あるブログに「災難にあった」という書き出しがあった。それは、どう考えても理解できないという。微熱と喉に何かかかっているような感じがしたので掛かりつけ医で診断を受けると「コロナに感染している」とのことで、自宅療養者となった。
コロナに感染しないよう、移さないよう誰にも負けない注意と対策をしていたと言うが、感染してしまった。どこで感染したか思い当たらないが、家族は陰性でほっとした。「こんなのを災難というのだろうか」と結んであった。災難とは「突然身に降りかかる不幸な出来ごと」を表す言葉。感染源不明という陽性者の分析がある。どこにいても感染する、油断はできない。
災難と言えるかどうか。半分千切れそうな写真のカボチャも災難にあっている。コロナと違い原因ははっきりしている。それは農園の見回り不足。そこは山里の農園に設けられた農獣除けのネットにカボチャがすり寄り過ぎて哀れな姿になった。収穫には手ごろな育ち、それにしても災難とはこうしたものか。災難が降りかかる、災難に遭う、暑さで何かと緩くなる生活、気を引き締めたい。
県内の18日のコロナ新規感染者、今月3回目の過去最多更新、昨日より約500名増の3494人、県内の3千人超は初めて。広島県6761人、岡山県4284人で山陽3県は1日当たりの感染確認が過去最多となった。規制なし夏休みの影響でなければいいが。気を許すなという「災害は忘れたころにやって来る」という物理学者・寺田寅彦の言葉はどんな時でも通用するように思う。
(今日の575) 災難よ降って来るなと手を合わす