困った問題がまもなく東北で

2016-12-23 00:00:00 | たび
仙台に行っていたのだが、『光のページェント』が開催中だった。

仙台は日本屈指の大都会で、新幹線で東北方面に行くと、その帰りに新幹線の車窓より仙台の街の明かりを見ると、もう東京に帰ったような気がする。札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡は独立した文化を持つ大都市というべきなのだろう。

仙台に行ったのは、ある集まりがあってのことだが、夕暮れの街を走る車の助手席から眺めていて、この光の電飾は、日本国内では最高だなあと思う。たとえば神戸のルミナリエは公園が主たる開催場所なのだが、仙台では公道である。さらによく観察すると、両側の街路樹が道路の真上でつながっている。

hikari


上でつながらないのは表参道のイルミネーションだが、街路樹が上でつながるというのは、手ごろな道幅で、さらに街路樹が広葉樹で冬になると落葉するという条件が加わる。仙台はけやき並木で、冬になると落葉している。

神戸ルミナリエは阪神淡路大震災を記憶するために開始されたのだが、仙台の場合は、大震災のもっと前から続いている。むしろ東日本大震災の時は、保管中の電球の多くが破損し、一部は表参道から借りて数を足したそうだ。


地震といえば、来年の3月11日で満6年が経過する。ちょっとした集まりでも集まった人たちの家族の中には犠牲者が含まれることが多いようで、今回もそういう方が無念そうに語っていた。

そして、来年の3月11日を前にして、大きな声で言われることはないのだが、ある問題が予想されている。犠牲者の方々の七回忌である。

6年過ぎて7年目に入るときに仏教では七回忌が行われるのだが、執り行うべき僧侶(ご住職)の数がとうてい足りないということだそうで、各寺院も宗派ごとの本山に応援を求めているのだが、なかなか進捗しないようだ。6年前には、合同葬もあり、発見を待ちわびていた人もいたりして、今回ほど集中することはなかったはずで、僧侶にしてもボランティアとして各地から集まっていたが、さすがに七回忌にまでのボランティアはそうはいないようだ。

こと宗教行事に公的機関が援助することもないだろうから、問題は年明け早々に始まり、かなり長い期間にわたって進行するのだろうと思われる。私が手伝いをしようにもニセ坊主になりすますというのは、なかなか難しいような気がする(わざわざ小さな声で念仏を唱える宗派もあるそうだが)。

gyutan


そういう難しい問題に、もやもやしながら、仙台を離れる。仙台名物の牛タンはほんの少しだけ車中で食べてみる。最近は舌の芯を使った「芯タン」というのが流行っているようだ。