聖徳記念絵画館とは

2018-06-03 00:00:22 | 美術館・博物館・工芸品
千駄ヶ谷に行く機会があり、ついでに近くにある「聖徳記念絵画館」に行こうと思いつく。新しくできた美術館だろうか。と思っていた。千駄ヶ谷駅から工事中の国立競技場を通り過ぎ、緑深いの森の中に入っていくと、国会議事堂を小さくしたような建物がある。地味な感じだ。入り口らしい場所に行くとチェーンがあって入れない。よくみると建物の裏にいるわけだ。


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表に回る途中に、「日露国境天測標」と書かれた小さな碑がある。これが日露戦争の結果、北緯50度線に国境線が引かれ、その線の上に置かれていた、そのコピーである。

本来は南側に菊の紋章があって北側に大鷲の紋章があるべきだが、ここでは南北逆向きに置かれている。実は本物は4本あって、日本にはそのうちの1本が戦後返還され、根室にある。返してほしいのは、それではないのだが。

そして、なんとなくスマホで斜め読みしていたこの聖徳記念絵画館のことがわかってきた。つまり明治天皇の個人アルバムみたいな記念館なのだ。




そして建物の表に回ると、見たことのある建物があって、確か「絵画館」と言っていたことを思い出し、つまり「聖徳記念絵画館=絵画館」であることがわかった。500円を奉納して中に入ると、まさにアルバム的に幕末から維新、さまざまな明治時代のイベントなどがビジュアル化されている。しかも、全部、同じサイズなのだ。建物に合わせて、額縁の大きさが決まり、それに合わせて絵が描かれる。




そのうち気が付いたのは、明治時代初期にはまだ大判に拡大できるような高性能なカメラがないので、記録を残すには写真ではうまくいかなかったわけだ。

一例として、王政復古のあとの政治体制について、徳川家を含んだ連立制にすべきか薩長中心にするか、天皇の面前で大議論になる。徳川家を含む構想の山内豊信と徳川家をつぶそうとする岩倉具視とが大激論をする場面が描かれる。岩倉具視の顔は天狗のように描かれている。とても画家が岩倉具視をプラス評価しているようには見えない。例の要人急死事件のことを知っていたからだろうか。

そして最も気になった絵が「振天府」と呼ばれる絵画である。これについては稿を改めるしかない。


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