芭蕉、子どもころには我が家に由来は知らないが数本植わっていた。そのころは祝い事や祭りになると各家庭で四角い押し寿司(今は岩国寿司として観光に一役買っている)を作っていた。その各段の仕切りに芭蕉の葉を使うため、近所からシーズンになると取り来られた。観光用では段仕切りに野菜が使われたいるようで、これなら捨てるところは無い。
今も横山地区ではあちこち見かけるが、家が新しくなるたび姿を隠している。そんな現代化の時代だが、芭蕉が何年も絶えることなく生え続けている道沿いの法面がある。今、枯芭蕉から生まれ変わり大きな葉を風に揺らしている。この芭蕉は月に1度は見に足を延ばしている。今日は先月より一回りたくましくなっていた。
回り込んで見ていると久しぶりに芭蕉の実がなっていた。果実はバナナそっくりだが食べれないと聞いており、見るだけで済ましている。先端の大きな楕円は花序(かじょ)と呼ばれる。果実は数年に1度しか生らないといわれるが花言葉は「燃える思い」とか、燃える思いが実る、男らしくていい。
冬の枯芭蕉はものの哀れを誘う。また、風で葉が破れ安いことから縁起が悪く庭忌草(にわきぐさ)という別名がある。あの俳人・松尾芭蕉は門徒から寄贈された芭蕉の株が立派に育ち、自身の庵の名物になっていたことにちなんで芭蕉と名乗ったという。見上げるほどの高さの芭蕉は堂々として縁起の悪さは感じさせない。
(今日の575) ジャパニーズバナナと言うが食せない