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☆「失われた時を求めて」メモ59 (「囚われの女」読了)

2008年06月22日 14時51分43秒 | 文学
失われた時を求めて 10 第五篇 完訳版 (10) (集英社文庫 ヘリテージシリーズ)プルースト「失われた時を求めて」10巻読了。

・ヴェルデュラン夫妻にも優しい部分のあるところが示される。
完全に善人であったり、完全に悪人であったりするわけではなく、状況や相手によるものである。
・ドストエフスキー論。
ドストエフスキーの長編小説に対するかなり詳細なコメントが、語り手とアルベルチーヌとの会話という形で述べられる。
「源氏物語」で言うと「蛍」に当たるのだろうか。
ドストエフスキーの全作品を通して、ある共通の感じがあるということが語られる。
それはどの作家についても、たぶん、言えることだ。
・それにしてもアルベルチーヌの嘘は次から次へとばれる。
さっき言ったことをもう忘れて、辻褄の合わないことを言ってしまう。
さまざまな女性(同性愛の趣味があるとされるすべての登場人物)とアルベルチーヌはたぶん関係があるのだ。ひどい。
・アルベルチーヌが逃げる。
語り手がヴェネツィア行きを決めた途端にアルベルチーヌが消える。
「源氏物語」で言うと、源氏が妻の葵と心が通じ合ったと思ったときに葵が死んでしまうようなものか。
・なんで「源氏物語」で喩えるかと言うと朝日新聞の朝刊で「失われた時を求めて」と「源氏物語」が似ているという話が載っていたから。なんどか聞いたことがある話ではあるけれど、そんなに似てるかなあ。
長くて挫けそうになる所はそっくりだけど。
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☆ゲイリー・フレダー監督「サウンド・オブ・サイレンス」感想

2008年06月22日 11時16分01秒 | 映画
サウンド・オブ・サイレンス録画していたゲイリー・フレダー監督の「サウンド・オブ・サイレンス」を見た。
暇つぶし以外の何ものでもない映画だった。
あんなちっちゃな、小石みたいな宝石にこのおっさんは何人殺して、何年時間をかけてるんだ!? 馬鹿ですか? と思った。
それに何で番号を知ってると思ったんだろう。なにかその理由は描かれていたかなあ。

ヒッチコックのマクガフィンの話で、サスペンスにおいてお宝の価値は問われない、登場人物たちが重要と思っていればよく、思わせぶりであればそれでいい、というようなことが言われ、まあ言ってることはその通りなのかもしれないが、あまりにもどうでもいいものすぎて映画全体が馬鹿馬鹿しいものになってしまっている。
現代文学で、もうこれまで言われていないことはなく、すべて誰かが言ったことの引用だ、というようなことが言われることがある。それはそうかもしれないが、そういう気持ちで作ったものは真剣さに欠けているように思われ、こちらもまともな気持ちで付き合う気になれず、興味を惹かれないことが多い。
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☆トルストイ「クロイツェル・ソナタ」

2008年06月22日 00時21分49秒 | 文学
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第九番は「クロイツェル・ソナタ」と呼ばれていて、それを題材にしたトルストイの小説「クロイツェル・ソナタ」(新潮文庫、原卓也訳)を読んだ。再読。
トルストイの考えていることは、なかなか共感しにくいことが多いのだが、誰からも聞いたのことのないような考えを言うのでいつも感心する。
この中編小説は、前半と後半に分かれている印象だった。
前半には、男の子が自然に女性との性交渉に進むわけではなく、周りから急かされてそれを済ましている、世の中はそうなっているがそれは嘆かわしいことだ、というようなことが書かれていた。
後半は、妻を殺した男の語る話。
男の妻がピアノを弾き、ヴァイオリニストの浮気相手と合奏する曲として「クロイツェル・ソナタ」が登場する。

おもしろくないこともないのだが、ものすごく入り込んで「すごい!」って程ではなかった。
思うに、もう少し年齢を重ねないと駄目だ。
読んでいて谷崎潤一郎を思い出した。
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