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私は早大4年の時、学費闘争で逮捕された忘れ難い思い出があります。本書は1966年150日以上行われたこの早大学費闘争に携わった18人の早大同窓の証言です。私は第一文学部西洋史クラスの委員としてこの闘争に加わり、当時の早大本部に泊込みストをしていましたが、大学当局は警視庁と協議、2500人の機動隊を動員、この泊り込みストの203人の学生が逮捕され、私もその一人でした。私と同じく泊り込んでいたクラス級友3人も逮捕されます。本書には何故かこの逮捕留置の経験談は著述されていない。
逮捕された私は刑事の出身名前等の詰問に黙秘した結果”ジョウトウ4号”として江東区の城東警察署に送致、留置されます。何故、城東警察署かというと203人の逮捕学生は都内61個所の警察署に3、4人毎に留置されたようです。3泊4日の留置後、霞が関の検察庁の検事尋問にも黙秘した時、検事から「君は名前を隠すのは自分の行動に信念がないんだね!」と揶揄され、送還された日比谷の東京地裁では判事の尋問に答え、身元保証人を指定、召喚され釈放されます。
後に、私のこの逮捕歴と写真・指紋が警視庁に保管されいるたのでは?”と感じた出来事に会います。それは“鉄の女”と呼ばれていたサッチャー英国首相が1982年、三田の慶応大学を訪れた際、慶応大東門向かいの「アネックス三田ビル」に入所していた創業4年目の私の会社が警察によって徹底的に調べられたことを後で知りました。この留置により必須科目の出席が足りず、卒業半年遅れ、革マル・中核の拠点であった早大一文出身の私の履歴が後の朝日新聞やNHK応募試験等全て不合格の背景があったのでは?
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(創業から20年間入居の慶応大三田正門向かいのアネックス三田ビル)
アネックス三田ビル、確かに狙撃ポイントには打って付けでしたね。w
お元気?囲碁やってます?
お互い命があるうちに囲碁やりましょう。