淡路島の城

2024-03-11 00:00:04 | The 城
淡路島は佐渡に次ぐ二番目の大きさの島で、大阪湾にあって直角三角形の形で三つの角が鳴門海峡、明石海峡、紀伊水道によって本州、四国と地を別にしている。

農業と漁業に島と思っていたが、農業は三毛作(コメと玉ネギと野菜)だし、魚は高級魚が多い。昨今は観光ブームで東海岸は日の出、西海岸は日の入りを楽しめる。

江戸時代までは淡路は阿波と一体化して、江戸時代は蜂須賀藩の一部となっていた。この蜂須賀家だが、絵本太閤記の中で、羽柴秀吉と矢作川にかかる矢作橋で出会った夜盗(蜂須賀小六)と書かれていて、その後、明治時代になって知事になっても「元は盗賊」というように思われていた。秀吉の部下だったが、関ケ原では小早川家と同様、戦場で寝返り。大坂の陣の後、徳島に加え淡路も手に入れる。



さっそく洲本城に登る。標高336m。三熊山頂上に模擬天守が立つ。周囲一望できる。天守の場所は上の城といわれ、もっと下の方に下の城がある。下の方に蜂須賀藩の家老の稲田家の屋敷があった。二重支配になっていた。



幕末には徳島(蜂須賀家)は公武合体(佐幕派)で淡路(稲田家)は尊皇派と分かれていた。明治になって、大名は華族になり、大名の家臣は士族になったが、稲田家は家臣の家臣ということで士族になれないことになり、二派の間で殺戮があり、明治政府は喧嘩両成敗という激痛を与えてしまう。さらに淡路島は兵庫県に組み込まれる。



淡路島は要所であり、数々の攻防戦が行われたそうで城跡は7カ所あるし、江戸末期、明治期、昭和期と外国軍の上陸に備え砲台が置かれ遺跡になっているが、実戦で使われることはなかった。

もちろん、本州からは明石大橋から高速バスに乗り、途中で路線バスに乗り、ホテルの窓から豪快な月夜を味わうことができる。そして朝日も見事。