日本写真開拓史

2017-04-30 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
恵比寿の東京都写真美術館で開催中の『日本写真開拓史』で貴重な写真を観る。

日本が開国した江戸時代末期1850年代というのは、世界的に技術革新が始まった時期であり、職業としての写真家があらわれた頃だ。幕末という写真家には涎の出る被写体を求め外国人写真家が日本にきたり、日本で写真家をめざす人たちが上海など海外に渡って技術を持って帰ったりした。

しかも日本は幕末の内戦に突入。新旧文化が正面からぶつかり合う時代だった。

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まず、本展の目玉写真の一つが、例の土方歳三の奇跡の一枚。彼の人生最後の勤め先が函館だった。函館には明治2年には写真家が存在。田本研造氏。この写真は実は思っていた大きさよりずっと小さい。L版の7掛け位のサイズだ。土方の当時の肩書は、蝦夷共和国箱館市中取締 裁判局頭取。写真のすごさは、後年、この写真のおかげで土方の人気が決まったようなものだ。本来は殺人鬼のわけだ。

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そして江戸愛宕山からの江戸市内パノラマ写真。愛宕山の近くに勤めていたことがあり、仕事をさぼって愛宕神社のほうずき市にいったりしていたのだが、今より明治の初めの方が東京は過密だったようだ。この街並みに西郷隆盛が突っ込んだりしたら大惨事が起きたのだろうと感じる。

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また、松平忠礼の妻豊子。みた感じが幼な妻だが、夫もまだ若い。20歳を少し出たところか。上田藩主であったが明治になり、米国留学し、外務省に入省。ちょうど日本に戻ってきたころの写真だろう。しかし、豊子は忠礼の二番目の妻らしい。どちらの妻にも実子は生まれなかったそうだ。なお豊子の父は山内豊福といって土佐藩の支藩だが、幕府と薩長の板挟みになり、江戸最後の年というか明治最初の年というか1868年に継室とともに自害している。

そして、本展には1851年に難破船栄力丸船員がサンフランシスコに上陸した時の写真があった。アメリカ彦蔵といわれる浜田彦蔵(彦太郎)や仙太郎、亀蔵が撮影されたが、今回は彦太郎の写真はこなかった。


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