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☆声に出して読みたい「エースをねらえ!」

2007年07月18日 22時36分17秒 | 漫画
エースをねらえ! (9)エースをねらえ! (10)
山本鈴美香の「エースをねらえ!」を全巻読み終わったあと、「声に出して読みたい日本語」で有名な齋藤孝の「バカボンのパパはなぜ天才なのか?」(小学館)の「エースをねらえ!」について書かれてある部分だけ読む。(なので、まだバカボンのパパがなぜ天才なのかは知らない。この本はいろいろなマンガについての評論のようなものです。)
齋藤孝は「エースをねらえ!」について、岡ひろみが主人公ではなくお蝶夫人こそがこのマンガの主人公であると主張する。
たしかにごもっともな意見ではあるけれど、このマンガはだれが主人公というような話ではなく、だれも主人公ではない。あえて言えば、
みんなが主人公です。
というふうな、言うだけでも赤面してしまうような話だと思う。
岡ひろみを世界に出すために登場人物たちみんなが自分が身を引いてサポート役に回り、岡自身も後進を育てていこうとしている。みんなで日本のテニス界を盛り立てていこうとしている。
このマンガを読んだのは、内田樹がこのマンガにすべてを学んだと言っていたのがきっかけで、そんなまさか、と思いながら読み始めたのだが、まるっきり嘘ではないな、と感じた。仕事というのは、ひとりでやって分け前もひとりで獲るものではなく分け前をみんなで分かち合うものだ(だからいいんだ)、というような彼の考えはこのマンガから来ている(またはこのマンガの思想と同じ)のだと思った。
しかしこのような考えはなかなか最近では受け入れられなくなっているのも事実で、「エースをねらえ!」がさぶかったり、古かったり感じられるのは、その東京オリンピック的な、というか高度成長期的な、考え方から遠くにいるからだと思う。
身を引いて誰かをサポートする人物(しかも18才や19才で)が集団で登場する物語をほんとうに知らない。「エースをねらえ!」的な考え方が日本で”あり”だった時期があったということもあまり理解できない。
たかだか三十年で日本人のものの考え方が変わってしまったんだな。

9巻でビデオ撮影したものをスローで再生するという場面が登場し、ああやっとビデオが一般化されはじめたなと思った。そのへんも時代を感じさせる。
ミステリー作家の山村美紗はミステリーのトリックのために新しい電化製品が登場するたびに買って研究していたらしい。ファックスは全メーカーのものを買い揃えていた。と、娘の山村紅葉の語っていたのをなんとなく思い出した。
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☆「エースをねらえ!」あと2冊

2007年07月18日 00時44分26秒 | 漫画
エースをねらえ! (7)エースをねらえ! (8)
山本鈴美香の「エースをねらえ!」を8巻まで読んだ。
映画「スター・ウォーズ」で、オビ=ワン・ケノービがダース・べイダーに殺されて死んでしまった後に、ルーク・スカイウォーカーにとってその存在が大きくなったように、岡ひろみにとっても宗方仁が死んだ後存在が大きくなる。
そしてルークが「帝国の逆襲」においてヨーダから教えを受けるのと同じように、ひろみも桂大悟に教わる。
師匠が死んだ後に初めて弟子は教えを受け継ぐことができ、死んだ師の代わりにサポートする人物が登場するというこの物語の型はいったいなんなんだろう。ほかにもあるのかなあ、いま思いつかないが。

8巻になっていろいろな外国選手が日本に集まってくるし、後輩もどんどん増えてきて、宗方仁にそっくりの神谷裕介とか登場し、「大丈夫かな」と心配になる。迷走してる気がする。あと2冊ですっきりと終わるのだろうか。
宗方仁が死んだ後に、まわりのみんなが気を使ってそれを岡ひろみに知らせないようにして、彼女が事実を知った後も全面的に支援する姿はちょっとやりすぎという気がした。
ものすごく岡を中心にすべてが動いている。
すこし付いていけなくなってきた。
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