安土城を攻略(2/2)

2016-12-02 00:00:01 | The 城
途中で、信長の墓と天守方向に道は分かれるが、信長の墓がここにできたのは後世のことである。天守に向かうとさらに石段は険しくなるが、空が見えるようになり、そこが天守跡なのだ。

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山の上に台石がいくつも積まれているのだが、そこは、地下室なのだ。天守台と見える部分は単に地下一階の床であり、一階の大きさは縦も横もこの2倍、つまり面積は4倍にもなる。

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そして眼下にはお約束通り琵琶湖が望めるが、当時は山の下まで琵琶湖が広がっていた。

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安土城だが、高さは秀吉の建てた大坂城を超え、床面積は大坂城の方が大きい。後に江戸城天守閣を建てるときは、安土城より高く、大坂城より広くということになった。

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江戸城の再建や、名古屋城の建て替えが話題になっているが、筋からいえば安土城ほど美しい城はないのだから、この城は再建されないのだろうかと思われるかもしれない。

色々と制約が考えられるのは、まずこの土地は私有地であるということ。摠見寺(そうけんじ)という寺院の所有物で、寺院の安全確保体制の中で、なんとか登ることができるわけだ。さらに登るのが、厳しすぎるわけだ。400段ものオリジナルの石段である。観光地にするにはロープウェーしかないだろうが、簡単にできる場所がないし、建設資材の搬入も困難だ。さらに安土市は近江八幡市に吸収合併されたので、安土城だけの開発ではなく近江八幡とセットの観光化が求められる。しかも東京や名古屋のような金満な都市じゃないわけだ。

そして下り階段は、曲がりくねって狭く、足を滑らすと滑落し、信長たちの仲間に入ることになるのだが、安全な場所では足を滑らすことが多い。ぬかるみの中に一本の材木が置かれ、平均台のように歩く必要な場所もある。とにかく、まったく油断できないわけだ。

歴史家ではないので、勝手なことを言うと、明智光秀の謀反(本能寺の変)だが、光秀は天下を制覇したかったのではなく、安土城が欲しかったのではないか、と感じたのだ。秀吉と利家の邸宅が組み込まれていた城には、すでに光秀の場所がないわけで、よほどの暗愚でなければ自分が粛清される運命だったことは見えていたのだろう。