サッポロのビール工場見学

2016-06-15 00:00:28 | 市民A
JRにしてはビール会社の名前が駅名に使われているという大胆な場所がある(東京の恵比寿は、どうなのだろう?)。集合場所から工場に向かうバス途中、木々の間からタンクが見える。

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見学コースは、まず原料のホップと麦芽から。なんというか、原料は麦芽にしてもホップの香りにしても、どちらかというと食べ物としては「マズイとかクサイ」といったものだが、どうしてそういうものから人間の口に合う飲み物ができたのだろうか。

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いや、もっといえばビールの味だって初めて飲んで美味しいと思う人はいないかもしれない。飲み慣れると世界でもっとも美味しい飲み物になったりする。マズイものとクサイものでできたニガイ飲み物が市民権を得たのはどういうことなのだろう。

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そして、それらを地下水や川の水でぐつぐつと煮詰めるわけだ。もっと小さな釜で煮るのかと思ったらかなり巨大だった。均一に火が通るのだろうか。それに、家で煮物を作ると、その都度味が変わるのだが、ビールではそれが許されない。

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なぜか、パッケージの行程が撮影禁止になっていて、最後にレストランの試飲へ。グラスの注ぎ方を教えてもらった。前から知っていたけど。最終的には泡と液の比率が3対7がいいらしい。ちょうどグラスの星のマークの半分あたりだ。本当は試飲に関しては泡の部分がゼロの方が沢山飲めていいのだが。


自宅に戻ってから、「星のマークの半分」に挑戦しようと思ったが、自宅のグラスにはキリンのマークが入っていた。

弟子屈ラーメン

2016-06-14 00:00:30 | あじ
新千歳空港内にあるラーメン店は全部で10店だが、時々交代する。だから全部制覇というのは困難なのだが、またしても2店が入れ替わりになっていた。その中の新入りの一つが「弟子屈ラーメン」。弟子屈は「てしかが」と読み、北海道の東部にある摩周湖のあたりである。釧路と網走の中間というべきか。

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「弟子屈ラーメン」というのは「札幌ラーメン」とか「旭川ラーメン」というような一般用語ではなく、店の名前である。弟子屈町には一軒しかラーメン店がないのだろうか。謎が深まる。

ということで、ごく普通の弟子屈ラーメンをいただく。旭川ラーメンよりあっさりして、麺にコシを持たせたような感じで、悪くはないが、北海道的というか素朴感がある。

結局、ここの十軒のラーメン店は、基本的に標準的ではなく、こだわりと言うか独創的と言うか強い主張をもった店が生き残っている。生存競争に勝ち残れるかどうか、少し心配。


ラーメンの味は人により好き好きというしかないが、私の個人的意見としては、「らーめん空(そら)」と「麺屋 開高」が好みかな。

フィギュアなあなた(2013年 映画)

2016-06-13 00:00:40 | 映画・演劇・Video
しばらく映画(DVD)を観てなかったのだが、そろそろ再開。

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石井隆監督と言えば『花と蛇』というような、暴力的ポルノ的作品が有名だが、『フィギュアなあなた』は、等身大の女子フィギュアが登場。もちろん映画なので生きているわけだ。

そして、この主人公の男性は、出版社をクビになり、酔いつぶれて新宿風の元雑居ビルのような廃ビルに迷い込み、覚せい剤取引の現場に迷い込み、逃げ回りながらマネキンだらけの部屋に潜入。そしてこの人間フィギュアと絡み合うことになり、自宅に運び込むことになる。(運ぶ場面はまさに喜劇だが)

ところが、本作は喜劇なのか悲劇なのか、社会派映画なのかただのポルノなのか、一向にわからないまま、恐怖的BGMが流れながら終末に向かっていく。そして覚醒したフィギュアと主人公の男が結婚するというハッピーエンドとなるのだが、よく見ると二人の結婚を祝福する人たちの中には、すでに射殺された人たちも大勢いて、どうも死者たちの結婚式なのだ。つまり大悲劇。

そもそも、ストーリー自体が、現実と妄想のはざまで行ったり来たりしていて、どうして悲劇になったのか、その男が考えることになる。シックスセンス的。

観たあと10分位で、ゾッとしはじめる映画なのだ。

クレパス画名作展を観て思いだしたこと

2016-06-12 00:00:53 | 美術館・博物館・工芸品
姫路市民美術館で開催中の『郷愁と未来の輝き‐クレパス画名作展』では、とてもそういう素材を使って描かれたとは思えないような作品が並ぶが、作品に近づいてみると、クレパスであることが見えてくる。遠くから見る絵と近くで見る絵が異なっているのが特徴ということで、画家はもちろん画用紙に密着して仕事をするわけで、遠くから見た場合の見え方などを考えながら仕上げていくのだろう。

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岡本太郎、熊谷守一といった大御所から現代画家まで、うまいものだ。

そして、今回の作品はすべて、サクラアートミュージアムという大阪の(株)サクラクレパスの本社にある美術館からの出品だそうだ。となると、そのミュージアムに行きたくなる。

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ところで、展覧会の中で、あっさり書かれていたのだが、「クレパス」というのは純日本製の描画材料だそうだ。これは初耳である。たとえば北斎の赤富士と登場する藍色は、オランダ商船が長崎に運んでくる輸入品の「ベルリン・ブルー」。通称「ベロ藍」というように色は輸入と相場が決まっていたし、現在でも油絵の絵具にしても輸入品が優位だ。

このクレパスだが、クレヨンとパステルの中間製品らしい。どうも戦時中の物資欠乏状況の中、中間製品で代用品としたらしい。それに貧乏画家が乗ったところから、戦後も市民権を得たようだ。

そういえば小学生の頃、クレヨンで絵を描いていた時に、別の同級生がクレパスを使うのを見ていて、「自分より高級品を使って・・・」とねたんでいたのだが、今頃になって、そういう考え方がまとを得ていないということに気付いたわけだ。

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そして、元軍事施設だった姫路市立美術館だが、屋外展示品がすばらしい。

第二局156手目

2016-06-11 00:00:37 | しょうぎ
名人が交代した。名人戦七番勝負四勝一敗。羽生一勝のあとの第二局目、後手の羽生手番の156手目に問題発生。佐藤玉に△8九銀以下、捨駒の多い即詰があったのだが、それを見逃し、さらに自玉の詰筋を消す△5四歩と指すも、▲7五桂打の重ね打ちで詰まされてしまった。

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つまり、敵の詰めを見逃し、自分の詰め順が二種類あるのは読めなかった、ということになる。もし、自玉に受けがないなら、しかたなく詰めに行って、途中で正解を見つけたのではないだろうか。ミスが二つあった。

もし詰ましていれば、二勝〇敗なのだから、きっと名人位を防衛し、年間対局料も1億円を超えたであろう。こういうのはダメージ大きいような気がする。「心労につき、今後十年間、休場します」とか。

この8九銀からの19手詰を元にした詰将棋を作った人は大勢いるらしく、私も作って詰パラ誌に投稿したのだが、落選決定後に紹介する予定。


さて、5月28日出題作の解答。

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大駒四枚のうち三枚はあっと言う間に消え、もう一枚も捨ててしまう。代わりに手にするのは香車1枚。北方領土交渉のようだ。

動く将棋盤は、こちら


今週の出題。

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いささか軽めの駒捌きで。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

三分一博志展 風、水、太陽

2016-06-10 00:00:57 | 美術館・博物館・工芸品
東京乃木坂のTOTOギャラリー「間」で開催中の建築家、三分一博志展に。

TOTOは北九州(小倉)に、大規模なTOTOミュージアムを持っていて、東京はギャラリーと建築関係のライブラリーを置いている。場所は乃木坂駅の斜め上という奇妙な表現がいいだろうか。

いきなり余談だが、この乃木坂駅だが、六本木と青山一丁目の中間にあるのだが、道路に巨大な排水溝のような大穴があいていて、そこから地底王国に引き込まれるかのような造りになっている。

見慣れると気にならなくなるが、なぜこんな設計になったのか、どうしてもわからない。雨が降ると周囲の雨水が流れ込みやすいし、ここになんらかの由緒ある大穴があったのだろうか。

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その穴のすぐそばにある建物の3階、4階がギャラリーになっている。建築家の三分一博志(さんぶいちひろし)は、展示室で得た情報では、主に瀬戸内海の海辺や島々でモニュメント的な構造物を作り続けている。

展示内容を見ていると、かつて自分でいったことのある直島や犬島でも活躍されていたようで、山の上、海岸など風と太陽との協調をテーマとしている。

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そういう場所では、建物を建てることによって自然の邪魔をすることにならないように、どうも風向きの調査を行って風洞実験などしているようだ。思えば東京も汐留にできた巨大な衝立のようなビル群で灼熱地獄になったと、今頃いっているのだが、建築基準法では、風洞実験は義務化されていないのだろう。

なんとなく、本人は意識していないようだが、古代アンデスの人々や太陽に軌道に合わせてピラミッドを建てたエジプト人のようになっていくのだろうか。

あまり神がかりになると、そちらは鬼門だとかあちらは金運がないとか、船着き場と建物の正門を直結させるとお土産店を並べる場所がなくなるとか妙なことになる。

姫路城・市立美術館、かつての顔

2016-06-09 00:00:24 | The 城
竹田城からの帰り、姫路で途中下車、姫路城の方へ歩く。日本最大級の城が残っていてさらに美しく修復中である。全部修復が終わっているものと思っていたら、そうではなかった。竹田城とまったく極端に異なる観光地化している城は過去に何度もきているのだが、千姫がいた(軟禁?)三の丸の方に行きたいのだが、もう時間がないので、旧軍事施設だった姫路市立美術館の方に回る。

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そして、これから書く話は、私の身の回りにある太平洋戦争の記録に関係する。

一度、書いたことはあるのだが、おおた家の先祖は8代前に岡山県の山奥の方の本家から分れた。富士山が爆発した年だ。その本家は神主の家系で、現在が17代目なので、鎌倉時代の末か室町の始めから(1400年ごろ)だと考えられる。

17代目は90歳代の女性で、要するに結婚して姓が変わり、夫の家系の方に入ってしまったという事情で、ある時になれば家系は続かなくなることになる。それは、彼女の弟が戦死したことによるわけだ。それも終戦まで、あと約10日という時に、ビルマ(ミャンマー)で亡くなった。調べるとイラワジ河渡河作戦というのがあり、半数が亡くなったことになっている。生き残ったものは英国の捕虜となり、戦犯を除き帰国を果たした。

昨年のことだが岡山県出身の兵士の家族のための展示会があって、記録をみていると多くの人がビルマで亡くなっていることを知った。それらを読むと、召集されて向かった場所が姫路となっていた。姫路城の前に大きな広場があるが、そこが集合場所だった。

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城の右手前の方に、第十師団の碑があるが、姫路は陸軍歩兵第十師団として、兵庫、岡山、鳥取の3県で徴兵した兵士で構成されていた。その師団の行き先が、最終段階ではビルマだったわけだ。

指揮をしていたのが木村兵太郎陸軍大将。この人、最後までいたわけじゃなく、途中で前線から離脱してしまう。敵前逃亡みたいなものだが、理由は、早く逃げないと逃げられなくなるからというものだ。

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大将がいなくなったので、方針が立たず、大混乱となり、ビルマ戦線は日本軍が逃げ回ることになる。そして最後に大損失を出すことになった。

大将はA級戦犯として、巣鴨で死刑となったが、歩兵は誰も生き返らない。そんな戦争でよかったのだろうか。

遅まきながら竹田城へ

2016-06-08 00:00:53 | The 城
日本のマチュピチュといわれる竹田城だが、その存在を知っていたのは、10年ほど前であったのだが、当時は残存天守閣12を巡ることに努力していて、石垣を残すのみの竹田城は大脳の記憶回路の中にとどめるだけだったが、簡単にはいけない難攻不落城と認識していた。

難攻不落といえば、小田原城を攻略するために秀吉が一夜で築いた(ようにみせかけた)石垣山城に登ったのが2007年。9年前、ということは9歳若い時。山道一時間登りは、もはや決死の覚悟なのだが、どうも調べてみると、竹田城は大観光地化していて、途中に駐車場や公営バスに乗っての中継点までできている。山登り40分ではなく平坦路20分らしい。

とはいえ、姫路から播但線の電化区間とディーゼル車区間を乗り継いで竹田駅からバスに乗るということになっている。

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で、気付いたのはJR竹田城から山の頂上を見ると、石垣が見えるではないか。駅前の観光ガイドは、私の真の年齢を見ぬいたのか、登山路に行くのを強く引き止め、バスに乗ることを勧める。ということで、満員のバスに乗ることになる。

そして、中継点から城までは平たんではなく、なだらかな坂であったが、それでもへとへとになる。日頃の運動不足のせいだ。

そして、この城がきわめて変わった城であることと、その城主だった赤松広秀のことを知った時、それが先月行った、鳥取城と関係していることで愕然とした。

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赤松広秀は関ヶ原の時、西軍に属していた。そのため西軍が負けた時に、責任を問われるべき立場にいたのだが、猿知恵とも思われる行動をとり、同じく西軍に属していた鳥取城の攻撃を始めたわけで、東軍の味方に早変わりしたのだが、その時に、鳥取市街地に火を放ったとして家康はこれを許さず、切腹させてしまったわけだ。タダ働きの上、クビというわけだ。鳥取城の惨劇の祟りなのだろうと思ってしまう。

そして、江戸時代初期に廃城となるも、その城跡は長い間眠りについていたといえるだろう。つい10年ほど前までは。

その後、大観光地になってしまったのは、ご存知のとおりだが、韓国中国のみならず、アラブ系の人たちまで、山を登ってくる。思えば、イスラム系の要塞風にも見える。

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眺望は最高だ。降りる時ぐらいは山道を使おうかと頭では考えたのだが、足は自然とバス乗り場の方に向かってしまう。

日本には、観光地予備軍としての城跡は、あと300位はあるはずなので、特にすばらしいと思う場所には、観光地になる前に行きたいとも思っている。

備中松山城は、今頃人気になったが、ずっと前から行っていて、現在の状況に少し的外れ感を持っている。

美星天文台、ほらそこに宇宙が!

2016-06-07 00:00:12 | たび
「美星天文台」とはなんと美しい名称なのだろう。人工の町名ではなく、岡山県井原市美星町にある天文台である。毎週末に開かれている観星会に夕暮の山道をクルマで登る。縄文時代の遺跡とならび、天文台が山の奥に現れる。

直径が101センチの日本有数の反射望遠鏡だが、実は岡山県には直径180センチの日本有数の大型望遠鏡もあるが、国立施設であるから、昼間しか望遠鏡を観ることしかできない。昼間に望遠鏡を公開する神経がどうも国立方式だ。

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天文台を公開している場所は全国には多いが、夜も公開している中では101センチは珍しい。最大とはいわないが最大クラスであることは間違いない。

倉敷から必死の思いで運転すると50分くらいで到着。

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実は天文観測は中学低学年依頼なので数十年ぶりだ。近く岡山県からグッバイの予定なので慌てて走り回っている感じだ。

そして、午後7時半の観測開始時間に集まっているのは女性8名、男性2名。その後も、女性同士の人と、怪しい男女とか合計すると、やはり女性が8割という感じが続く。しかも天文台の人との会話もかなり専門的。岡山の平均的な女性よりも美形度はぐっと上だ。

その中でも、惑星が、木星、火星、土星と時刻によって交代で主役になる。木星の30個ぐらいある衛星の中でもガリレオ・ガリレイが見つけた4つの衛星がくっきり見えるし、例の縞模様も見える。

違う星に移る時には、ドームがくるっと回り、望遠鏡の方向も変り、足場の床の高さも変わる。ミサイル迎撃システムみたいな状態だ。



4つの衛星のうち2つは離れていて2つは木星に近い。女性陣は衛星の名前を正確に知っているようだ。わたしがしっているのは、ガリレオ・ガリレイという名前は、最初にあるガリレオが姓でガリレイというのが名だが、なぜ普通の欧米人のようにガリレイ・ガリレオでないかということぐらいだ。

そして、恒星では、珍しい二連星。二つの恒星が互いの引力で引きあってしまい、ぐるぐるを回っている状態。500年周期で引力の虜になって回転している。観測者には脱帽だ。



星座もきれいだ。どうも宇宙には無数に星があるようだが、今後のことはわからない。

そのうちISS(国際宇宙ステーション・ISS)が90分周期で地球を回っている姿を見せる。猛烈な速さだ。空の星を撮影してみた。厳密にいうと、星が写っているが、視力検査みたいな大きさだ。

「神武東遷(安本美典)」を読んで感じた東遷の理由

2016-06-06 00:00:19 | 歴史
「神武東遷」は、ある意味日本書紀への挑戦とも言える内容で、古代史について記紀と呼ばれる古事記、日本書紀をそのまま信じるのではなく、空想的な部分を現実に置き換えて考えてみようということで、まず天皇の在位期間を一人100年ではなく、歴史上はっきりしている初期の天皇と同じように17年と仮定して計算している。

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もちろん、それでは日本の歴史が短くなってしまうのだが、おかまいなし。論理的推測からはじめる。

となると、神武天皇は3世紀初めにあたり、その5代前になる天照大神こそ、魏志倭人伝に登場する卑弥呼ということになる。

その結果、倭国とは九州になり、5代目の神武天皇の時に、九州を出て東へ進み、熊野から大和の国に入ったというようにすっきりする。

私も、たぶんそうだろうとは思うのだが、本書に触れられていない重要な謎がある。

「神武天皇」はなぜ、九州を捨て、東に向かったのだろうか。

地震あるいは津波で居住地や田畑に巨大な被害を受けたのではないだろうか。

3世紀頃の記録はかなり少ないのだが、1世紀には巨大津波の痕跡が西日本に残っているようだ。おそらくその次かその次の150年に一回程度の頻度で起きる巨大地震の結果、古代王国は九州を離れるしかなかったのではないだろうか。

俺たちの国芳、わたしたちの国貞

2016-06-05 00:00:53 | 美術館・博物館・工芸品
ザ・ミュージアムで本日まで開催中の「俺たちの国芳、わたしたちの国貞」展。ボストン美術館から大量に出品である。

まず、本当に大量なのだ。事前に作品をチェックし、見るものと流すものとあらかじめ作戦を立てておいた方がいい。

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幕末の二大巨匠ということだが、正当派の極致に達した感がある。江戸時代に登場した文化といえば、浮世絵と俳句ということだが、浮世絵は、この二人を頂点として一応の達成感がある。言いかえれば終焉感なのかもしれない。

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展覧会のタイトルに含まれる「俺」と「私」だが、作品の中に歴史観まで含ませて物語性をもとめた国芳に男性キャラを、また瞬時的な美や、市井の中に垣間見ることができる生の喜びを描く国貞に女性キャラをあてはめたのだろう。ややセクハラ感のあるタイトルだ。美術館の出資者のT急関係者の命名なのだろうか。

両者とも日本の開国を目の当たりにしたはずだが、ある意味、明治維新以降の薩長政権による江戸文化否定の歴史を知ることなく他界したのは幸いといえるだろう。

「握詰」締切につき

2016-06-04 00:00:53 | しょうぎ
詰将棋全国大会で発表される毎年恒例の「握詰」。今年の駒は、角、金3、銀、香、桂、歩3と王将は一枚の計11枚。バランスを欠く握り方だ。

いずれにしても上位3位に入れるわけないので、考えること自体、徒労だが、一応、毎年作っている。宝くじ以上に当選確率は低い。

今年の問題だが、まず、大駒が角1枚。これでは長い構想が無理そうに思える。飛車がない。金が3枚だが、終盤では金の威力は攻守ともに絶大だが、それだけに詰将棋に金を使うと、手がわかりやすくなってしまう。香もやっかいで、離して打って合駒を稼ぐ手も読む必要ある。

作り方としては、在庫作品の中で、使用駒の枚数が同じか近い物を発掘し、足したり引いたりする方法があって最大の問題は、同じならいいが、手直しをするというのは、そもそも完成品を未完成品に改造するようなことになる。また、そもそも近いものがないこともある。角と金3枚というのはなかなかない。

では、一から作るというのはいいのだが果たして期間内に作れるのかということがある。

それで、とりあえず参加することに意義があるという考えのもとに在庫作の改作をしたが、無筋なものができる。いかにも帳尻合わせ。

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次に、本格的に作ろうと考えると、飛車を手に入れようかと野望を考えることに。つまり角か香車で王手をして合駒強要ということ。部分的に考えると、角の効きにクロスして香で王手をして焦点に飛車合の図とか香の効きを利用して角で王手をして焦点の捨て合とか。

結局、間に合いそうもなく、いずれの方法でもない作を作り、投稿。そして、5月末の締切日が来る。

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私的には、「握詰」ではなく「握鮨詰」の方が好きだ、と思っていたら、某所で「おみや」としていただくこととなった。


さて、5月21日出題作の解答。

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飛車捨て一発という問題かな。

動く将棋盤はこちら


今週の問題。

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上記の最初に作った不投稿作。長さはあるが、好手が乏しいのが欠点か。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

乙島シャコ

2016-06-03 00:00:51 | あじ
倉敷のある料理店で、美味い食材を食べる。

一応、シャコ。シャコの全国的な食べ方は、寿司のネタにするか、皮ごとゆでて、それをエビのようにむきながら食べる方法。

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ところが、現在は倉敷市に含まれるが、話題の自動車工場がある水島地区と高梁川を隔てた乙島(おとしま)地区の海岸の砂地で漁獲される「乙島シャコ」という生物がいるのだが、通常のシャコの3倍ほど太っていて、そのまま油で揚げて食べるわけだ。

これが絶品なのだ。エビの唐揚げみたいにバリバリしてなく、全体に柔らか感があるのと身の味が甘い。二人で五尾と大量に食べることになったが、飽きることはない。ただ、季節物なので、個人的には生涯二度と食べることのない幻の食材になるかもしれない。そういうものこそ、10年後に再び食べると、感動で胸がいっぱいになるはずが、「もっとうまかったような記憶があるのだが」と困惑することが多い。

ところで、乙島周辺だが、源平合戦である意味有名な戦があった。水島の戦いというのだが、源平戦争の最終局面は、平家が負け続けるのだが、この水島の戦いでは、戦闘中に思わぬできごとが起きる。「皆既日食」だ。実は公家化していた平家の中には、中国から朝廷に伝わっていた天文学に精通していた博士がいた。このため、空が暗くなることを科学的に知っていた平家に対し、山出しの源氏は「たたり」と思い兵士の気力をそがれることになる。唯一平家が勝った戦として知られている。

その時流れた源氏側の兵士の生き血に含まれるDNAが砂浜のシャコのDNAを変化させることになり、現代に生きるわれわれは人間のDNAを含んだシャコを「うまい」と言いながら丸ごとかみ砕いている、という話はないから。

後楽園で「幻想庭園」へ

2016-06-02 00:00:00 | 歴史
「後楽園」といっても水道橋にある野球場ではないし、その野球場のそばにある小石川後楽園でもない。岡山にある後楽園。金沢の兼六園、水戸の偕楽園と並ぶ日本三名園の一つ。

数十年前に行ったことはあるが、実は岡山県にいるのに、直近の気持ちでは、あまり足を踏み入れる気がなかったが、もうすぐ県外に逃走するつもりになったので、一応行こうかと思っていたところ、「春の幻想庭園」といって夜間開放されているようなので市内電車で訪れる。

積極的に行こうと思わなかったのは、こういう大庭園だが、江戸時代に非民主的封建制度の中で人民から搾取した年貢をつぎ込んで殿様が、「よい月じゃのう」とか言いながら側室に酒を注がせながら人生を過ごしていたかと思うと、腹が立ってくるからなのだが、さらに日本三名園のうち金沢は前田百万石(実質は百二十万石)、水戸藩は徳川御三家ということで、岡山池田藩がそれに対抗するというのは、いかにも無理がある。

しかも幕府の目を恐れ、幕府や他の藩からの客人には秘密にしていたらしい。

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しかも、前述の小石川後楽園(これも水戸藩だが)の完成後に着工し、名称まで同じにしている。「後楽」ということばは、「先に苦しくても頑張れば、後に楽しみがやってくる」と誤って覚えられているようだが、実際は「天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに遅れて楽しむ」という中国の古典から命名された。東京都知事のためのコトバだ。

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といいながらも、かなりの人間が庭園を訪れている。また、熊本城が落城寸前という時期に不謹慎ながら、岡山城がライトアップされている。やや無理があるのは姫路城と異なり、岡山城は黒いのが特徴で、別名、烏城(うじょう)と呼ばれる。黒い建物をライトアップするのだから大変だ。

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しかし、当日は、満月だ。そうと知っていれば、大きなカメラを持っていけばよかったのだが、いつも鞄に入れているデジカメで頑張るしかない。

月と黒い城と池。やたらに池の鯉が騒いでいた。なにか・・

たぶん、夏になるとジカ熱上陸の大騒動となり、全国的に公園を訪れる人は一人もいなくなるだろうと予想。

穂村弘氏の最新短歌

2016-06-01 00:00:45 | 書評
最近、二つの雑誌で穂村弘氏の短歌に出くわした。人気歌人というべきか。

一つは新潮社の月刊書評誌『波』。今月5月号連載33回目のお題は「逃げる」。

 二十一世紀に変わる瞬間につるりと手から逃げた石鹸(穂村弘)

その記念すべき瞬間に、人々は大したことをしていないはずだ。入浴中に石鹸を手から取り逃がすという、まったくつまらないことをしていた人もいるはずだ。

穂村氏は、最近は固形石鹸をやめ、液体石鹸になったそうだ。楽だからだそうだ。切りかえる時に最後の固形石鹸に感傷の一首はなかったのだろうか。22世紀には固形石鹸はないだろうというのが氏の未来予想。

実は、私は固形石鹸を使っている。体を洗うのにボディブラシを使っている関係で、ブラシには固形石鹸の方が似合う。


次に、Wedge誌2016年5月号。この雑誌、専門記事は正確とはいえないように感じることもあるのだが、短歌は関係ないだろう。今月のお題は「ICカード」。歌人も大変だ。

 入場もできないほどの残額にならないようにチャージする蟻(○○ミ來)

このチャージ額だが、なんとなく最初は小金額(2000円)で始めるのだが、5万円入れて使い始めると、気が大きくなる。入金も1万円単位になるものだ。自動チャージにした方がいい。

 賽銭の横に小さく予告状、もうすぐICOCA使えますよと(片山○○)

実話か空想か。想像を超えた未来の図か。先日、結婚式のスピーチを頼まれ、近い未来には紙幣やコインといった実体通貨は消滅するだろうと予言。そういえばお祝儀はネット銀行で振替といったことになるのだろうか。

 これまでの全財産をチャージしたSuicaが猿の手に奪われる(穂村弘)

あわてるだろうね。お願い、このバナナと取りかえてください。

ある意味、戦前の日本がこうだった、全財産をあずけた郵便貯金が政府発行の戦時国債になり、敗戦後、米国占領軍の前に、無価値になりそうになる。お願い、交換できるものは何もないのですが、返してください。