『1Q84 BOOK3』をやっと読み終える。BOOK1とBOOK2は発売直後に西日本に出張があり、新幹線の下りで1冊、上りで1冊読んで、一気に片付けたが、『BOOK3』はまとまった時間がとれず、ロングランになる。眠る前や電車の中など、小刻みに読むのだが、特に眠る前にこの種の先の読みにくい小説を読むと妙なことになる。
おそらくレム睡眠の時だろうが、小説の先が、夢に現れるわけだ。それもコトバとして現れる。要するに、今後の展開を勝手に頭の中で組み立てて筋ができあがるわけだ。そして、朝になると、すべて夢だったことがわかる。そして、少しずつ読み進むと、そういう日が連続するわけだ。だから結果として何通りもの1Q84の結末を知っているわけだ。
おおむねその通りの小説になっている。
ところで、読み始める前に、うっかり朝日新聞で、この『BOOK3』についての解説を眼にしてしまった。内容に触れることはなく、文芸部員によって書かれていたのだが、中で気になったのは、「150ページほどのところで、おやっ、そっちの方になるのか、と思った」というような記載があったこと。
そのため、150ページのあたりを慎重に読むことにしていたのだが、特に、どうってことは感じなかった。『BOOK2』の段階で、そっちの方になるだろうと確信していたので、驚くことはない。ただ、150ページを読んでいる時に、激しく戦慄を感じたことがあった。本を読んでいる場所である。
東急田園都市線という地下鉄に乗っていた。その地下鉄のちょうど上が国道246号線。その上が首都高3号線になっている。三重構造。場所は三軒茶屋駅付近。つまり、この小説の最大主人公である青豆が首都高を走るタクシーから非常階段で地上に降りた場所なのである。
さらに、歴史的に、この場所は「迷い道」なのである。
現在(江戸時代でも)、都心方面からそこまでが青山通り(大山街道)。この三軒茶屋で南側の246号(大山街道)と北側の世田谷通りになる。つまり三差路である。大山詣(伊勢原)というミニ旅行の通過点だった。
この三差路の三又の3か所に三軒の茶屋があった。都心方面からくると、ちょうどここらでお昼時。当時の日本は朝夕の二食制なので、ここで茶屋に入ってお茶と団子を口にする。そして、いざ旅の続きを始めるときになって、同じ太さの三又で行き先を間違える。そうすると、まったく別の旅になってしまうわけだ。
次の戦慄。450ページ付近で天吾と青豆がすれ違ってしまう場面がある。ちょうど、地方都市の駅前のカフェで読んでいたのだが、ふと数十年前に、この場所で運命的なすれ違いをした記憶がよみがえる。
最後の戦慄。南房総の千倉。猫の町である。天吾の父親が、ここで亡くなる。そして、ナースである安達クミが登場するが、その役割がよくわからない。そして、実はこの本を読み終わるやいなや、翌日に突然、千倉にいくことになった。
なぜ、千倉なのだろう?
村上春樹が南房総に住んでいるという風の噂を聴いたことがあった。あるいは、千倉やその先の安房白浜だったのだろうか。本書を書くためだったのか、あるいは住んでいたから書きやすかったのか。そして、次の長編を書くために、既に次の引っ越しをしたのだろうか。南房総には猫抱きカフェもあるようなので、猫の町のヒントになったのだろうか。
ところで、今回の小説には、数多くの老醜が登場する。「ノルウェー」と「ダンス」は青年のストーリーであり、「ねじまき鳥」は中年への入口のストーリーとすれば、老人が多数登場した今回の小説の、「次」は、どこに行くのだろう。
あるいは、今回、多くの登場人物が輪廻転生を遂げたので、再度、少年少女小説から書き始めるのだろうか。
おそらくレム睡眠の時だろうが、小説の先が、夢に現れるわけだ。それもコトバとして現れる。要するに、今後の展開を勝手に頭の中で組み立てて筋ができあがるわけだ。そして、朝になると、すべて夢だったことがわかる。そして、少しずつ読み進むと、そういう日が連続するわけだ。だから結果として何通りもの1Q84の結末を知っているわけだ。
おおむねその通りの小説になっている。
ところで、読み始める前に、うっかり朝日新聞で、この『BOOK3』についての解説を眼にしてしまった。内容に触れることはなく、文芸部員によって書かれていたのだが、中で気になったのは、「150ページほどのところで、おやっ、そっちの方になるのか、と思った」というような記載があったこと。
そのため、150ページのあたりを慎重に読むことにしていたのだが、特に、どうってことは感じなかった。『BOOK2』の段階で、そっちの方になるだろうと確信していたので、驚くことはない。ただ、150ページを読んでいる時に、激しく戦慄を感じたことがあった。本を読んでいる場所である。
東急田園都市線という地下鉄に乗っていた。その地下鉄のちょうど上が国道246号線。その上が首都高3号線になっている。三重構造。場所は三軒茶屋駅付近。つまり、この小説の最大主人公である青豆が首都高を走るタクシーから非常階段で地上に降りた場所なのである。
さらに、歴史的に、この場所は「迷い道」なのである。
現在(江戸時代でも)、都心方面からそこまでが青山通り(大山街道)。この三軒茶屋で南側の246号(大山街道)と北側の世田谷通りになる。つまり三差路である。大山詣(伊勢原)というミニ旅行の通過点だった。
この三差路の三又の3か所に三軒の茶屋があった。都心方面からくると、ちょうどここらでお昼時。当時の日本は朝夕の二食制なので、ここで茶屋に入ってお茶と団子を口にする。そして、いざ旅の続きを始めるときになって、同じ太さの三又で行き先を間違える。そうすると、まったく別の旅になってしまうわけだ。
次の戦慄。450ページ付近で天吾と青豆がすれ違ってしまう場面がある。ちょうど、地方都市の駅前のカフェで読んでいたのだが、ふと数十年前に、この場所で運命的なすれ違いをした記憶がよみがえる。
最後の戦慄。南房総の千倉。猫の町である。天吾の父親が、ここで亡くなる。そして、ナースである安達クミが登場するが、その役割がよくわからない。そして、実はこの本を読み終わるやいなや、翌日に突然、千倉にいくことになった。
なぜ、千倉なのだろう?
村上春樹が南房総に住んでいるという風の噂を聴いたことがあった。あるいは、千倉やその先の安房白浜だったのだろうか。本書を書くためだったのか、あるいは住んでいたから書きやすかったのか。そして、次の長編を書くために、既に次の引っ越しをしたのだろうか。南房総には猫抱きカフェもあるようなので、猫の町のヒントになったのだろうか。
ところで、今回の小説には、数多くの老醜が登場する。「ノルウェー」と「ダンス」は青年のストーリーであり、「ねじまき鳥」は中年への入口のストーリーとすれば、老人が多数登場した今回の小説の、「次」は、どこに行くのだろう。
あるいは、今回、多くの登場人物が輪廻転生を遂げたので、再度、少年少女小説から書き始めるのだろうか。
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