錦帯橋が国の名勝に指定されて今年100年目にあたる。記念行事もコロナ禍では目立ったことは無かった。その錦帯橋を岩国側から右斜め上の岩国城を眺めながら渡り終えるとそこは横山側になる。橋の袂の下流側の石段を下りると右側に立派な姿の大きな松の木が植わっている。
いま植わっている松は3代目の「槍こかし松」。槍こかし松にはこんな由縁がある。諸国の大名が他藩の城下を通るときは、行列の槍を倒すのが礼儀となっていたが、大藩が小藩である岩国の城下を通るときは礼儀を守らず、槍を立てたたまま堂々と通った。岩国藩の武士はこれを見て憤慨し、大きな松の木をわざと橋の頭に植え、槍を倒さないと通れなくしたのがこの松と伝えられる(いわくに通になろう 参照)。
300年の歴史を有する松は岩国市民にも観光客にも親しまれていたが1952(昭和27)年9月枯死した。その前年、1950年のキジア台風で流失した錦帯橋再建中に同松の枯れ死症状を早大・青木楠男工学部教授が診断。そのとき、枯れ死寸前の樹の一部に種から生えた小枝を発見、「これぞ二代目である」とし、苦心丹精された甲斐あって成長した松(写真)で、1956(昭和31)年岩国市に寄贈された。
由来は知らないが、初代の槍こかし松と錦川をはさんで向かい合うように、錦帯橋岩国側下流の石段にも、大きさでは引けを取らない松が植わっていた。周辺整備で姿を消したがいったがあの松はどこに消えたのだろう。故えなければあれほどの松が植えられることは無かろう、そんなことを追想する。
(今日の575) 槍倒す枝の太さを思い出す