ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

名越康文『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』

2014年11月28日 21時45分17秒 | 文学
名越康文『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』(PHP新書)を読んだ。
ものすごく直球のタイトルで、しかも仏教との関連で書いているというので興味を惹かれて読んだ。カミュの『シーシュポスの神話』はたしか、自殺しないで生きるのに理由があるのかということをテーマに語り始めて、ものすごく興味を惹かれたのに、結局どういう結論をカミュが出したのか忘れてしまったが(たぶん結論などなかったのだろう)、この本も似たようなものだった。直球の質問には結局は誰も直球では答えられない。答えられたら苦労しない。しかしこのタイトルの本を読む人はわりと切実に答えを聞きたいんじゃないのかな。
途中まで(第五章まで)はとても面白く読んだ。これから生活する上で参考にしていこうというようなことがいくつかあった。背筋を伸ばすとか、深呼吸するとか、大きな木に抱きつくとか、そんなこと。
しかしそのあとの仏教についての詳細な説明はいるのだろうかと思った。ばかばかしくなってあまり真剣に読まなかった。
そういうのはほんとうに仏教に興味のある人が本当に仏教に詳しい人の本を読めばいいことだと思う。
途中までおもしろかったので残念な本だった。

内田樹周辺のひとの本は主張が内田樹にとても似てくるのだが、この本も内田樹ロジックが多かったと思う。
コメント

太宰治「惜別」

2014年11月28日 00時49分00秒 | 文学
太宰治「惜別」読了。
この間読んだ「パンドラの匣」にちょっとした諍いが起きてそれを解決するのに、自分ではとくに何もせずに尊敬する人に委ねるという場面があったが、同じような話が「惜別」にも出てきた。
この小説は魯迅が日露戦争のころに日本に来ていて、そのころのことを回想する医者の手記という形で書かれている。太宰治はこれを太平洋戦争の頃に書いている。そのような時代背景を感じさせることを魯迅に言わせている。しかしそのようなある意味での欠点もあまり気にならなかった。
魯迅が最後は太宰治のように語り始めて、そこが私にはおもしろかった。霊媒師を見ている感じだった。
最後は魯迅の「藤野先生」の引用で終わる。
コメント