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☆「失われた時を求めて」メモ10

2008年02月14日 00時26分57秒 | 文学
呪いというのはかけた当人が死んでしまっても、いや死んだからこそますます、その威力を発揮する。
辻邦生、加賀乙彦、小川国夫、丸谷才一に江藤淳のかけた呪いの言葉”フォニイ”は、彼らの作品が文庫になって登場するたびに、僕に”フォニイ”という言葉をささやき続け作品に手を出すのを留まらせる。(くわばらくわばら、桑原和男、「お入りください、ありがとう」。)
しかし、僕にとってこの四人がフォニイというわけではないが、結局作家を評価する基準はそのひとにとってその作家がフォニイでないかどうかである、ということは間違いないように思う。

プルースト「失われた時を求めて」3巻48ページ。
・スワンとコタールの性格が変わったらしい。
性格というのはその社会における役割だ、ということか。
まわりの期待がそのひとの性格を作るということもある。
・ラ・ベルマの舞台までもう少し。
語り手の憧れる、バルベックだったりベルゴットだったりラ・ベルマだったり、スワンにおけるヴァントゥイユのソナタだったりはすべて架空のものだ。
具体的にモーツァルトのあれ、って言われると知ってる人はそれを想像してしまう。
それを避けたのだろうと思われる。
女優ラ・ベルマの舞台がどんなものかは読む人がそれぞれ考えるということになる。
ケラリーノ・サンドロヴィッチの舞台に登場する犬山イヌコを想像してもよい。実際ラシーヌの舞台なんか見たことがないのでどんなものかわからない。蜷川幸雄演出みたいな感じかなあ。
憧れの女優が舞台に登場するあの感じが想像できればよいのだと思う。
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