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『この国のかたち』のための覚書

2014年11月01日 22時49分04秒 | 文学
車に乗っているときに小林秀雄の講演を聴いていたら(「小林秀雄講演第1巻 文学の雑感」)、日本では思想が外から入ってくるものだと思っている、と小林秀雄が語っていた。
このフレーズは何か聞いたことがある。
司馬遼太郎の『この国のかたち』は、読んだことはないのだが、なんどか立ち読みしたことがあり、最初の頁はなんども読んだことがあるのだが、そこに、日本では思想が外から入ってくるものだと言っていた人がいて、いま正確にその文章を確認しようと思ったけれども見つからないので誰が言った言葉かは言いません、みたいなことを司馬遼太郎が書いていると思う。
ここを読むたびに、誰だろう、司馬遼太郎の友達って、梅原猛とかかなあ、読んだことないしなあ、と思っていたのだが、小林秀雄なのかもしれない。ただ、言っていることが、(失礼ながらいまの感覚で言えば)誰でも言いそうな言葉なので別の人かもしれない。
そのうち『この国のかたち』を読むかもしれないのでメモしておく。

このような、引用元を明確にしていない文章というものはわりと気になるもので、太宰治は「如是我聞」で、「他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ。」はヴァレリーの言葉と書いているが、どの本の何頁に書いてあるのかが長年気になっている。
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大岡昇平『成城だより(上)』

2014年11月01日 01時07分30秒 | 文学
大岡昇平『成城だより(上)』(講談社文芸文庫)を読んだ。
図書館で借りて一度通して全部を読んだことがあるような気がするが、あまり覚えていない。
『富士日記』ではまだ生きていた大岡昇平の飼い犬デデがここでは死んでいた。
小林秀雄がまだ生きている。小林秀雄が生きている世界というのがなんだかすごい。しかしあまり登場しない。一度大岡昇平が家の前に行ったことがあり、奥さんには会ったのだが、本人は入院中だった。本人の登場は電話で一度話したくらいか。
安岡章太郎の『流離譚』について詳しく書評を行っていて、興味を惹かれる。小林秀雄も最後に書評したのはこの本だと思う。
丸谷才一との往復書簡が読みたい。いいかげん『裏声で歌へ君が代』を読むべきか。
河合隼雄に対して、今ではちょっと考えにくいくらい胡散臭さを表明している。

日記の日付は以下。
『富士日記』 1964年7月 ~ 1976年9月
『成城だより』 1979年11月 ~ 1980年10月
『成城だよりⅡ』 1982年1月 ~ 1982年12月
『成城だよりⅢ』 1985年1月 ~ 1985年12月

小林秀雄が死んだときにこの連載をやっていないのが残念だ。
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