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☆浅田次郎「蒼穹の昴」読了

2008年06月15日 23時18分35秒 | 文学
蒼穹の昴(1) (講談社文庫)蒼穹の昴(2) (講談社文庫)蒼穹の昴(3) (講談社文庫)蒼穹の昴(4) (講談社文庫)
どうしてもなんか手軽な大衆小説を読みたいと思い、買ってずっと読んでいなかった浅田次郎の「蒼穹の昴」(講談社文庫)を読んだ。そんなに手軽ではなかった。
いま思うと、最初のほうの科挙の試験で隣のお爺さんが死ぬところとか、宦官の手術シーン(手術とも言えないようなものだけれど)のあたりは興奮して読んでいた。
だんだんと興味がなくなった。
しかし中国の歴史がちょびっとだけ分かって良かった。
満州人と漢人がいることとか、そういうことも知らなかった。日本の幕末に長州人と薩摩人と会津人などがいたことも司馬遼太郎を読むまで知らなかったが、そのような感じだ。
いくつか読んでみるが、歴史小説ではいまのところ司馬遼太郎しか読めない。
何にも知らなくても興味が持てて理解できるように書いているように思う。
プルーストが終わったら次は絶対に司馬遼太郎を読もうと心に決めたのでした。
同じ中国ものの「項羽と劉邦」がもっとも気になる。
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☆文庫のタイトル

2008年06月15日 02時15分58秒 | 文学
子供の叫び声と言うか鳴き声(?)が嫌いで、どこにいても耳障りだ。
本屋や図書館で聞こえると「誰だ、ガキを連れてきたやつは!」と憤慨してしまう。
これは、いけない。
煙草嫌いが煙草の煙に過敏に反応してしまうように、嫌いなものを即座に見つけて嫌悪してしまうということがある。
気をつけないといけないな、とわりと思っている。
「憮然」の誤用も、もう誤用ではなくそういう意味もあるのだ、言葉の意味は変わるのだ、と思おうとしているのだが、なかなか上手くいかない。
浅田次郎の「蒼穹の昴」でも「憮然」が何度も出てくるのだが、憮然としてしまう。ふう。
ということは浅田次郎は「憮然」を夏目漱石から学ばずにテレビか世間話から学んだんだな、と思うと悲しくなる。そんな言葉を使うなよ。
しかしもう言うまい。すでに言いすぎている。

幸田露伴と幸田文とその子孫のことを番組にしたNHKの「幸田家の人びと」を録画していたので見た。再放送らしい。確かにところどころ見たことのあるような場面があった。
露伴の孫の青木玉とその娘の青木奈緒の話のところは早送りして、おもに露伴と文の親子のところを見る。
露伴はそうとう偏屈で口うるさい親父だと思うが、文はよく耐えたな。あんな親父には耐えられるのに文は離婚している。不思議なものだ。
この間、内田樹のブログでも幸田文について触れられていて、最近幸田文旋風が僕の周りで吹き荒れているので、本屋で少し立ち読み。
幸田文は何度か気になったことはあるのだが読んだことはない。
「父・こんなこと」(新潮文庫)は「父」と「こんなこと」という二つの本をまとめた文庫なんだな。
開高健の「パニック・裸の王様」(新潮文庫)みたいなものだ。
「パニック・裸の王様」ってなんとなく、「パニック」がタイトルで「裸の王様」がサブタイトルのようなものだと思ってしまいがちだ。「父・こんなこと」もそういうタイトルかと思ってた。
そういうことってある。


あるある。


絶対ある。


あるったら、ある。僕にはある。
しかし、幸田文はまだ読まなくってもいいかな。
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☆「蒼穹の昴」を読んでいる

2008年06月12日 20時45分58秒 | 文学
浅田次郎の「蒼穹の昴」を読んでいると、頭のなかで「魔訶不思議アドベンチャー!」(アニメ「ドラゴンボール」の主題歌)が流れる。
♪手っにっいっれろっ! ドラゴンボールっ!
宝探し冒険小説では「ダ・ヴィンチ・コード」のほうが好きだな。
あっちは聖杯だったけど、こっちは龍玉(ロンユイ)を探す物語のようだ。
ルビの中国語読みがなかなか憶えられなくて、「この漢字はどう読むんだっけ?」と振り返るのに結構時間がかかっている。
西太后(ええっとなんと読むんだっけ?)が、気に入らないと猛烈なお仕置をするという話が何度も出てくる。昼御飯のときの料理人へのお仕置きが晩御飯のときまで続いたとかそんな感じ。うちの母親よりもひどい。
ほんとなんだろうか。
西太后がひどいという話は何度か聞いたことがあるんだけど。
「蒼穹の昴」は十年前にアルバイト先の女の子から面白いという話を聞いて以来いつか読もうと思っていたのだが、やっと読んでいる(本は文庫化されたときにすぐ買った)。十年越しの期待が大きすぎたのか、「ふーん、ふむふむ」といった感じ。「ぎょえー! すげぇ! どんだけー! おーもろーっ!」とまでは行かない。

薬師丸ひろ子主演の映画「探偵物語」(根岸吉太郎監督)。
録画していたのだが、途中で見ていられなくなり挫折。
「時をかける少女」も途中で何度か見るのをやめようと思ったのに、最後まで見ることが出来たのは大林宣彦の力量だろうか。
アメリカ留学前のお嬢様(薬師丸ひろ子)が先輩とホテルで一夜を過ごそうとするが、婆や(岸田今日子)の雇ったガード役の探偵(松田優作)に邪魔される。大学の友人が開いてくれた送別会パーティで、お嬢様と探偵がチークダンスを踊る……。
このあたりで意味不明になり、見るのをやめてしまった。探偵の目的はいったい何だ? 話によると殺人事件が起こるはずなのだがそこまでもたなかった。
しかし、薬師丸ひろ子は薬師丸ひろ子でなければ出せないものを出していた。そこは評価できる。
松田優作は、古尾谷雅人でもよかった。どっちも死んじゃったな。
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☆大林宣彦監督「時をかける少女」感想

2008年06月10日 00時00分19秒 | 映画
時をかける少女大林宣彦監督の「時をかける少女」をテレビで見る。
ただただ懐かしい。
白黒、パートカラー、特撮、フラッシュバックの描き方、最後に主題歌を歌うアイドル、すべてが懐かしい。「大林調」だった。
もう誰も真似できない。
80年代の映画ってどうしてこう、古臭くて恥ずかしい感じがするんだろうか。もっと古い映画、黒澤明や小津安二郎を見ても恥ずかしくはならないのに。
最初の場面で、見てはいないが「私をスキーに連れてって」を思い出した。原田知世といえば、スキーだ。機会があれば見てみよう。
入江たか子は「椿三十郎」よりもさらにおばあさんになっていた。(当たり前だ。)

今日のナイスな一言。
「土曜日の、実験室!」
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☆ロバート・ベントン監督「白いカラス」感想

2008年06月09日 17時53分06秒 | 映画
白いカラス腹の調子が悪く、会社を休んでソファに寝転がり、本を読んだり映画を見たりして過ごす。
録画していたロバート・ベントン監督の「白いカラス」を見た。
フィリップ・ロスの小説は「父の遺産」というのを図書館で借りて読んだことがあるはずだけれど、あまり憶えていない。難しい小説だったと思う。今回この映画を見ても「ああ、いかにもインテリの書きそうな小説だな」と思った。
急いで付け加えておけば、僕はインテリの書きそうで、しかもインテリの好きそうな小説というのが嫌いではない。どちらかと言うと好き、だ。
大江健三郎も丸谷才一も、あとはミラン・クンデラも(あとは誰だっけ? ほかにもたくさんいるだろうけど)たまに読みたくなる。
たぶんこの映画の原作(フィリップ・ロス著「ヒューマン・ステイン」)も、たんに物語を楽しむだけではなく、どっちかといえば物語の中断を楽しみ、作者のエッセイに近い語りを楽しみ、古典文学から引用を楽しむ小説なんだろうな(読んでないし読む気もないので適当に言ってます)。
アンソニー・ホプキンスの秘密について語らずにこの映画について語るのは大変難しいのだが、
人種差別 → ダメ!
といったような単純な論理ではどうしようもないことばっかりだな、という感じです。でもそれだけ、人種差別問題だけ、の映画ではないです。

この映画を見て最も驚いたのは、映画「パリ、ジュテーム」の最後に登場した公園でパンを食べるおばさんが、エド・ハリスに質問する役で登場したことだ。
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☆小林秀雄の「感想」の前半の感想 (メモ57)

2008年06月08日 20時15分09秒 | 文学
小林秀雄全作品〈別巻1〉感想(上)小林秀雄の「感想」(「小林秀雄全作品 別巻1」所収)の前半を読んだ。
例えばフッサールが分からなくて竹田青嗣を読む、といったような感じで、ベルクソンが分からなくて小林秀雄のこの本を読む人がいるのだろうか。
竹田青嗣を読めばフッサールの思想か、少なくとも竹田青嗣の思想は分かるのだが、小林秀雄のこの本を読んでベルクソンの思想が分かるのかな。かなり疑問だ。
ベルクソンが分かれば読まなくてもいいような本だし、ベルクソンが分からなくて読んでも何も分からないような内容の本だと思う。いったい誰が読むんだろう。(小林秀雄マニアか。)
ベルクソンを読んでればいいな、と思える本だった。買ってるから最後まで読みますが……。
ここまでは、「笑い」と「創造的進化」と「物質と記憶」の話が中心だったように思う。ベルクソンの「物質と記憶」を、小林秀雄も最も難しいと感じていることが分かってほっとした。そこは良かった。

プルースト「失われた時を求めて」10巻92ページまで。
・ヴァントゥイユの七重奏曲がヴェルデュラン夫人のサロンで演奏される。
知らない場所だと思っていたのに突然よく知っている家の裏庭だったことに気付く、といったような比喩で、ヴァントゥイユのいままで聴いたことのない曲を聴いている感じを表す。
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☆「失われた時を求めて」メモ56

2008年06月08日 02時46分58秒 | 文学
最近、人には優しくしておかないといけないな、と思うことがあった。(当事者ではないのですが。)
恨まれると仕返しされてしまうことってある。

失われた時を求めて―完訳版 (9) (集英社文庫―ヘリテージシリーズ)プルースト「失われた時を求めて」9巻読了。

・作家ベルゴットが死ぬ。
フェルメールの絵を見に行って、その前で死ぬ。
「フランダースの犬」?
・スワンも癌で死ぬ。
主要登場人物が死に始めて大詰めという感じだ。
・最終巻でシャルリュスがとんでもないことをしているだろうということが予告されるが、シャルリュスはこれまでもとんでもないことしかしてこなかったオッサンなのだ。
それとも、いままで以上にとんでもないんだろうか。
そりゃ、とんでもない。
・以上です。
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☆麻雀放浪記

2008年06月06日 00時25分15秒 | 文学
麻雀ゲームをやり続けていても、あまり実際の麻雀をやりたいとは思わないのだが(ツモったり、並べたり、人の捨て牌に注目したり、たいへんだし)、阿佐田哲也の小説「麻雀放浪記」がなんだか読みたくなってくる。懐かしくて。
この小説は高校生の頃、友達に借りて読んだのだった。
読んでみようかなあ。
最近、司馬遼太郎の歴史小説とか、町田康の「パンク侍、斬られて候」や「告白」とか、「麻雀放浪記」とか、大衆小説にものすごく惹かれている。
プルーストと小林秀雄の明らかな反動だ。

司馬遼太郎といえば、再来年のNHKの大河ドラマは「龍馬伝」らしい。「竜馬がゆく」好きとしてはこれは見逃せない。
龍馬役は木村拓哉でもオダギリジョーでもどっちでもいいな、僕は。
大河ドラマというのは幕末と戦国時代が交互にやってくるものなんだな。
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☆ロドリゴ・ガルシア監督「美しい人」

2008年06月04日 22時10分31秒 | 映画
美しい人 デラックス版「彼女を見ればわかること」は大好きな映画で、同じ監督(ロドリゴ・ガルシア)の「美しい人」を録画して見てみた。
すべてワンシーン(「カットなし」と言うのかな。映画用語ってよく知らないんですが。)で撮影された短編映画を集めたものだったが、期待したほど面白くなかった。
眠くなった。
思わせぶりのまま終わり、次の話が始まるという感じだった。
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☆「失われた時を求めて」メモ55

2008年06月03日 23時55分54秒 | 文学
毎日麻雀ゲーム(「役満Wii 井出洋介の健康麻将」)をやっている。
「マリオカートWii」ほど腹も立たない。
しかし、ゲームはやっぱりゲームだな。運がよくなりはじめるとものすごくツイてくるように思えるし、親になったときにはチャンスがくるように思える。
気のせいかな。
実際の麻雀でも確かにそんなことを感じることはあるのだが、これほど露骨には感じなかったんじゃないかなあ。

プルースト「失われた時を求めて」9巻266ページまで。
・物売りの呼び声が何か伝統的な歌声を思い出させるというような話が何回か出てきた。
「きんぎょーえ、きんぎょー」とか「たーけやーさおーだけっ」の声が、歌舞伎とか能とかを思い出させるというような雰囲気のことだろうか。実際にはそんなものを思い出すことはないけれど。
・アルベルチーヌが怪しいという話が続く。
運転手もアンドレもグルだ。
・このあたり、ほんとに読みにくい。
第一巻の最初を思い出させる。プルーストが死んじゃったから推敲が足りないのか。
プルーストの、夢や無意識の考察って実はわたし興味が持てないんですよね。
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