車に乗っているときに小林秀雄の講演を聴いていたら(「小林秀雄講演第1巻 文学の雑感」)、日本では思想が外から入ってくるものだと思っている、と小林秀雄が語っていた。
このフレーズは何か聞いたことがある。
司馬遼太郎の『この国のかたち』は、読んだことはないのだが、なんどか立ち読みしたことがあり、最初の頁はなんども読んだことがあるのだが、そこに、日本では思想が外から入ってくるものだと言っていた人がいて、いま正確にその文章を確認しようと思ったけれども見つからないので誰が言った言葉かは言いません、みたいなことを司馬遼太郎が書いていると思う。
ここを読むたびに、誰だろう、司馬遼太郎の友達って、梅原猛とかかなあ、読んだことないしなあ、と思っていたのだが、小林秀雄なのかもしれない。ただ、言っていることが、(失礼ながらいまの感覚で言えば)誰でも言いそうな言葉なので別の人かもしれない。
そのうち『この国のかたち』を読むかもしれないのでメモしておく。
このような、引用元を明確にしていない文章というものはわりと気になるもので、太宰治は「如是我聞」で、「他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ。」はヴァレリーの言葉と書いているが、どの本の何頁に書いてあるのかが長年気になっている。
このフレーズは何か聞いたことがある。
司馬遼太郎の『この国のかたち』は、読んだことはないのだが、なんどか立ち読みしたことがあり、最初の頁はなんども読んだことがあるのだが、そこに、日本では思想が外から入ってくるものだと言っていた人がいて、いま正確にその文章を確認しようと思ったけれども見つからないので誰が言った言葉かは言いません、みたいなことを司馬遼太郎が書いていると思う。
ここを読むたびに、誰だろう、司馬遼太郎の友達って、梅原猛とかかなあ、読んだことないしなあ、と思っていたのだが、小林秀雄なのかもしれない。ただ、言っていることが、(失礼ながらいまの感覚で言えば)誰でも言いそうな言葉なので別の人かもしれない。
そのうち『この国のかたち』を読むかもしれないのでメモしておく。
このような、引用元を明確にしていない文章というものはわりと気になるもので、太宰治は「如是我聞」で、「他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ。」はヴァレリーの言葉と書いているが、どの本の何頁に書いてあるのかが長年気になっている。