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☆アラン「スタンダアル」(大岡昇平訳)

2008年02月15日 00時07分49秒 | 文学
大岡昇平全集〈1〉初期作品アランの「スタンダアル」の翻訳が「大岡昇平全集1」(筑摩書房)に入っているので借りてきて読む。
やはり日本でスタンダリアンたらんとすれば大岡昇平は避けて通れぬタリラリランなのだ!
アランがスタンダールをこれほどまで愛しているとは知らなかった。
《我々は理性によつて判断することが、自己によつて判断することだと思つてゐるが、実はこれはまづ他人と一致しようと願ふことだ。スタンダアルの決して求めなかつたところだ。絵画を見て退屈する人に向つて彼がよくいふやうに、趣味を育成するにはたつた一つの手段しかない。即ちどんなに未開でも自己の趣味に勇敢に従ふこと、そして自ら感じることを正確に自己に告白すること。》(479ページ)
これはまるでデカルトでありアランそのものだ。
アランが好きにならないはずがない。

今日はプルーストお休み。
でも以前読んだところで、ゴロを捕りそこなってトンネルしてしまったような気分のところがあるのできちんと書いておく。「失われた時を求めて」メモ9.5くらいの位置。
・映画「リトル・ミス・サンシャイン」の、少女がファミレスでアイスクリームを注文するシーンで、父親の示唆によって彼女が自分の太っていることに気付くシーンがある。「ミスコンの女王たちは誰も太っていないのに私は太っている」。
そういえばあれも、これも、こんなこともあった! 全部私が太っていることを示しているじゃないか!
私たちは結局見たいものしか見てなくて、ある時何かのきっかけで自分が見てなかったものに突然気付く。
ジルベルトに対する語り手の熱い思いは、彼女の自分への無関心な気持ちの表れをすべて見落とす。
語り手の見落としたものをあとからあとから拾っていってそれを針と糸でつなぎ合わせて織り上げる”お針子”は、語り手がそれまで見ていなかったジルベルトの気持ちを突きつける。(「土地の名・名」)
読んだときはそうよくも思えなかったが、よく考えたら卓抜な比喩だと思うので、これを「プルースト”お針子”体験」と名づけよう。
それにしても「リトル・ミス・サンシャイン」はいろいろ考えさせる。もしかしたら大変な名作なのかもしれない。
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