沖縄県内印刷会社として著名な光文堂(光文堂コミュニケーションズ㈱に改名)創業者の外間政憲氏の自分史。たまたま同社の東京営業所が徒歩至近の飯田橋にあり、お訪ねした所、ウチナワムクー(沖縄婿さん)の下河原所長から頂き、拝読。
数年前までは毎年、在京県出身企業家等を招き、交流集い主催の後継御子息社長さんが高校後輩であることや10年前のWUB東京大会では当時東京営業所勤務の屋良さんにお世話になる等同社とは浅からぬ縁で、創業者のお名前は存じていたものの、残念ながらその謦咳に接したことはない。
本書を読んで初めて18歳で創業、20歳で結婚。爾来60年、藍綬褒章や県功労賞を受賞する一方ご子息に承継すると等経営者としての功績には改めて感銘を受けました。
本書で名護の芭蕉敷や名護高校前身の田井等高校なるものを初めて知りました。
県内印刷共同組合設立に奔走する苦労談や戦後同社の発展の礎が地元製造業の雄であるオリオンビール創業者の具志堅宗精氏や同郷本部の前稲嶺知事の尊父である琉石創業の稲嶺一朗氏、後輩の元オリオンビール副社長から沖縄NHK支局長、沖縄モノレール社長を歴任した比嘉良雄氏等県内著名経済人との人脈、信頼支援があったことが理解出来ました。
それにしても、全編至る所に掲載された映像、こう言っては失礼ながら沖縄人離れした白皙偉丈夫の好男子振りから、さぞ持てたのでは思われるが、当然のことながら艶聞等の報告記述は無い。
お子さんはじめ多くの友人達の寄稿文を読んでいると、戦後沖縄史の側面を読む取ることができます。
さらに、72歳で胃癌罹病、77歳で咽頭癌手術、声帯を失いながら意気軒昂、代表権をご長子・政春氏に譲り、事業承継を果たしつつあるその経歴には創業者として参考になる点が沢山ありました。