GWは「細川家の至宝展」へ行くしかない

2010-05-02 00:00:44 | 美術館・博物館・工芸品
6月6日まで、上野の東京国立博物館平成館で大公開中の「細川家の至宝」。

展示されているのは、日本を代表する名家である「細川家」が700年もの間に集めた「お宝」である。現在は永青文庫という名称で目白の住宅地の中に小ぶりな美術館を構えている。細川家の江戸屋敷があった場所である。理事長は元首相である細川 護熙氏。



永青美術館のことは、2009年12月27日「黄庭堅・伏波神祠詩巻 永青文庫にて」に書いたが、世界に例を見ない巨大なアーカイブを形成しているのではないだろうか。量だけではなく質的にも歴史的価値、美術的価値、能や茶、そして和歌といった日本文化のコレクションとして超一級である。

大きくわければ、足利時代の自家に伝わる文化財、江戸時代に収集した骨董、そして明治以降、中国、朝鮮方面の書や陶器、そして江戸初期の白隠作品の発見など。

さらに今回の目玉が、武家としての細川家。戦国時代から関ヶ原へ至る細川家の活躍が、資料や武具でよくわかる。

さらには、この名家の歴史を彩る、さまざまな人物。

例えば、ガラシア夫人、宮本武蔵。ある意味で「元首相の陶芸家」というのも歴史の一こまなのかもしれない(彼の作品は展示されていない)。


まず、歴史シリーズ。

圧巻は黒糸威二枚道具足。細川忠興が関ヶ原の戦いを東軍重要メンバーとして戦った時に着用していたもの。まるで新品の輝きだ。この関ヶ原の戦いでは、前哨戦として田辺城で忠興は籠城戦を戦う。100倍の敵に包囲されるも耐え抜く。

一方で、忠興は和歌の道で古今伝授を極めていた。古今和歌集の解釈を、師から弟子に伝えるしきたりだったのだが、受けた古今集の解釈を皇族の弟子に引継ぎ中に関ヶ原の戦いになる。死を覚悟した忠興は、ここで弟子に、早めの卒業証書を渡してしまう。

実際に図ったわけじゃないだろうが、その皇族が動き回って和睦にこぎつける。関ヶ原の裏面史である。そうした資料もある。

歴史上のイベントとしては、ガラシア夫人は明智光秀の娘。信長の紹介で忠興の正妻になっていた。光秀は本能寺で信長を謀殺した時に、ひそかに忠興の力をあてにしていたらしい。しかし、忠興とその親である藤孝は、その気がないことを髪をおろして表明する。

がっかりした光秀は、なんとか細川父子のご機嫌をとるために、領地バラマキレターを郵送している。光秀自筆のメモランダムが見られる。

つまり、ここにも裏面史がある。

さらに織田信長の自筆と証明された唯一の書状や千利休の手紙や利休作の竹製の花立。家康の自筆もある。全部本物だ。

そして、歴史一般シリーズでは、本物の「錦の御旗」がある。御旗の上部には金色の日の丸が飾られているのは、日の丸の源流なのだろうか。

戦場(関ヶ原)で使われた『馬印』もある。

歴史シリーズでもこんなにあるわけで、さらに文化シリーズでも大変だ。茶道の各種道具立てやらあふれるばかりの様々な能面。掛軸や屏風や・・・

そして、近代細川家の収集王は細川護立氏。元首相の祖父。東アジアの文物を集めたが、そのきっかけになったのが江戸初期の奇想画家であり高僧であった「白隠」。ほぼ一部屋が白隠作のコレクションになっている。護立は白隠の書物を読み感銘したというのだが、GWが終わって1Q84を読み終わったら挑戦してみようかな。

と、今まで書いた分量の100倍のお宝に、1500円で会えるはずだ。