紫式部追跡(1)

2024-03-18 00:00:00 | 歴史
NHK大河ドラマ『光る君へ』。主人公の紫式部について、その名前と「源氏物語」は知らない人はいないだろうが、読んだ方は少ないかもしれない。全54帖と長い。さらに紫式部について本名は不明だし、生年も没年もはっきりしない。藤原道長の同時代人で極めて親しかっただろうということはわかっているが、源氏物語の主人公の光源氏と道長とは立場は重ならない。

ということで、諸説色々の紫式部の人生を実際の土地を歩いて感じてみようと思ったわけだ。

最初に、人生の節目ごとの彼女の所在地といわれる場所を尋ねた。

生家とされる場所(父の藤原為時邸跡)
晩年に住んでいた場所と墓所(近く)
執筆に関係したされる場所 石山寺 一条院
お気に入りの場所 上賀茂神社
その他の関係場所 下賀茂神社、鞍馬寺、貴船神社

最初に、現在の地図に平安京の地図を書き込み、その上に訪問地をドットしてみた。

まず平安時代の平安京は中央の朱雀通りが現在の千本通りということになる。山陰線の南北が中央にあり、奥の一条より南に平安宮があり、その中心に内裏といわれる天皇の場所があった。現在の京都では平安京の右側半分(左京)が賑やかになっている。

現在の京都御苑(御所)は平安京の右の端で、かつ北側は平安京を突き抜けている。何度も内裏での火事があって再建を重ねている。

紫式部の時代も内裏が燃えた後、平安宮の北東に密接した場所に「一条院」という屋敷を建て、天皇以下そこに住んでいた。つまり平安宮の外側にいたわけで、紫式部もそこで働いていたわけだ。そして道長もその建物にいたわけだ。

京都市街地


京都周辺