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沢木耕太郎『246』

2014年11月06日 23時55分32秒 | 文学
沢木耕太郎『246』(新潮文庫)を読んだ。
少し前に「沢木耕太郎vs堀江敏幸」という題で書いたことがあるが、なんとこの文庫の解説を堀江敏幸が書いている。驚きだ。
二人にはなにかつながりがあるのだろうか。
私が書いたのは、本屋でどっちを読もうか迷ったというだけの話なのだが。

この日記を書いている当時沢木耕太郎には二歳の娘がいて、彼自身は四十歳になる直前で、状況が私とまったく同じなので、お膳立てが整いすぎているなと思いながら読んだ。
二歳の娘を連れて母親なしで三泊も旅行できないなとか、昔はチャイルドシートもシートベルトもなかったなとか(シートベルトはあったがつけてなかったということです)、そのようなことを考えながら読んだ。
子供の話し方はうちの娘とまったくいっしょで、三十年では幼児の話し方に劇的な変化はないようだ。
このあと沢木耕太郎の娘は、夢を見たことを語り(三歳と二か月)、「おとーしゃん」が「おとーさん」になった(三歳と三か月)らしい。うちでも同様の変化があるのだろう。育児本としても読めた。
休みを自分で決められて羨ましいなと思った。
なにがどうということもない本だが楽しく読めた。
書いてある本や映画にもっと興味を持つかと思ったがそんなこともなかった。時間的な余裕があまりなくなっているせいもあるが、本や映画に昔ほどの興味がなくなっているのだろう。だから日記が読めるのかもしれない。書かれていることの逐一に興味を持っていたら他人の日記なんか読めやしない。一日読んだらまた次の日を読むということができる必要がある。

大岡昇平らの世代には太平洋戦争があり、沢木耕太郎らの世代には連合赤軍事件がある。僕らの世代にはなにがあるのだろう。何もないのではないかということを感じる。
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