ユトリロ。これ以上なく不幸な画家か

2010-06-13 00:00:12 | 美術館・博物館・工芸品
モーリス・ユトリロ(1883‐1955年)展が新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開かれている(~7月4日)。

日本ではかなり人気のある画家ということだが、それほど好きでもなかった。生涯を通じ、パリの街並みを描き続ける。透視画法とか遠近法とか構図の巧みさは非の打ちどころもなく、彼にしか使えない緑や茶色系の中間色を多用。また時に白やオレンジ系の暖色を加え、季節や時間をイメージさせる。

作品の大きさも手頃で、額に入れれば、すぐに個展が開けておカネになるような感じだ。



だから、作品も多く、日本にも相当数があるのだろう。

と、いくつか否定的なコトバを並べたのだが、会場で、ユトリロの人生について書かれたものを読むと、「ああ、そういうことで、こういう絵を描くことになったのだ」ということがわかる。

本来的に、画家の人生と絵画の感動はまったく別物なのだが、ユトリロに関して言えば、あまりにも類例のない彼の人生が、彼の絵画と切り離せないことが理解できたわけだ。

まず、出生。モデルだった母親が、誰かとの間の子供を産む。それがモーリスである。どういうわけか、10歳位になって、父親が現れる。それが本当の父親かどうかはわからないが、その時、彼の姓はユトリロになる。

父親の職業は画家だったのだが、ユトリロが画家になったのは、父親のせいでもなければ、モデルだった母親のせいでもない。モーリスは20歳になる前から酒を浴びるように飲むようになり、アル中になってしまうわけだ。



そして、子供のモーリスと同じくらいの年の若い子を愛人にした母親は、モーリスが邪魔になって、アル中矯正施設(つまり精神病院)に押し込んでしまう。そこの先生が、彼に回復のために勧めたのが絵画だった。これが、上手すぎたわけ。

無理やり始めた絵画だから、構図とか遠近画法とか、かなり理論的なわけだ。しかもタッチが軽い。色使いが軽快で巧み。それを母親が見逃すわけはなく、病院から連れ出され、母親の家に戻るのだが、これが幽閉生活になる。要するに、彼に絵を描かせて、カネに替えて遊ぼうということだ。

だからこそ、大きすぎる絵は換金できないし、多くの人々が求めていた、「美しいパリ」を小ぶりなサイズで描きあげて、売りまくっていたわけだ。その結果、日本にも流れ着く。

しかし、それではアル中が治るわけもなく、病院と母親の奴隷の二つの間を行ったり来たりになる。

さらに、そのうち、母親はモーリスの結婚相手を見つけてくるのだが、これが母親と同年代の女性だったらしい。もうめちゃくちゃだ。母親は自分と同じくらいの男を愛人にし、自分は母親と同じぐらいの女性と結婚することになる。

まあ、歳が離れていても石田純一みたいに、とりあえずの愛があれば、数年は平和な時期が続くのだろうが、新妻は母親と、まったく同じような考え方であって、モーリスを幽閉してしまう。そして絵を描かせ続けて、その代金で遊んでいたわけだ。

さらに、モーリスを外出させたくないため、パリの絵ハガキを与えて、パリを描かせていたということだ。


そして、彼の70年の人生は、終わってしまったわけだ。

思えば、かなり悲しい。


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