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☆「失われた時を求めて」メモ18

2008年02月24日 00時00分55秒 | 文学
プルースト「失われた時を求めて」4巻164ページまで。

・馬車に乗っているときに三本の木を見て、何かを思い出せそうになるが思い出せないまま通り過ぎて行ってしまう。
・ヴィルパリジ夫人はシャトーブリヤンやユゴー、バルザックに実際に会ったことがあり、その人物評価から作品も評価する。
知っている人の書いた作品はたいしたことないと考えてしまうというのはベルゴットのところでも出てきた。
どんなに彼の書いたものが素晴らしくても「最高だ」とは誉めず、「独特だ」と言う程度になる、と書いてあったように思う。
・語り手が祖母にたいへん頼っていることが示されて、祖母が死んだらどうしよう、みたいなことが言われる。
なるほど、そういうことか。
・ヴィルパリジ夫人の甥の、お洒落なサン=ルー=パン=ブレー侯爵が登場。
片眼鏡がはずれそうになる姿を、蝶のようにひらひらと飛んでいく片眼鏡を追いかけていく、というふうに表現するところがすごい。
・サン=ルーははじめ嫌なやつかと思ったがなかなかいいひとだ。
貴族なのに貧乏人に理解を示すインテリ。ニーチェやプルードンの本を読む。
いま流行っている思想だけが素晴らしいと思っている。父親が読んでいる本は古臭くて馬鹿馬鹿しいと感じている。
ラシーヌよりもユゴー。
・語り手の友人のブロックも登場。
サン=ルー侯爵と比べると家庭環境の与えるもの、教育の与えるものがこれほど重要かと思ってしまう。
結局、貴族にはかなわない。
金持ち喧嘩せず、だなあ。
言葉の言い間違いに気づくと「そんなこと重要なことじゃない。いっこうにかまわない。」と言うが本心では重要だと思っている。
《その別な解決、その方向に追いやられてもいっこうにかまわないという解決、それはときとして自殺なのである。》(113ページ)
とはどういう意味か。ブロックは自殺するのか。
前々から思っていたが、訳注というのも不思議な存在だ。
あとあと重要だと思われる部分に訳注がついていないとわざと黙っているのではないかと勘ぐってしまう。
ちょうど、すでに読んでいるミステリーの話を、現在読んでいる人と話していてそのひとに「犯人はひょっとしてこのひとかなあ」とか言われると不自然に黙ってしまうことがあるように。
・シャルリュス男爵も登場。
無言で語り手を食い入るように見つめる。
怖すぎる。

・ぐらいかなあ。ここはいろんなひとが出てきてたいへんおもしろい。プルーストは人物描写がうまい。
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