を盛られる間も箸で剣に換え撃刺しの状をなし、工夫を怠らず、ついに箸をとり、飛んでいる蝿をはさむことが出来るようになったという。

ある日萩藩の桂小五郎が岩国来て宇野先生に試合を申し込んだ。桂は「お小手なり」と打ち込んだ。「失礼ながら肘の上では竹刀剣法としては真の小手ではない。明日、真の小手をお打ちしよう」。翌日、宇野先生は上段の構えからただ一撃、桂は「参りました」といい、手や腕の療養をしたという。

数々の勝負でいかなる剣豪にも負けなかった金太郎が負けた逸話。「当時の武道者は、豪壮をもって任じよく食することを誇り、かえって衛生面をゆるがせにした傾向があった。宇野氏も『うなぎ』を暴食し、ついに一命をおとしたことは惜しみてもあまりある」(原文のまま)。38歳の若さで死去。

昔から「柔能く剛を制す」という。剣豪がにょろっとしたウナギに負けた逸話、作り話でないだけに剛にも弱みがあった、とほっとさせる。

(参考:郷土岩国のあゆみ)

(写真:宇野金太郎の墓がある普済寺の遠景)

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