新橋一古い焼鳥屋

2010-08-03 00:00:38 | あじ
「シルシルミシル」はテレビ朝日のレギュラー番組で、毎週水曜の夜11時15分からだが、実際にみたことはないのだが・・

最近、新橋の焼鳥屋(烏森口の吉牛の隣)に行った時、店内に、「番組で紹介された」という表示があった。



『新橋一古い焼鳥屋に「えのき亭」が認定されました!』。これが、本日のお宝グッズその1。

認定書を撮影していると、すぐに社長がやってきて解説が始まる。オンエアされたのが、今年の3月3日ということ。

どうやって、一番古いことを調べたかというと、まずランダムに焼鳥店に入って、「ここより古い店を知りませんか」という情報を聞いて、その店に行って、次の「新橋一古い」情報を入手。それを繰り返していって、ここにたどり着いたそうだ。

開業、昭和41年だそうだ。

新橋駅は駅の東側に駅ビルが建ち、その後、西側にも駅ビルが完成。虎ノ門、日比谷方面から新橋方面に流れる人が多くて、特に土曜の3時以降は、大変な入りだったそうだ。開業の頃は、飲み屋もあまりなかったそうだが、その後、サラリーマンの街に変っていったそうだ。




そして、社長の榎さんが、持ち出したお宝グッズのその2が、昭和21年当時の新橋烏森口の写真。アングル的には駅のホームから見下ろした写真だが、道以外に何もない。遠くにあるのが小学校だそうだ。小学校は建て直されたが、現在は地域の小学生は激減し、生涯学習センターと変った。人生の初めと終わりに同じ場所で勉強するわけだ。また一ケタの算数とか、あいうえおの書き取りとか。

現在の宝くじ売り場の場所には、バラックが見える。何を売っているのかわからないが、碌なものではないだろう。もっとも、闇で売るのは現実であり、宝くじ売り場で売るのは夢なのだから、どちらもどちらということだろう。




そして、次に登場したのが、お宝グッズその3。

小学校の通信簿。

樺太公立恵須取第二小学校とある。

恵須取=エストルと読む。南樺太で人口が二番目(第一は豊原)。恵須取は、炭鉱の町だった。

そして、榎社長はそこで3人兄弟の二人目として樺太で育つ。小学校を卒業したのが昭和20年春。もはや戦況は我にあらずという状態だった。父親と15歳の兄が現地の工場に取られていたため、母親と妹と3人で内地に向かう船に乗ることになる。

しかし、すでに制空権は連合軍の手に落ちていたため、母親は港には朝早く到着したものの、内地に向かう3隻のうち、2隻をやり過ごし、最も遅い夜間発の便に乗ったわけだ。

その結果、3隻のうち榎社長の乗った一隻だけが稚内に到着することができたそうだ。無事を父親に伝える方法はほとんどなく、中立国スイスを経由した電報が父親に届いた時には、すでに弔いが終わっていたと、戦後聞かされたそうだ。


昭和20年に小学校を卒業ということは、社長は77歳ということになる。もしかしたら『新橋一古い焼鳥屋社長』なのではないかと、思わないこともないが、ちょっと検証は難しいかもしれない。

ところで、この店の名物は、『なん骨入りのツクネ』なのだが、長年通っていて、最近、このミンチ状になった軟骨の一粒一粒が、硬くて噛みきれなく感じてきたのだが、お店側が原価率を引き下げた影響なのか、あるいは私の顎が経年劣化してきた影響なのか、真相はよくわからない。


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