プロ野球ロッテの元投手・村田兆治さんの「離島甲子園」を月刊文藝春秋で読んだのは2008年10月号だった。内容はその年の7月末、東京・伊豆大島で「第1回全国離島交流中学生野球大会」が開かれたことや、そこに至った背景、少年たちへの思いを伝える内容だった。
村田さんはマウンドを去った翌年、日本海に浮かぶ小さな島で講演された。全校児童15人では9人に分かれて2チーム作れない。満足な試合も出来ないことに気づかれ離島に思いを寄せ始めた。全国の離島を訪れ野球教室を開くうち、離島の子ども同士が集まって交流する場を作りたい思いが「離島甲子園」を実現させた。
村田兆治さんと長い期間交流のある私の親しい知人が、村田さんと会食されることを知った。私は購読紙の企画記事で各界の著名人のこれまでを顧みる企画記事で村田兆治さん分を切り抜き、表紙を付けファイルしていた。ファイルしたのは「離島甲子園」に関心があったから。そこで、表紙にサインをもらってもらえないか、と頼んだ。
その表紙に、「人生先発完投」「村田兆治」「サイン日」の記されたファイルが戻って来た。「人生先発完投」はサインに記されることを記事で知っていたが、その記事通りの様式だった。喜んでサインしていただけたとのことで安堵した。何冊かある切り抜きファイルの記念の貴重な1冊になる。
(今日の575) マサカリに切られた打者の苦笑い