追悼の達人

2010-08-02 00:00:36 | 市民A
昨日の『女流』で、林芙美子の葬儀の席で葬儀委員長の川端康成が、「故人は色々と人に嫌われていたようだが、あと数時間で骨になるのだから、すべて水に流してほしい」というような内容の弔辞を読んだことを記したのだが、ずいぶん巧い言い方をしたものだと感心して調べてみると、ノーベル賞作家は、この上なく多くの葬儀で弔辞を読んでいることがわかった。

もちろん全部調べられたわけではないので、かなり抜けていると思われるが、


まず、昭和20年8月17日。終戦の二日後に島木健作の死に臨んでいる。

次に、昭和21年3月。武田臨太郎の葬儀で弔辞を読む。

昭和23年1月。最大の理解者であった横光利一の葬儀では、「君なきあとは、日本の自然を魂のかてとして生きたい」と述べる。

昭和26年6月。林芙美子。葬儀委員長。

昭和28年。堀辰雄。葬儀委員長。

昭和37年。吉川英治の葬儀には、吉川家の花壇より切りそろえた花束を抱えて参列。

昭和45年。菊岡久利。葬儀委員長。

そして、昭和46年1月。三島由紀夫の葬儀でも葬儀委員長を務め、「もったいない」と微妙な弔辞を読み上げる。

同年10月。立野信之の臨終に立合う。



昭和47年4月16日夜。自らガス管を咥える。72才。その人生に、弔辞を読むことはできなかった。


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