アンデルセン展(川崎市市民ミュージアム)

2017-06-04 00:00:27 | 美術館・博物館・工芸品
川崎市の等々力緑地にある市民ミュージアムで開催中のアンデルセン展に行った、思っていたよりも充実した展示だった。行きにくい場所で、これだけの資料を展示するとは、力が入っている。

最近、「吟遊詩人」と「影」という問題作を続けて読んだこともあり、著者の実像を知りたかった。

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アンデルセンはデンマーク生まれで、1805年にオーデンセというデンマークで2番目の市(といっても人口は6千人)で生まれる。父や母に愛されて育ったが、父はアンデルセン11歳の時に他界してしまう。軍隊から戻ってから間もなくのことだったようだ。日本の幕末の志士たちは1830年頃に生まれた者が多いのだが、アンデルセンは70歳まで生きたので、ほぼ明治維新の頃の人物と考えればいい。

当時の街並みが会場に復元されていたが、なにしろデンマークは貧乏な国だった。国のピークは出生の300~400年前だったのだろうか。デンマーク人の祖先のノルウェーを戦争で失ってから貧しくなったらしい。残されたのは幾つかの島々とグリーンランド。欧州では一流国と二流国というのは世界チャンピオンになったことがある国かどうかということで、ポルトガル、スペイン、オランダ、英国、フランス(ナポレオン)、ドイツ(ヒトラー)がよきにせよ悪しきにせよ、世界チャンピオンになった国で、それ以外の国は二流感覚が漂う。

さて、会場で色々とアンデルセンの事情が判るのだが、まず驚いたのは、アンデルセンの巨体ぶり。185センチということで、当時の標準身長の160センチよりも25センチも高い。現存する写真などを見ると、一つの問題があることが判る。写真は彼が50歳頃から一般的になったのだろうが、顔つきが写真によってかなり異なっている。それは、彼が自分のことを「醜い男」と認識していてカメラの前に立つと、さまざまな顔を演じていたからだそうだ。どうも本物の顔は森友学園の籠池元理事長に似ているようだ。

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なぜ、色々な表情ができるのかというのは、彼が20歳頃、劇団に入っていたからなのだろうか。冒頭で書いたように父親が11歳で亡くなってから、早くから自分の将来を決めなくてはならなくなり、劇団の門を叩いたわけだ。彼自身、目標としていたのが、シェークスピアだったわけだ。約250年前に活躍していた劇作家。

そして幸か不幸か、運命の通告を劇団から言い渡される。

クビ!

一人だけ体が大きすぎて、劇に出せないから役者は無理と言われる。まあ、合理的な話だ。妖怪とか洞窟の怪奇人とか未知の動物役が毎回必要なわけじゃないだろう。

彼の童話に、身体的ハンディキャップを背負った人間や動物が多く登場するというのは、この時の経験が作用しているのではないだろうか。

ともかく、彼は役者をあきらめ、創作の道に進むために大学に行き始める。ということは、色々なプロットのネタは大脳の中に醸成されつつあったのだろう。書く技術が必要だった。

しかし、彼が並の人間ではなかったのは、大学は勉強するために行くもので卒業するために行くものではないことを知っていたことだ(もちろん入学した時にすでに23歳だったので、現代風に言えば5浪ということかな)。20代の後半には、カバン一つ持って海外旅行(放浪)を始める。行き先は30ヵ国以上らしい(詳細は未調査)。

時の総理大臣も60ヵ国以上外遊しているが、本人が行きたいのか夫人Aが行きたがるのか定かではないが、アンデルセンは生涯独身だったので間違いなく自分の中から湧き出す旅立ち衝動があったのだろう。その時に彼が持ち歩いた皮製のスーツケースの実物が今回の展示品の目玉の一つだが、7泊8日用のサイズ位だが、キャスターはない。手に持って運ぶしかない。大男だからこそ可能だった旅かもしれない。皮はまだ光沢を残し、バッグの外側には様々なものを取り付けることができるように何枚もタブがついていて、象の耳のように見えることから、本人は、バッグを「象(のデンマーク語)」と名付けている。

そして30歳の時に、永遠の名作「即興詩人」を書き、その後、創作童話を量産することになった。グリム童話は欧州の内陸の森の中に残る怖い民話を下敷きにしていることが多いのに対し、アンデルセン童話は欧州に住みながら貧しい生活者の心の叫びを表出させるところに人類の普遍的共感を表現していると言えるのかもしれない。

ということで、今更ながらアンデルセンをこつこつと読んでみようかとか、船橋市にあるアンデルセン公園に行ってみようかと思ってみるものの。当面、保留しようかな。同名の店舗で古くからパンは買っているし。